「マイマイ新子と千年の魔法」―分離された<現代>と感動の正体―

※ねたばれあり※ 「なぜ舞台が昭和30年代なのか?」 「この映画を見終わった後の言い知れぬ感動はどこから来るのか?」 というこの映画の中核ともいえる部分に切り込む@manaboo2009氏による一考察です。
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mike_neko @mike__neko

マイマイ新子では、時代によらず普遍的なものを抽出しようとしているのであって、「ノスタルジー」なんて概念はあまり関係が無い。すると、原作小説が自伝を元にしている、という事情を抜きにして、なぜ現代ではなく、昭和30年でなければならなかったのか、という事は重要な問題なのではないか。

2009-12-19 22:49:00
平田@のぶ @sakasa_don

(先のRTに対し)ノイズとなる文化的な情報密度を極力下げることで普遍性のエッジを立たせやすいという理由はありそうだけど、たぶんにこれは表層的な見方でしかない。やはり物語から見かけ上「分断」された現在への結節点をみつけ、そこを読み解いていくのが先の問題に対するひとつの解になりそう

2009-12-20 12:31:25
mike_neko @mike__neko

@wtnbhrt 「現在との結節点」と考えられるのは「埋立地」ではないでしょうか。千年前から現在への変化として顕著なのが「埋立地」。昭和30年と現代を比較すると、「埋立地」に相当するものが増殖している、と見ることができるのでは。

2009-12-20 13:55:17
平田@のぶ @sakasa_don

@mike__neko なるほど。それで思ったのですが「石碑」は恐らく現在も同じ形で物理的に存在している可能性は高くて、時間が連続性を持ってそこに存在しているわけで、「埋立地」的に変化してしまうものと「石碑」のように変化しないもの双方で考えてみるとより立体的に見る事が出来そうです

2009-12-20 14:05:50
mike_neko @mike__neko

@wtnbhrt 石碑の他に普遍的なものといえば、現代においては切り落とされているかもしれませんが、「松の木」ですか。昭和30年を選んだひとつの積極的な理由として、現代にあって我々が作中に示された「普遍性」を再発見していく、という楽しみを残している、というのがあるかもしれません。

2009-12-20 14:55:15
富崎学 @manaboo2009

マイマイ新子。千年前と昭和30年代と現代をつなぐものは僕の思うに表象ではなくて、おそらく物語の構造の中にあるのではないかと。普段、イメージが!とか言ってる僕らしくありませんがね。今日マイマイパンフレット掲載の片渕監督のコメント読んで、もしかして当たってるかも、なんてw

2009-12-20 15:47:25
平田@のぶ @sakasa_don

@manaboo2009 物語構造に着目するとあのラストは間違いなく現代への時間の連続性を意識したものであるのは間違いないのですがこれだけだとまだ弱いんですよね。重層的な作りに比して単純すぎるのでもっと強固に接続している部分があるはず。/怒涛のつぶやき楽しみにしています

2009-12-20 16:12:51
富崎学 @manaboo2009

マイマイ新子(ネタバレ)この映画を見た者は誰もが言葉を失う。言い知れぬ感動につつまれるが、それがいったい何なのか誰も明確に言葉にできない。僕が思うに、それもそのはず、その感動の元になるものは、映画の中にないからだ。映画の中で描かれないもの、それは「現代」にほかならない。(続

2009-12-20 23:42:07
富崎学 @manaboo2009

マイマイ新子(ネタバレ)新子はその類稀なる想像力で防府の千年前を想像し、それを貴伊子に見せることができる。もちろん、新子でなくても作中で発掘される遺跡から千年前の生活を想像することはできる。そして、千年前の防府の人々も流れ星の落ちるさらに何百年も前の防府の人々の生活を想像する。続

2009-12-20 23:48:08
富崎学 @manaboo2009

流れ星を追い防府の地にたどり着いた多々良の人々とその暮らしを想像する千年前の諾子たち。その千年前の世界を現実のように想像し現前化させる新子と貴伊子。繋がっていく千年前とその何百年前と昭和30年代。だが、僕たちは見逃してはならない。なぜ、この映画が昔懐かしいレトロなイメージに(続く

2009-12-20 23:57:11
富崎学 @manaboo2009

承前)マイマイ新子(ネタバレ)溢れているのかを。諾子が何百年も前の人々を想像する、新子と貴伊子たちが諾子を想像する、それと全く同じように、この映画を見ている僕やあなたも新子たちの昭和30年代をリアルに想像しているのだ!残念ながら僕たちには新子のような想像力はない。だがこの映画(続

2009-12-21 00:03:45
富崎学 @manaboo2009

承前)マイマイ新子(ネタバレ)は極めて詳細にリアルに昭和30年代を描いてくれている。汽車!トヨペットクラウン!ガス冷蔵庫!僕たちもまた新子たちをリアルに現前化させることができるのだ。千年前、昭和30年代、そして、僕たち自身が想像力を働かせることによって、僕たちの現代が繋がる(続く

2009-12-21 00:10:59
富崎学 @manaboo2009

承前)マイマイ新子(ネタバレ)映画の中に僕たちの現代は描かれないが映画の力を借りて僕たちは新子たちのいる昭和30年代をリアルに想像することができるのだ。まさに想像力を介して、千年前と更に何百年前と昭和30年代と、そして、メタレベルな僕たちの現代が一つに繋がる。それは永遠の時の流れ

2009-12-21 00:17:33
富崎学 @manaboo2009

承前)マイマイ新子(ネタバレ)そう、僕たちはこの映画を通して、永遠の時の流れの中に身をおいて変わらない何かを発見しているに他ならない。そして、それだけでは済まされないことに気づいて僕たちの心は激しく揺さぶられるのだ。それが言い知れぬ感動の正体だろう。変らない何かとは何か、(続く

2009-12-21 00:23:36
富崎学 @manaboo2009

承前)マイマイ新子(ネタバレ)何が済まされないのか、言い知れぬ感動とは何か。ちょうど時間となりましたので、この続きはまた明日、つぶやかさせていただきましょう。

2009-12-21 00:25:24
富崎学 @manaboo2009

マイマイ新子(ネタバレ)昨日のつぶやきを纏めよう。千何百年前の多々良の先祖の生活を想像する千年前の諾子たち、その千年前の生活を想像する昭和30年代の新子たち、そして、その昭和30年代の生活を想像する観客としての現代の僕たちも想像という行為を通じて、永遠の時の流れと繋がっている。続

2009-12-21 21:50:22
富崎学 @manaboo2009

承前)例えば、この映画が昭和30年代ではなくて、現代に移しかえられたドラマだったらどうだろう。観客である僕たちはこうも主人公たちの時代の生活を想像する動機づけをえられただろうか?もちろん原作は昭和30年代ではあるが、映画にそれが反映されたのには必然があったのではないか。また(続く

2009-12-21 21:54:44
富崎学 @manaboo2009

承前)現代という時代が映画の中に刻まれなかった分、逆にいつの時代でも現代の視点でみることができる。今後20年先だろうと50年先だろうとその時の"現代”と新子たちの昭和30年代はつながることが可能になる。ただ、観客の僕たちは映画の外にいるためになかなかそのことを自覚しにくい。(続

2009-12-21 22:05:50
富崎学 @manaboo2009

承前)たが、想像という行為を通じて永続的な時代の連続の中に自分たちもいることは間違いないだろう。僕たちが鑑賞後に言い知れぬ何かを感じていたひとつはこのことなのではないだろうか。

2009-12-21 22:09:12
富崎学 @manaboo2009

マイマイ新子(ネタバレ考察)清少納言諾子は花飾りの牛車の中から少女千古に向かってつぶやく「遊ぼうよ」。千年前も昭和30年代も(そしておそらく現代も)子供たちは遊ぶ。この子供たちの遊ぶという行為も永遠にいつまでも変らないことのひとつだ。また大人である僕たちもかつては子供だった(続

2009-12-21 22:16:45
富崎学 @manaboo2009

承前)遊ばなかった人間はいないといっていいのかもしれない。それはタツヨシの父親鈴木巡査もまた同じだった。バーカリフォルニアで一体何があったかははっきりとしないが、女は巡査を頼りにしていたようだし、ヤクザたちは彼のことを親しみと尊敬を込めてダンナと呼ぶ。「本当に勝てるベーゴマの(続

2009-12-21 22:20:18
富崎学 @manaboo2009

承前)削り方」を彼らに教えたタツヨシの父親はおそらくガキ大将だったのだろう。だが、結局のところ大人になってもガキ大将でいることはできない。立場が違えば死をもって取らねばならない責任もある。子供にとって遊ぶことはまさに今しかできないことであり、すべてなのだ。

2009-12-21 22:30:55
富崎学 @manaboo2009

マイマイ新子(ネタバレ考察)千年前と昭和30年代とのつながりはまだある。それは“赤い”。諾子が切って川に流した赤い紙は時代を超えて昭和30年代の川に流れ込む。新子たちはその川をせき止めてダムをつくり、時間の流れを止める。そこに諾子の赤い紙が流れてきてそれは金魚へと変る。(続く

2009-12-21 22:37:55
富崎学 @manaboo2009

承前)新子たちはその金魚とともにダムでいつまでも時の流れを止めておくことはできない。金魚は死に千年前とのつながりも消える。明日も同じはずだった連続ラジオドラマのような毎日が狂いはじめる。新子と貴伊子や友達たちはばらばらになりかけ、タツヨシの父親も死んでしまう。新子は明日を(続く

2009-12-21 22:46:31
富崎学 @manaboo2009

承前)取り戻すためにタツヨシと決死隊を組む。この物語には4組の決死隊が登場する。山賊を防空壕に探す新子たち友達の決死隊、迷子の光子を保護したホンモノの決死隊鈴木巡査、明日を取り返すための新子とタツヨシのバーカリフォルニア決死隊、そして、諾子=貴伊子の千古の家を訪ねる決死隊だ。(続

2009-12-21 22:52:23
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