「雨乞いすると雨が降る!」を信じてしまうことについて、認知心理学での解釈を放送大学BS231でやっていて、とても面白かったので「生活知と科学知」第4回から、文字起こしを連投します。 京都大学科学技術社会論 伊勢田哲治氏:伊、信州大学認知心理学 菊池聡氏:菊 と略します。
2011-11-03 05:55:22伊:どうして我々はこういう怪しい健康情報とかそういうものを簡単に信じてしまうのでしょうか。そういうことについて心理学からの分析はされているのでしょうか?
2011-11-03 05:55:49菊:はい。いくつもの観点から分析されていて、それぞれ面白いことがあるんですけれども、一つ一番ポイントになることを挙げるとすれば「体験」が証拠になる、体験が持つヴィヴィッドな力だと考えるべきだと思います。
2011-11-03 05:56:05伊:はい。 菊:怪しい情報というのは何が怪しいかと言うと、科学的常識とか科学的知識に照らして、どうも怪しいということですね。そういう知識をまぁ黙らせてそれよりももっと大きなインパクトがあるものとしたら、やはり「ヴィヴィッドな経験」な訳ですよ。
2011-11-03 05:56:24菊:科学では何と言うか知らないが、とにかくこれを飲んで治ったんだ、これを飲んで良いことがあったんだというような経験が、私達のまぁちょっと怪しいもの対する信じ込みを形る一番大きな要因であると考えられている訳です。
2011-11-03 05:56:39伊:具体的な事例は? 菊:世界中で人間ていうのは「雨乞いをすると雨が降る」という間違った怪しい話を信じ込んだりしている訳ですよ。これはなぜでしょうか?
2011-11-03 05:56:57伊:はい。それはなぜでしょうね。やっぱり雨乞いをすると雨が降るからですかね。 菊:そうなんですね、雨乞いをすると本当に雨が降るんですよ(!)この図を見て頂きたいんですけれども、 http://t.co/ZlPUuH7y
2011-11-03 05:57:30菊:もしも科学的にですね、雨乞いをすると本当に雨が降るかどうか、つまり雨乞いに効果があるかどうかを知ろうと思ったらば、雨乞いをして雨が降った日(図のA)を見ただけでは、それは何の証明にもなりませんよね。
2011-11-03 05:58:08菊:雨乞いをしたらば、どれくらい雨が降って(A)どれくらい雨が降らないか(B)そして雨乞いをしない時に、どれくらい雨が降って(C)雨が降らないか(D)つまり雨乞いをした時の雨が降る割合と、雨乞いをしない時の雨の降る割合を比較して、
2011-11-03 05:59:17伊:なるほど、そうですね。 菊:これが体系的な科学の考え方です。ところが私達はこの全部全て(ABCD)を見るということを人間の心理はしないんですね。ここ(A)だけを見る。雨乞いをしたら雨降るじゃないか、降った日があるじゃないかと。
2011-11-03 05:59:45菊:しかも、これら(ABCD)を全て見ようとしても人間は、ここ(A)ばかりが印象に残ります、あり-ありという肯定的なことばかりが。例えば、雨乞いしないんだけど雨降ってるね(C)なんていうのはあまりに普通の日常的なことですよね。
2011-11-03 06:00:06伊:そうですね。 菊:記憶に残りませんよね。 伊:そうですね、全然記憶に残りませんね。確かに。 菊:逆に、雨乞いしないのに雨が降ってない(D)っていうのは、そんなに日照りが深刻じゃないという事態であんまりこれも記憶に残りませんよね。
2011-11-03 06:00:27菊:しかも人間の心理からいうと雨乞いをして雨が降らないってこと(B)は、ほとんどないんです! 伊:えっ、そうなんですか? 菊:そう、雨乞いは雨が降るまでやりますから、だいたい雨乞いすると雨が降ることになってしまうんです。 伊:ああー、はいはい、なるほどー(笑)
2011-11-03 06:01:02菊:つまり人間は、人間の物の見方でいうとこれらの公平に科学的に見なきゃなんない情報(ABCD)のうち、一部(A)に注目してあとはさりげなく無視してしまうことによって、人間はそういった間違った信念を持ってしまうようになると。 伊:はいはい、なるほど。
2011-11-03 06:01:21菊:更にですね、一度、雨乞いをすると雨が降るっていうような思い込みを人が持ってしまった時に、やはりこの情報(ABCD)の中の私達はどこを見るでしょうか?ということなんですよ。
2011-11-03 06:01:36伊:ふんふん。 菊:どう外したかって普通は聞きませんよね。それと同じで、雨乞いすると雨が降るんだってて言ったら、やはり雨が降った例を見たがりますよね。
2011-11-03 06:02:13伊:なるほど、そうですねぇ。 菊:人間は自分がこうじゃないかなぁと思ったら、それに当てはまる例を予期してそこに注意を向けるようになる。これを人の基本的な心の在り方として「確証バイアス」と言います。
2011-11-03 06:02:25菊:その結果ひょっとすると正しくない2つの関係性を間違って見ることがあるかも知れない。こういうのを「錯誤相関(幻相関)」と言いますけれども、実際には関係がなかったり非常に弱い関係性を、強く感じ取ってしまう。このような傾向性を人は持つことが知られています。
2011-11-03 06:02:46伊:こういうバイアスなんてものを持ってることで困ることが多いように思えるんけれども、なんで我々はそもそもこういう心理的なメカニズムを持っているんでしょうか? 菊:人間にとってですね、全てのことを正しく客観的に公平に判断するっていうのは、実は物凄く手間の掛かることであり、
2011-11-03 06:03:17菊:一部分だけを見たり、そして自分に都合のいい所だけを見て判断するという方が、実は人間にとって「適応的」、つまり、より良く生き残って行くために都合が良かったからと考えられる訳です。正しく判断するためには、先程の4つの升(ABCD)を全部見なきゃならないんですけども、
2011-11-03 06:03:28菊:日常的な場合においてはですね、薬飲んだら熱が下がったなんていう時もそうですけれど、だいたい一ヶ所見ていれば、特徴的な所を見ておけば、おおよそ日常的にはうまくやっていける。逆に全部を精密に見なきゃならないとなると、それは物凄く頭も使いますし逆に素早い判断が不可能になるんですね。
2011-11-03 06:03:45菊:特に人間が危険を感知するであるとか、何かこれをやったら拙いなんて時に、やった時やらない時にどれくらいの割合で拙いことが起こるかなんてことを考える前に、とにかく危ないことは物凄く危ないんだという風に直ぐに判断して、行動に移せる方が人間の生存にとって有利なんだと。
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