にゃん(●ΦωΦ) RT s_n1567: では改めて。九度山を脱出する際の逸話の中から一つ、話します、わん 締まらない語尾はきっと幻ですわん #真田語り
2011-10-25 17:45:06慶長19年。徳川家と豊臣家の手切れが決定的になり、大坂方は籠城準備と共に諸国の大名、牢人達への勧誘を始めるのですわん。 #真田語り
2011-10-25 17:46:16それに応じた、後藤又兵衛基次殿、長宗我部盛親殿、明石全登殿、毛利勝永殿、義父・大谷吉継殿の子、大学吉治殿、細川忠興殿の次子興秋殿らが求めに応じ大阪へ入られるのです、わん #真田語り
2011-10-25 17:47:28大坂方の動きを察知した紀伊国主・浅野長晟殿は、橋本の峠一帯の百姓衆へ、同じく高野山門主と宗徒衆からも「真田の動きと監視を強化すべし」との命が下されます。この頃には父上も亡くなられており、九度山にいる「真田」は当然の事ながら、私の事になるのです、わん #真田語り
2011-10-25 17:51:12私自身は高野山に籠っていましたが、入城勧告の知らせを受け、この強化された監視の目と追捕の手を如何にするか…。と表面上は静かな暮らしを装いつつ思案しました \わん/ #真田語り
2011-10-25 17:54:31九度山で共に過ごす妻妾、子等は、私が高野山に籠っている間、麓の村で幾つかの家々に分散して生活を営んでいましたので、私が九度山を脱出するのならば、その家族や家臣達の安全や移動の手段も考えなくてはならなかったのですわん #真田語り
2011-10-25 17:58:02九度山時代、一応罪人という立ち場でしたので、周囲は監視の目があり遠出は叶いません。父上が御存命の折には、共に日がな一日、囲碁や兵法書を深夜まで読んだり、兵法について話しをしたり…。父上亡き後もも同様な日々と、狩りや近郊の郷士達と兵術鉄砲の訓練などしていたのですわん #真田語り
2011-10-25 18:04:10この頃に、連歌なども知人の勧めでやってはいたものの、その辺りは向き不向き等ありますし…。流れて行く時間と共に、このまま我が一生を九度山で終えるのかとも思いつつ、日々を過ごしていたのです、わん。 #真田語り
2011-10-25 18:06:42勿論、日々の生活も結構しんどい様子で、父上の死後一年の後には母上も他界され、九度山在中には長女と側室も病で亡くし、まあ色々精神的にも辛い出来事も続いたりしたので、私自身体調を壊したりしていましたが…。ともあれ、そんな日々の中の先に来た大阪入城の知らせでした、わん #真田語り
2011-10-25 18:11:35日々の鍛錬も学問も、いつの日かもう一度戦場に立って武士として生きたい…己の可能性を試してみたい…そんな気持ちを密かに内に秘めてはいましたのですわん…。それに、もう結構な年でしたし、これがもしかしたら最後の機会かも…とは思ったのです、わん #真田語り
2011-10-25 18:18:18ともかくまずは九度山脱出。父上の死後、更に少なくなっていた僅かばかりとは言え家族郎党引き連れでは目立つんだわん。知らせを受けた後、上田の旧臣達にはあらかじめ決起の旨を送り、根回しは隠密裏に行っていました。後は監視の目を掻い潜り、九度山を抜ける方法を如何にするか。 #真田語り
2011-10-25 18:21:35上田の旧臣と言っても、この頃の上田は兄・信之殿の統治下。その家臣達もまた同じく、ですのでどの位の者が呼応してくれるか分かりません。ですが、恐らく兄が見逃してくれたのでしょうね…。私の知らせに応じてくれた者達が居たのですわん #真田語り
2011-10-25 18:24:30九度山脱出の方法については幾つかの説があるとお話ししましたが、今回は『九度山脱出みっしょん其の壱・法事を営もう!』についてお話し致しますわん #真田語り
2011-10-25 18:27:00ちなみに他には『九度山脱出みっしょん其の弐・素直にごめんなさいと言おう!』等もあるんですが、まあ今回は置いときます、わん。みっしょん其の壱、についても途中から諸説あるんですが、その辺はまた追々に…です、わん #真田語り
2011-10-25 18:29:05作戦を考え、家臣達と入念に打ち合わせ、『九度山脱出みっしょん其の壱・法事を営もう!』…(武辺拙聞書・山下秘録より)表記の通り、九度山屋敷の外に大掛かりな仮屋を造り、一帯の庄屋や地主の方々から一般の方々まで大勢招いての法事を開く事にしましたのですわん #真田語り
2011-10-25 18:31:33「この度、真田家で父(母)の八周年法要を行いたいと思います。それから、いつもお世話や御迷惑をお掛けしている皆様に、ささやかなご恩返しにと、お酒や料理に土産も準備しました。荷物もあるので、馬をお持ちの方は是非馬でお越しください」と言う様な招待状を送ったのです、わん #真田語り
2011-10-25 18:35:47当日、盛大に法事を終えた後、「さ、湿っぽいのはここまでにして、皆さん盛りあがりましょう」と大量の酒と料理を振る舞わせていただいたのですわん。一部では、その酒や料理の中に眠り薬を仕込んでいたとか何とかありますが、さて真実は… \わん/ #真田語り
2011-10-25 18:38:10九度山では本当に地元の方達には良くして頂きました。私は次男坊ですので、幼少の頃は必要な事はしますけど、気儘に過ごしておりました。他家へ人質としても出されていましたので、そう言う部分での他者との関わりは多く、どちらかと言えば環境の変化にも馴染みやすいと言いますか…1 #真田語り
2011-10-25 18:43:50昔上田に居た頃も城下に気軽に出たりして、町人同士の喧嘩に首を突っ込み巻き添えを食らい、慌てて駆けつけた家臣が怪我をし、父上に叱られると言う事もありましたしね…。わん #真田語り
2011-10-25 18:50:29兄上は後継ぎとしての立ち場を十分に理解されてましたが、私はどうもその辺りが疎く、何故自分の不始末に家臣が出てきたのか分からずオロオロし、反省したのですが。お陰で家臣達の役目とその主家の者としての振る舞いは如何にあるべきか…学ばせて頂いたのです、わん #真田語り
2011-10-25 18:52:03