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ミゾイキクコ @kikutomatu
昭和の初め、社会はまだ情報の伝達手段はごく弱く、ラジオのある家はごく少なく、新聞の購読者も少なかった。田舎の人では中央のニュースに接する人はほとんどいない状態で、その意味で無知な人が多く、お上の意向で大衆をどちらにでも引っ張って行けた。勇ましいことがワーッと受ける状態だった。
ミゾイキクコ @kikutomatu
@harukisheena こんばんわ。1944年といえば昭和19年、敗戦の前の年ですね。私は10歳。どの時代でもいろいろな場合があります。当時は多く世話する人がいて、結婚を決めるものが大部分でしたが、恋愛結婚もありましたし、できちゃった婚もありましたよ。続く
ミゾイキクコ @kikutomatu
@harukisheena 続き 朝のドラマの場合可なり極端ですが、女性からの申し出も、男性にその気があれば成立しますよ。当時縁談は世話人がそこの家へ話を持ってゆくものなので、親も本人も一緒に話を聞くわけです。これはいいかもしれないとなってから顔合わせ。続く
ミゾイキクコ @kikutomatu
@harukisheena 続き、その結果は両方が世話人を通してそれぞれ相手に知らせます。決めるのは本人。顔合わせするかどうかは親と本人で考えるわけです。たいして考えもなく会って断ったり断られたりしないように考えるわけです。
ミゾイキクコ @kikutomatu
@harukisheena 昭和19年といえば結婚適齢期の男性は徴兵にとられて数が少なく、娘しかいない家では婿養子探しに懸命でした。そうしないと家がつぶれると考えました。この時期に適齢期の女性には他の世代よりも独身で過ごした人が多いです。若者が戦死したので。
ミゾイキクコ @kikutomatu
@harukisheena 当時の結婚にはつり合いが重視されました。家庭の釣合です。釣り合わぬは不縁元といわれました。家風、などが合わないと何かともめごとが起こります。家と家のお付き合いがあるわけですから、あまり違う家同士は問題が起こりがちです。
ミゾイキクコ @kikutomatu
NHK朝のドラマ、間もなく出征する人と結婚した。子供を身ごもって、夫が出征して、戦死した場合確かに子供を抱えて敗戦後を生きるのは大変だったと思うが、子供がいればこそ未来が開けたという人も多かった。子供は父親の顔も知らない。こういう子どもも数多いと思う。
ミゾイキクコ @kikutomatu
私が子供の頃、周りに若い頃フィリピンに出稼ぎに行っていたという老人がいた。当時田舎の次男三男は土地もなく、仕事もあまりなかったと思われる。
ミゾイキクコ @kikutomatu
@sota_hizume 跡取り(当主)以外は部屋住みで資産や収入がない(なんか役についていないと)んですよね。江戸時代なんかの役職に就くのはなかなかチャンスがなかったようです。婿養子の口があればその家の家督を継ぐことができますが。
ミゾイキクコ @kikutomatu
今から50年くらい前は、認知症に対する認識が社会になかった。だから認知症の人を介護する人が非常に負担が大きかった。家族に理解があれば少しは慰められたのに。そのころ介護疲れで認知症の舅を殺してしまうという事件の裁判が話題をまいたことがある。夫も夫の兄弟も無関心でいた。続く
ミゾイキクコ @kikutomatu
続き 当時は長男の嫁が舅姑の世話をするのが当たり前であった。そして認知症の人の世話の大変さが認識されていない。心身の疲れで追い詰められ、これから逃れるのは舅を殺すしかないとまで追い詰められたのだ。家族が世話するのが理想といわれるとこういう事になりかねない事を心配してしまう。
ミゾイキクコ @kikutomatu
私の世代、長男が結婚相手として敬遠された。舅姑の世話始めいろいろな負担があった。だがそれらの負担が嫌だからではなく、周りに大変さに対する認識がないことなのだ。だからそういう立場に立たない事を本人よりも娘の親が考えたのだ。
ミゾイキクコ @kikutomatu
NHK朝の連続ドラマの舞台は知識階級の家庭。あそこに登場する子供達は私よりいくつか上の世代の人達。当時の庶民からしたらすごく豊かな生活です。おいしいものを食べる工夫するどころか、何とか食べられれば結構な家庭がほとんど。其れと兵隊に志願する事に対する考え方について言えば、続く
ミゾイキクコ @kikutomatu
続き 私の周りの人々でいえば長男は家を継ぐので親の仕事を手伝うのは当然として、次男三男はどこか勤め口があって勤めている人もいたが、勤め口のない者は親の手伝いをしていた。だから徴兵で召集されても仕事ができて助かるといった感じが多かったと思う。戦争で戦死という感覚が乏しかった。続く
ミゾイキクコ @kikutomatu
続き 昭和初期田舎ではほとんど小学校卒業程度の人が多く、勤めの仕事には向かない人が多かった。工場もないので、工員の職もなく、家を離れて工場で工員になるてずるも少なかった。そして軍隊の生活は日ごろの家の生活より良かったと軍隊経験者が語っている。戦死という考えがなかった感じ 続く
ミゾイキクコ @kikutomatu
昭和初期、田舎の人は職業についてあまり知らなかった。どんな職業があるかなど。身の回りにある職業は、農村でいえば農業、大工、左官、八百屋、魚屋、理髪、荒物店、呉服店、お巡りさん、役場職員、そして教員。この中で教育を受けたものがなるのが教員。教育を受けられるのは資産家の子弟
ミゾイキクコ @kikutomatu
@gonnyoy 大正15年(4月2日以後の生まれの人は、大正15年、昭和元年、昭和2年4月1日までに生まれた人達が同一学年にいるという特殊な学年です。昭和元年がごく短かったから。今も昔も公務員は優位だったんですよね。自分たちが国・社会を動かしているという意識ですから。
ミゾイキクコ @kikutomatu
昔の文学書なぞにはよく書生というのが登場する。今は書生を置くような家はなさそうだが。子供の頃よく母から聞かされた歌があり、大きくなってそれが英国の国歌だと知った。教えてくれたのは母の身内で書生をしながら第一高等学校を卒業し東京帝国大学を卒業した人。いつごろまで書生というのが居たか
ミゾイキクコ @kikutomatu
私の妹の義兄(夫の長兄)は書生をしながら千葉大の医学部を卒業しているのでそのころは書生というのがあったことになる。この人存命なら90歳近いかも。
ミゾイキクコ @kikutomatu
@Yooseku ガスが使われたのは都会で、ドラマの西門家でも始めはなかったが宣伝を兼ねて低価格で設置できたようです。一般にはこれから普及するような感じですね。戦前東京の親戚でははガスを使っていました。私は田舎で育ちましたので、薪を燃やしていました。戦後石油コンロになり次いでガス
ミゾイキクコ @kikutomatu
@digital_comic12 @akuseku_now 師範学校や士官学校、海軍兵学校は国費で学べました。国費で学べてもそれよりも今今働いてほしいという家庭が多かったですね。先々のことより今今という状態。資産家の子弟は中学校に行ってから師範の二部へ入る者が多かったです。
osakihiroko @hiroloosaki
私の子供の時は電話なんてなかったのです。普通の家には無かった。 公共施設か金持ちの家、自分の所にあっても、かける所がないのです。電話が入ると呼び出しを頼まれたり::今や大人は一人一台に近い時代!おそるべし。
osakihiroko @hiroloosaki
自動車も少なかったですよ。町内にもそんなにはありませんでした。その代わり自転車はどこの家にも2・3台はありどこに行くにもチャリ、今は自転車代わりに小型自動車。替われば替わるものです。
osakihiroko @hiroloosaki
昭和25年頃の東京の住宅事情は  木造の2階建てアパート 玄関は一緒、ベニアの引き戸に6畳か4畳半一間 トイレも台所も共同でした。風呂つきキッチンつきは夢のよう 電話つきなんて嘘〜って感じでしたね::皆これからのスタートでした。
ミゾイキクコ @kikutomatu
@deep_deep_red @venusparadox 兵隊さんは公共事業の感じですね。幹部の人達は厳しい鍛錬を受けていて出世コースを歩む。昔の軍隊も士官学校や兵学校を出た人は出世コースで戦死しても保証が多かった。士官学校や兵学校の入試は厳しかったし人数も限られていた。
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コメント

未知神明(みちがみ・あきら) @ontheroadx 2014年2月28日
「お上の意向で大衆をどちらにでも引っ張って行けた」時代の「空襲は恐るるに足りません」はあっても、今の時代の「放射能は恐るるに足りません」とはダブらないんじゃないかな。ていうか「放射能は恐るるに足りません」と言ってる人知らない。
未知神明(みちがみ・あきら) @ontheroadx 2014年2月28日
津波のおそれがあるところはすごく鳴ってたと思います 「3・11の時には鳴ったのでしょうか?」
游鯤 @yusparkersp 2014年3月1日
当時の日本は選挙で選んだ「お上」だったんだけどね。この人もたぶん愛国少女だったと思うよ。
neologcutter @neologcuter 2014年3月1日
ただ「空襲は恐るるに足りません」と「放射能は恐るるに足りません」は違うわね。「放射能も程度問題ですよ」というだけのことであって。
かうわん @cowonetigers 2014年3月2日
安倍政権批判はご立派ですが、じゃあ誰、どの党がいいんですかね?もう一度民主党政権にしますか?それとも共産党政権にしますか?
瑞樹 @mizuki_windlow 2014年3月2日
「お上の意向で大衆をどちらにでも引っ張って行けた」時代、の割には政府が外交政策を『弱腰』って新聞に批判されたし、軍縮条約を結んできた内閣を野党が『統帥権の侵害』と批判したあげくに、内閣総辞職なんて事もあったわけだけど? てか、あんた、80歳?第二次世界大戦が始まったときが5歳で、終わったときが11歳だよね?そんな小娘が、良く、「世間の空気」なんて理解できたね? 後から本や歴史書で学んだのかな?じゃあ、私たちと同じじゃんかwww
御順場 第伍 @ngozJI0_0IL 2014年3月2日
上記のコメント欄が普通に酷いと思うのは自分だけだろうか
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe 2014年3月2日
強調してるところがなぁ……。この手の体験談は、当時を知る資料の一つとしての価値はあっても、丸呑みするのは危険だと思うがね。個人の観測範囲での事実でしかないのに。同様に韓国の従軍慰安婦、中国における日本軍の鬼畜所業の証言も信じてる?都合のいいことだけ選んで信じてない?
simo@ネコと和解するのデース @simoMC3 2014年3月2日
確かに、戦後に知ったことや今調べたことをツイートしてる部分もあったとして、5歳~11歳なら逆に空腹でしようがなかっただろう。そんな体験をした人が戦争は辛いんだと言って何が悪いのか?
simo@ネコと和解するのデース @simoMC3 2014年3月2日
じゃあ他の政権にすればいいのか? と言うのは論理のすり替えで、安倍政権が戦争をしないように抑えるのが国民の義務だろう。参政「権」というのはそういう「義務」でもある。
simo@ネコと和解するのデース @simoMC3 2014年3月2日
ここにコメント書いてる人たちは「自分たちが戦争に行く」ということを想定しているのか? 私は行けないが(持病があって海自不合格ですので)、それでもそう言うなら自衛隊に入って訓練を受けてきてください。3日泊まってきただけでも、つらそうだったよ…。
波平の1本毛をフライにして食べたい @tri_man 2014年3月2日
うちの親も食べるもの無くて苦労したって子供の頃よく聞かされたから、戦争になりそうな空気に対して過剰に反応するのは普通だと思うよ。同じ苦しみを自分の子供や孫にさせたくないって思うよね。だからといって現状を正しく判断しているか別問題だけどね。
未知神明(みちがみ・あきら) @ontheroadx 2014年3月2日
反原発デモに親に連れられて「さいかろーはんたい」って言ってた子供が70年後に語る東日本大震災みたいなものだよね。家と家族を津波に奪われたり、強制避難させられた家の子供なのかこの人は。
波平の1本毛をフライにして食べたい @tri_man 2014年3月2日
ビスマルクは「愚者は自分の経験に学という、私はむしろ他者の経験から学ぶこと好む」って言ってます。私たちがこのおばあさんの経験から学ぶことは多いですし、お婆さんが自分の経験だけで今を語るのは間違っているでしょうね。
言葉使い @tennteke 2014年3月2日
小林信彦が対談で、戦時中であっても金さえ出せば砂糖以外は何でも食べることが出来たと言っていて、知識と言うより社会あるいは生活の知恵の問題じゃないかと。>>NHK朝の連続ドラマの舞台は知識階級の家庭、おいしいものを食べる工夫するどころか、何とか食べられれば結構な家庭がほとんど
言葉使い @tennteke 2014年3月2日
苦労自慢を言い出したら筒井康隆1934年(昭和9年)生まれの「大人が砂糖の中にガラスの破片をを見た」が出るぞ。戦後であっても「僕らも戦争を体験したと言う権利がある」だっけな。
未知神明(みちがみ・あきら) @ontheroadx 2014年3月2日
この人、でも「若い頃フィリピンに出稼ぎに行っていたという老人」(本人の伝聞)とか「軍隊経験者が語っている」とか伝聞ばかりだし、そうでないものはみんな歴史的知識として知ってることばかりだし、実体験は確認できませんね。
未知神明(みちがみ・あきら) @ontheroadx 2014年3月2日
70年後の老人の話、「放射能で何千人も死んだと聞いている」になっててもびっくりしない。
(冷夏だけど蒸しι(´Д`υ)アツィー) @fortunes1989 2014年3月2日
最終的に日本が勝っていたら多分全く違う記憶の残り方なんだろう 「我慢したのに負けた」から負の記憶が強く残る
くぅにゃん@⚡パプリックエネミー⚡避雷針野生派 @qoonyan 2014年3月3日
なんというか、居住地によって体感するものは違うのかな。片田舎の地方都市だったからかも知れないけど、明治生まれの祖父から聞いた話とずいぶん違う。
瑞樹 @mizuki_windlow 2014年3月3日
国防や戦争の話をしているときに「おまえが戦争に行かされるんだぞ!一度、自衛隊の訓練を受けてこい!おまえには無理だから!」とどや顔で言い出す馬鹿は、防火の話をしているときに「おまえが火事場に行かされるんだぞ!一度、消防の訓練を受けてこい!おまえには無理だから!」とか言い出しちゃうんだろうかしらね?
silca @silca14 2014年3月3日
少女Hちゃんごっこ
ジョンお姉さん @jpn1_rok0 2014年3月3日
お上の意向で国民をどっちにでも引っ張って行けたのなら、日比谷焼き討ち事件など起きないよ。( ´H`)y-~~
もこ @mocomb 2014年3月3日
当時10歳だものなあ。NHKはもっと積極的に証言記録アーカイブスを充実させていって欲しい。そしてぜひ公開してくれ。NHKの財産ではなく国民共通の財産として。
未知神明(みちがみ・あきら) @ontheroadx 2014年3月4日
プロフィール見たらおばあちゃんはお茶の水女子大学理学部卒業してるんだな。木下惠介「女の園」(1954年)あたりに女子大生ですか。でもって学歴を生かせずに地元で見合い結婚を強いられた、みたいな? あとブログでは夫が入院したりしてるんで、結婚関係のグチようやく言えるようになった、みたいな?
一条和城(CV:鈴村) @ichijou_kazuki 2014年3月4日
恣意的に選んでいる、という印象しか受けないというかまあ2通りじゃサンプルとしては一般化するには少なすぎるな、としか。「一つの視点」としての価値はありますけれどこれを一般化するのはいささか危険すぎるきらいが
ざの人 @zairo21 2014年3月4日
老人たたき と 言われるコメにはならないように自重してくださいよ?各自 いつもの調子で デマリンを叩く感じで考えてたら大間違いだから。
ざの人 @zairo21 2014年3月4日
先日ネットワークが無くなってしまったら困るという話題があって、電話もネットワークだよねと話してたから、そういう時代を検証、考察するにはいいまとめだなとは思った。48歳の自分の話題でも、10代の人からしたら、( ゚д゚)ポカーンとする話ができるぐらいだから、ジェネレーションギャップを考察するにはいいまとめだなと。
ざの人 @zairo21 2014年3月4日
まあそれは思い違いじゃないか? という考証も大事だけど(苦笑 言葉は優しくお願いします。
ざの人 @zairo21 2014年3月4日
冒頭は これは、震災時のときの通信インフラの遮断が起きていると同等と考えたらどうだろう?あと、「当時の結婚にはつり合いが重視されました。家庭の釣合です。」というのも現代では重要視されていないが、継続する結婚を考えるにおいてはとても大事な話だと感じた。
ざの人 @zairo21 2014年3月4日
戦争時の経験において語られる時代がきたんだなと。しかも経験者同士の対談形式で、そうだ小菅信子さんに教えよっと。
きゃっつ(Kats)⊿11/17乃木坂大阪個別 @grayengineer 2014年3月4日
確かに軍部の暴走というのがあったのは事実だけど、政党政治家(国民に普通選挙で選ばれた議員)が権力闘争に明け暮れて軍部を抑えられなかったのは、国民がまじめに政治を考えなかったことにも一因があるし、またそれを当時の報道機関が煽り立てて国民を戦争に駆り立てた責任もある。しかし「戦争ちょっとだけ経験世代」の人は、東京裁判や戦後のGHQ占領下の教育を受けて「軍部がすべて悪い、国民は被害者」という殻に閉じこもり、自分たちの責任を省みることをしなくなった。
きゃっつ(Kats)⊿11/17乃木坂大阪個別 @grayengineer 2014年3月4日
「私たちは脅されていやいややっていたんだ、本当はいやだったんだ」と言って、だから悪くないんだ、と責任逃れをしてきた。自分たちが消極的にであっても戦争の遂行の一部に加担してきたことは忘れようとしてきた。だけどすでに映像記録が残せる時代だったから、探すといろいろ出てくる。序盤の日本勝利に大喜びする民衆の映像とか。あれを無理やりやらされてたんだと主張するのは相当無理がある。騙されていた、というのも正確ではない。序盤のころはほぼ正確に戦果が公表されていた。水増しするようになるのは敗色が濃くなってから。
きゃっつ(Kats)⊿11/17乃木坂大阪個別 @grayengineer 2014年3月4日
何が言いたいかというと、自分がどう思うとか感じるとか、言いたいことを率直に言ってもかまわないとは思うけど、自分たち(国民・民衆)は一方的な被害者で何の責任もない、という前提で戦争を語るのは欺瞞ですよ、ということ。
きゃっつ(Kats)⊿11/17乃木坂大阪個別 @grayengineer 2014年3月4日
「きけわだつみのこえ」の中に、学徒出陣を拒否して山中に逃げた学生が、様子を見に家に戻ってくると、家は投石で窓がすべて割られ、壁じゅうに「非国民」「死ね」と落書きされていた、というシーンがある。そういうことをしたのはだれか?軍部?いやいや軍人はそんなことをするほどヒマじゃありませんよ。そういうことをしたのは近所の普通の市民です。「はだしのゲン」でも、日本は負けると言ったゲンの父親をイジメたのは町内の普通の市民。敵性語狩りをしたのも官憲ではなく民間。戦争に反対しづらい空気を作ったのは民衆。
きゃっつ(Kats)⊿11/17乃木坂大阪個別 @grayengineer 2014年3月4日
なんでもかんでもすべて権力者が悪い、で済ませていたら、いつまでたっても同じことを繰り返すだけですよ、と。それが一番言いたいことです。
かうわん @cowonetigers 2014年3月4日
「安倍政権が嫌だったらじゃあどの政権がいいの?」の質問がどこが論理のすり替えだよwwwwそれこそれっきとした参政権じゃんwww
山下238 特撮はいいぞ @Yamashita238 2014年3月5日
今どきまるっきり嘘をつく組織なんで朝日新聞くらいしかありゃしないのにねえ
山下238 特撮はいいぞ @Yamashita238 2014年3月5日
あんまり言いたくないんだが、こういう御老人の発言をいちいち否定するのは心苦しいんだよねえ。
山下238 特撮はいいぞ @Yamashita238 2014年3月5日
「空襲は恐るるに足りません。NHK朝の連続ドラマの中の言葉。いま、放射能は恐るるに足りません。とダブる。」じゃこの私が「放射能は恐るるに足りません」と説明してさしあげましょうか?
玉藻さん@地球 @Roseate_Rosy 2014年3月5日
結局のところ、「個人の記憶と感想」なので全面的にうのみにしちゃだめなのは当たり前。こういう意見、こういう考え方もあるんだね、くらいにおもっとかないと……。思想もあるしね(^-^; 
瑞樹 @mizuki_windlow 2014年3月5日
個人的な感想で言えば、うちのおばあさんは「戦時中よりも終戦から18年、子供の半分が就職してくれるまでが一番苦しかった」って言ってたけどねぇ~旦那が軍需工場で働いてたから配給は十分にあったし、旦那はタバコを吸わないから配給のタバコをお菓子に変えて貰えてたし、おばあちゃんの実家は洒落にならない大地主だったしねぇ~
瑞樹 @mizuki_windlow 2014年3月5日
それが戦後の農地改革で田んぼは全部取られる、軍事工場は潰れる。疎開先から実家に帰ったら見知らぬ人が家に住んでて、大地主の娘だったはずなのに、手元に残ったのは疎開先の借地一件分。 「もっと戦争が続いてくれれば良かったのに」って冗談めかした口調ではあったが、言ってましたよ。この「体験談」もここで語られてる人達と同等に扱ってくれるんですよね?www
瑞樹 @mizuki_windlow 2014年3月5日
戦争も終わって3年が経ってから生まれたおじさんは幼少時の栄養不足が原因で斜視だよ?
順三朗 @junzabroP 2014年3月5日
二人の老婆の語りは傾聴に値するし、大阪大空襲を生き残り先年亡くなった私の母の体験談とも共通する部分はある。しかし彼女たちの思考はなぜ戦争が起こるのか、どうすれば戦争が避けられるのかの考えが欠如しており、あくまで戦時の状況に右往左往する一般市民の視点でしか無い。
nekosencho @Neko_Sencho 2014年3月5日
ま、今だと空襲なんて核ミサイルが飛んできて一発で全滅だから時代は違うよね。日本と戦争しそうな国はたいてい核もミサイルも持ってる。日本が軍備そろえればそろえるほど、それを一掃できる核の出番が近くなってくるという
kazkuro @kazkuro 2014年3月6日
政治に関してはともかくとして、当時の風俗や社会情勢に関する思い出話としては結構面白かった。こういう話はなかなかtwitterで聞けるモンじゃないし。
♡まこじろう♡ @maco2ro 2014年3月6日
お二方の思想の方向はどうあれ、戦争体験をこうしてTwitterで語ってくれるというのは非常に貴重なことだと思います。参考までにうちの祖母はミゾイキクコさんのお母さんの世代ですが(存命中w)「戦争はよくないけど負けるのはもっとよくない」といつも言っています。
♡まこじろう♡ @maco2ro 2014年3月6日
たとえ伝聞でも勝った戦争を知ってる世代と、負けた戦争しか知らない世代とでは当時を振り返った時の印象も違うでしょうね。もちろん、当時大人だったのか子供だったのかでも違うでしょう。うちの祖母は苦労話や、恨み辛みのみを聞かせるわけではなく、戦中の日々のごく普通の暮らしも淡々と語りますよ。
ぼんじゅ〜る・Fカップ @France_syoin 2014年3月6日
なんで戦争になったのか、戦争しなければどうなったのか、戦った相手は誰でどういう性質なのかを考察しないで戦争と言う大局を語られてもね。当時の一市民の美辞麗句の思い出にしかならんよなw
天たくる @ten_tacle 2014年3月6日
上の方でここでコメントしている人は自分たちが戦争に行くことを想定しているのか云々ってのが何を言っているのか全く理解できないのだけど、削除されたコメントでもあったのか?
🏳️‍🌈K2🧷🎸🎶(っ'∀')╮ =͟͟͞͞ 🥚 @k2gtr 2015年12月18日
これは価値あるまとめ。 戦争体験者の生の言葉がツイッターで読める。
タツコマはネコ科猛獣に襲われてしまった @TATukoma1987 2015年12月18日
なお、日本以上に動員率が高く(動員率16%)、日本以上に無茶苦茶な戦い(国力差などコミコミで戦力差1800倍)を強いられたフィンランドでは、戦に負けはしたものの国土を残せたので英霊達と当該世代は英雄として称えられていたりします。空襲はボチボチあったみたいね。
タツコマはネコ科猛獣に襲われてしまった @TATukoma1987 2015年12月18日
うちのばあちゃんから聞いた話だと、どうも当時の日本人は戦争についてわけわかんないまま始まって気が付いたら終わってたみたいな感じなのよね。供出で米全部持っていかれたり、陸軍飛行場の傍に住んでたけど空襲はそんなになかったとか聞いた。
アンジェ @oleE6nlaIIhZkrf 2016年5月18日
ウチのお母さんは、その頃、学校の教師をしていて、生徒様たちを、違う校舎に誘導させて頂いていたと、語っております…ジェネレーションギャップが激しいのに、、、どうして?年の差カップルが、多いのかと?感じさせられる今日この頃で、御座います…おつかれさまでした…ありがとうございます。
のんさん🌻🍟🍩@六廃 @nonchan1975 2018年1月4日
戦前~戦中~戦後を生きてこられた方々の貴重なお話。もっと注目されていいと思う。
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