『大津波のあとに』制作の経緯

『大津波のあとに』制作の経緯 森元修一監督 @mori0423 ご本人によるTweetまとめ。(途中) ドキュメンタリー映画『大津波のあとに』、11月19日(土)から一週間限定ロードショー。岩手県大槌町出身の大久保愉伊監督の『槌音』との二本立てです。 http://fartheron.soragoto.net/
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森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(99) ダンプカーが何台も列を連ねています。川沿いの道が流されたので、急ごしらえで土砂を埋め、その上に鉄板を敷いて仮の道路をつくっています。自転車では止められるかもしれないと思いながら警備員の方にこの先まで行きたいのだけれど、と告げました。…

2011-11-20 14:22:17
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(100) 気をつけて行ってください、とあっさり通されました。何枚もの巨大な鉄板の上を走り、反対側にいる警備の方のところまでたどり着きました。バルーン型の投光機以外は暗闇に包まれて何も見えません。… http://t.co/IoQYzemn

2011-11-20 14:22:29
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(101) 今日はここまでだな、と思いながらも警備の方にお話を伺ってみました。「この先の大川小学校はどんな様子なんですか?」「建物がえぐられたみたいになってますよ。残ってるんですけどなんか、半分えぐられたみたいになってます」…(続く)

2011-11-20 14:22:43
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(102) (続き)翌朝、日の出とともに自転車で出発。前夜、警備の方にお話を伺ったあと、車のある空き地まで引き返し車中泊しました。いつものように寒気で一時間毎に目を覚ましながら迎えた朝。昨夜も通った鉄板が敷かれた道を走っていると高台が見えてきました。…

2011-11-21 12:06:49
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(103) 「そこのところに遺品が置いてありますよ」昨晩、そう告げられた場所でした。そこには大川小学校の児童たちのものであるランドセル、ヘルメット、上履き、鍵盤ハーモニカなどが一列に並べられていました。… http://t.co/IoQYzemn

2011-11-21 12:07:02
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(104) 見つけた方たちがきれいにしたのでしょうか、泥はあまりついていません。近づくと、それぞれのランドセルの横に子どもたちの名前を認めることができました。「全校児童108人中74人が津波に呑まれてしまった」という表現では伝えきれない、…

2011-11-21 12:07:16
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(105) …一人ひとりが固有名をもった人間であるという当たり前のことがその一つひとつの名前に刻み込まれていました。この滞在中、初めて涙が流れてきました。仙台市の荒浜で最初に津波被害の甚大さを目にして以来、私は自分の感情に従うことを封印していました。…

2011-11-21 12:07:28
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(106) 感覚を一度シャットダウンして、現実感を弱めるフィルターをかけてから再起動したようなところがありました。被災した方々の悲しみに感応して、感情的にシンクロしてしまうと、撮影どころか被災の現場にいられなくなるという予感をもっていたのです。…

2011-11-21 12:08:03
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(107) (続き)ランドセルの名前はその防御反応のシールドを壊していました。これは残酷な行為かもしれない、傲慢な行為かもしれない。それでも「74人」ではなくそれぞれが一人ひとりかけがえのない存在であることを映像で残すべきだ、いや、残したい、…

2011-11-21 12:08:21
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(108) …という思いでカメラを向けていました。高台を降りていくと、雷鳴が響く曇天の下に大川小学校がありました。学校の周りにあった住宅は跡形もなく、残った建物は小学校とその近くの病院だけでした。…(続く) http://t.co/IoQYzemn

2011-11-21 12:08:37
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(109) (続き)残ったといっても窓ガラスはすべて破れ、二階立ての屋根には漂着物が残っていました。私は校内に入りました。搜索のための通路として一階の廊下や階段の一部は泥が除かれていましたが、二階の廊下や教室は流されてきた様々なもので一杯でした。…

2011-11-22 12:28:12
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(110) 二階の天井を見上げると泥が乾いて茶色く汚れています。津波が直撃した壁面は窓ガラスどころか壁自体が破壊され、教室がオープンテラスのようになってしまっています。「えぐられた」、昨日警備の方が使った言葉を思い出しました。…

2011-11-22 12:28:27
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(111) 私が立っていたのは、小学校で送られていた日常そのものが津波によってえぐられてしまった空間でした。私はその光景にカメラを向けながら、自分の内面が乾いていくのを感じていました。ランドセルを撮っていたときに涙を流し終えてしまったかのようでした。…

2011-11-22 12:28:52
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(112) 私は感情の平衡が失われているのを感じながら、カメラを構えスイッチを入れたままで泥と廃材で埋まった廊下を校舎の端から端まで歩いてみました。そしてある教室にさしかかったとき、中から会話が聞こえてきました。教室には男性と女性の姿が。…

2011-11-22 12:29:09
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(113) なにか自分の子どもに関連するものが見つからないか探していたのでした。私は最初、「学校の関係者の方ですか」と聞いてしまいました。女性の方が「家族です」と答えました。搾り出すような声でした。… http://t.co/IoQYzemn

2011-11-22 12:29:26
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(114) 映画本篇ではこの後も、大川小学校周辺で出会った方々からいろいろなお話を伺っております。『大津波のあとに』は3月23日から4月1日までの仙台、東松島、そして石巻の記録です。私は津波そのものを見ていません。…

2011-11-22 12:29:43
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(115) 今回に関しては自分が目にしたものだけで構成しようと思いました。私が見た風景、伺った数々のお話、それがこの映画のすべてです。いまはただ、ひとりでも多くの方々に観ていただくことを願うだけです。(了)… http://t.co/IoQYzemn

2011-11-22 12:30:01
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