- motoyaKITO
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誰もついてこない氏真
今川氏真について行くものが誰もいない。武田の調略が行き届いていたということもあるが、氏真の疑心暗鬼から次々と「今川を支える者」を殺してしまったのが原因よね。 #どうする家康
2023-03-26 20:06:38実際のところ、既に氏真に今川家当主の座を譲っていた義元は西方に注力していた。後方の駿河、遠江の経営を氏真に委任していたと考えられる。 #どうする家康
2023-03-26 20:23:55太守様、あの…「そなたに将としての才はない」の後に、続けたい言葉があったならちゃんと息子さんに言ってあげたほうがいいですよ?なんかあるでしょ、氏真にだって長所が。 いつか伝えようと思っても別れは突然に来る #どうする家康
2023-03-26 20:07:16#どうする家康 繁栄と栄光の都、駿府の幻影と落城からスタート。主だった国衆は離反…何故こうなったって義元公程のカリスマが氏真殿には無かったから。戦時においては、何かが足りなかった人なんだよね。
2023-03-26 20:04:05#どうする家康 この物語の氏真殿はおぼっちゃま扱いに甘んじることなく、か。それでも将には向かないと言い切られてしまう残酷。死ぬる前に一矢と頑なになる。平時なら名君であったかもしれんな。
2023-03-26 20:16:41三浦に反応する武衛
岡部殿「三浦は武田につきました」 武衛たち「知ってた」 #鎌倉殿の13人 #どうする家康 pic.twitter.com/1b3v57xOsl
2023-03-26 20:04:09ここで登場する「三浦」とは今川家重臣である「駿河三浦家」のこと。かの三浦義村の庶長子・朝村の子孫が駿河に居住して国衆化し、今川家に仕えて重臣となったものだとされる。駿河三浦家は今川氏真を見限って一旦は武田家に付いたが、後に徳川家に臣従し生き残った。 #どうする家康 #鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/NWUycIKwaP
2023-03-26 20:02:08ふたつの朝比奈
「朝比奈、三浦、皆武田方に付きました」 とはいえ、朝比奈氏などは人数も多いので氏真に忠義を尽くした人々も多かった。 #どうする家康
2023-03-26 20:02:22駿府が武田の手に落ち、今川氏真は懸川城の朝比奈泰朝に迎えられた。今川家に仕えた朝比奈氏は藤原北家の藤原兼輔の八世孫 堤公国の子、朝比奈国俊の末裔説と、相模の三浦義明の孫 和田義盛の子の朝比奈義秀の子孫説の二つがある。主君への義理堅さは義盛っぽくもある。 #どうする家康 #鎌倉殿の13人
2023-03-26 20:15:11永禄11(1568)年信玄が駿府に入った頃、氏真救援のため北条氏政は先鋒隊を送り蒲原城を占拠、興津川以東(駿東)を抑えると、翌永禄12年正月には信玄と薩埵山で対陣、駿河国内で局所的に戦闘が起こった。また北条氏は氏真が保護されている懸川城にも援軍を送り、徳川勢と対峙している。 #どうする家康
2023-03-26 20:15:25駿府を落ちた氏真が頼ったのは、掛川城の朝比奈泰朝だった。今川普代の家臣が離反する中で、朝比奈泰朝は最後まで今川氏に忠義を尽くしている。 #どうする家康
2023-03-26 20:05:54忠臣の岡部
#どうする家康 岡部元信殿...貴方はそれでも氏真への義理を立てた。 そして、武田にも...高天神... pic.twitter.com/etGclmOpcu
2023-03-26 20:09:24半蔵による癒やしタイム
服部半蔵パートがただの勇者ヨシヒコなのよ #どうする家康 pic.twitter.com/UiEsRNECil
2023-03-26 20:10:59