マヤ暦の終わりの日に接して

来年12月だと思っていたマヤ暦の終焉。今年の10月28日だという説もあったことを突然知ったからか、なんだか「時間」について考えてしまった。その個人的メモ。
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リョウヘイ @Ryohei_TMD

満開になったダリア。マヤ文明が栄えたメキシコ原産。明日はマヤ暦が終わり世界が新たなステップへ移る日だという説がある。 http://t.co/r1mvzsXG

2011-10-27 13:10:36
aλχημεία @ren_stylianos

10/27.生まれ変わりを意味する、さそり座の新月

2011-10-27 21:44:44
リョウヘイ @Ryohei_TMD

【#828 リセット】http://t.co/20rcG6j0 「目覚めの際の深いリセット感。マヤ暦の終わり。蠍座の新月。それらはつながって、ひとつのメッセージとなっているように思えた」

2011-10-28 00:04:15
リョウヘイ @Ryohei_TMD

きょうでマヤ暦が終わるのか終わらないのか、どうやって確かめたらいいのだらふ。

2011-10-28 13:04:20
清水友邦 @gaiabreath

私たちが住む社会は時間が過去、現在、未来に流れていく直線的な世界、何事も必ず終わりがあり。あらゆるものが来ては去り、常に現れては滅びている。10/28マヤ歴の終わりによせて

2011-10-28 08:53:52
清水友邦 @gaiabreath

私たちの社会で死は終わりを意味するが、神話の世界が生きている先住民の世界では生と死は循環し終わりはない。死者や先祖、地上から姿を消したすべての魂、これから地上に現れて来る植物、動物達すべてが時空を超えた夢見とよばれるドリームタイムの中で同時に存在している。

2011-10-28 09:00:32
リョウヘイ @Ryohei_TMD

にしても、時間は螺旋状に進むというマヤ人の時間感覚にはどうも違和感がある。時間は永遠に円環状に開き続けるという古代バリ人の感覚の方が拙者にはしっくり馴染む。

2011-10-28 13:04:43
リョウヘイ @Ryohei_TMD

バリ人の時間感覚に従えば、「(時は)過ぎ去っていく」という表現は、叙事的というより文学的比喩にしか映らない。「(万物は)移ろってゆく」という表現の方が適切に感じる。

2011-10-28 13:08:25
リョウヘイ @Ryohei_TMD

西洋的な直線的時間感覚やマヤの螺旋状時間感覚は、この時空間がいずこかへ向かっているという客観的相対的イメージを想起させ、それゆえ終末思想につながっているように思える。一方バリの円環状の時間感覚は、あくまで時空間を主観的絶対的に捉えているがゆえ逆説的に、叙事的かつ無限・永遠に映る。

2011-10-28 13:22:59
リョウヘイ @Ryohei_TMD

マヤ暦終焉の日に思うこと、つづき。先に書いたことは少し違っていると思えてきた。マヤの螺旋状時間感覚が終末思想につながっているのではなく、マヤ時間を西洋時間が解釈すると終末思想が織り込まれてしまうのやもしれないな。

2011-10-29 01:12:19
リョウヘイ @Ryohei_TMD

おはようござい。世界、まだある。

2011-10-29 00:49:28
リョウヘイ @Ryohei_TMD

時間感覚とは、体感覚や尺度=思想というよりはものの見方のことだろう。

2011-10-29 01:13:22
リョウヘイ @Ryohei_TMD

時間は直線である(方向を持つ)との感じ方には、必然的に始点・終点、比較計測といった概念が含まれ、有限感覚が生じる。と言うより、直線的時間とは比較計測的思考の産物だという気がする。

2011-10-29 01:17:40
リョウヘイ @Ryohei_TMD

時間は円環である(方向を持たない)と見るでのあれば、すべては持続するという無限感覚が生じるはず。で、地球はそれ自身回り続けているし、太陽の回りを周回し続けている。この事実は円環的空間感覚を生じさせる。時間感覚の基礎をこの空間感覚に置けば、無限感覚が生じるように思う。

2011-10-29 01:20:16
リョウヘイ @Ryohei_TMD

いずれにしても、時間が有限であると見れば、人は逆に資源を使えるだけ使おうとするのではないか。時間が無限に持続するものであると見れば、人は逆に足るを知り、自分が生きる空間を永遠に健全に保とうとするのではないか。

2011-10-29 01:22:28
リョウヘイ @Ryohei_TMD

無限に巡る時間の中では、空間感覚こそが重要であり、時間の意味合いは希薄ないし皆無なのかもしれない。そこではおそらく、全存在は積み重なるあるいは淘汰されゆく「個」ではなく、一体となって変化し続ける「全体」として感じられるのではないか。

2011-10-29 01:31:58
リョウヘイ @Ryohei_TMD

そう言えば、少し前までバリ人は常に北の方角を意識していたそうだ。北がどちらかわからなくなるとパニックになると。現代人は時間がわからなくなるとパニックになるだろう。

2011-10-29 01:33:01
リョウヘイ @Ryohei_TMD

無限に巡る時空間の中では、生死もまた全体の変化の一部にすぎないことだろう。であれば、そこでは個の意識の生滅についての頓着もなくなるのではないか。そしてそれゆえに、他の意識即ち命を尊重するのではなかろうか。すべてが永遠に存在するのであれば、何ひとつ奪い合う必要も意味もないからだ。

2011-10-29 01:42:11
Krishnamurti @krishnamurtibot

精神を空しいままにしておきたまえ。あるいは精神を空虚そのものにしておくことである。精神は過去、現在、未来のすべてから自らを浄化したのである。すなわち精神は何かになること、すなわち時間を、きれいさっぱり洗い落としたのである。それゆえ時間が消え、比較計量が姿を消す。

2011-11-01 00:33:10
リョウヘイ @Ryohei_TMD

マヤの末裔のシャーマン曰く。「マヤでは時間は円環状に進むと考える。よって、来年12月23日のマヤ長期暦の終わりは世界の終わりではなく、新たな始まりである」NKK。つまり正月が来るようなものだな。誰だ、マヤ時間は螺旋状に進むと言ってたのは。

2011-11-03 21:06:31
リョウヘイ @Ryohei_TMD

マヤやバリでは、物質も命も循環すると考えられている。そして時間も円環状に進む、つまり循環する。西洋では物質は相互につながりがなく個別に生じて消えるだけ。時間は直線的に進む、つまり後先が生じる。このように、その文明において、物質についての捉え方は時間についてのそれと一致している。

2011-11-03 22:45:31
リョウヘイ @Ryohei_TMD

現代世界に循環型社会を創出する必要がある。が、時間感覚が従来通りの直線型、原因→結果という捉え方では失敗するような気がする。逆に言えば、時間感覚を円環型=循環型に変えることができれば、物質世界もまた自然にそのように変化するのではないだろうか。

2011-11-03 22:49:13
リョウヘイ @Ryohei_TMD

循環型社会とは、原因と結果の区別が無い世界、包括的世界観が創出する社会のことだろう。物の流れだけを循環型にしても、そこに差別や富の偏在といった「後先=比較計測の結果」が生じてはいずれ破綻する気がする。

2011-11-03 22:57:52
リョウヘイ @Ryohei_TMD

この世界にパラダイムシフトが起こるとすれば、それはまず時間感覚についてなのかもしれないと想像したりする今日この頃。

2011-11-03 22:59:07
リョウヘイ @Ryohei_TMD

直線状の時間の上にはない音楽をすることに決めた。発展的音楽ではなく「生成的音楽」を。

2011-11-05 09:32:38