- motoyaKITO
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Alt+F4の名前で「世界の奇書をゆっくり解説」等のゆっくり解説動画を作っています。アイコンは畠山モグ先生。書籍化した上に続編がでました→「奇書の世界史2」 amazon.co.jp/dp/404605168X
RRRについて、もういい加減ネタバレアリで語るけど、あの映画、エンドロールまでエンタメ一杯と思いきや、急に差し挟まれる現実の政治的主張にギョッとする人も多かったと思います。(主役二人がそもそも実在の人物がモデルではあるんだけど。)
2023-04-18 18:57:24主人公の2人のモデル
ガンディーやネルーは今や教科書から消えつつある
エンドロールで讃えられる対英闘争の偉人たちの中に、我々日本人の多くが知るガンディーやネルーといったビッグネームが居なかったことにお気づきでしょうか。実は現在のインドにおいてこの二人は一部の歴史の教科書から消されるほど追いやられています。 asahi.com/sp/articles/AS…
2023-04-18 18:57:24現在のインド首相モディ氏を始めとするヒンズー教至上主義を唱える人々にとって、対英闘争において「イスラームとの融和」を唱えたガンディーやネルーはインドの誇りを傷つけた者であり、インド独立を勝ち取ったのは彼らの唱える「非暴力不服従」などという弱腰な方策ではなく、
2023-04-18 18:57:25民族義勇団のような血と暴力による闘争であったというのです。(なお民族義勇団はモディ氏の支持母体の一つ) こうした歴史的経緯を踏まえると本作の結末は「現在の主流派の主張に沿った国威発揚映画」という捉え方をされるかもしれません。
2023-04-18 18:57:25とびきり上質なエンタメに乗った政治的主張は、水のような日本酒のように危険な酔い方をするため、本能的に警戒する人がいるのも無理はありません。 ただ私はもう少し穿った見方で本作から監督の真意を読み取ってみたいと思います。
2023-04-18 18:57:26監督は「手と手を取り合う映画」を目指した説
本作はラーマとビームという、実在の対英闘争の英雄を主役に彼らの(存在しなかった)友情と闘いをえがきますが、実は本作、ビームの出身部族から非常に強い抗議を受けています bollywoodlife.com/south-gossip/r…
2023-04-18 18:57:26ビームはデリーの街に潜伏するためにイスラーム教徒の家族に匿われ、自身もイスラーム教徒の服装を身にまといますが、これがヒンズー教徒であった史実のビームへの侮辱であるというのです。 これは、単純にヒンズー教至上主義に阿った映画としては奇妙です。
2023-04-18 18:57:27監督は「潜伏のために最も意外な格好をする必要があった」と答えていますが、他にも結構なご都合主義を通している本作が、ここだけ批判を承知でこの設定を取り入れているのは何故でしょうか。 ここからはあくまでも想像ですが、監督は「橋の下で手を繋ぐシーン」を意識したのではないでしょうか。
2023-04-18 18:57:28監督はバーブバリ以降、いわゆる「汎インド映画」つまりインドの誰にでも届くよう5つの言語に翻訳して公開しており、また部族間の壁を跨いでエンタメを届けることに意欲を燃やしていると語ります。 banger.jp/movie/85137/
2023-04-18 18:57:28そのような視点を経て「橋のシーン」をもう一度眺めると、イスラム教徒の格好をした主人公が、インド国旗(のデザイン元の一つ)に守られて炎を凌ぎ、ヒンズー教徒と手を繋ぐという描写に、一つの意図を感じ取ってしまいます。
2023-04-18 18:57:29前述の通り、現代のインド映画を取り巻く状況は政治的な文脈と不可避ですが、そんな中で「異教徒と手を繋ぎ」「歌による革命」を差し挟めたというのは、ラージャマウリ監督の一つの意地だったのではないでしょうか。
2023-04-18 18:57:30これは卑怯な見解で、「面白かったものを気持ちよく楽しんでいたい」という偏見の結果かもしれません。ただ、強いエンタメの力に二の足を踏みそうな方に、一つの視点をご提供できれば幸いです。
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