11月22日 ~ヴェルナー・メルダース大佐の最期~

ヴェルナー・メルダース大佐の最期について弟のVictor Molders中尉にお話ししてもらいました。
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もちはらみなみ @rokuharaminami

WWIの英雄 Oswald Boelckeに憧れたメルダースさん。偉大な英雄と同じく運命的な最期を遂げるメルダースさんのキーワードは…やはり"Boelcke"なのでしょうね。 ではお休みなさい。

2011-11-21 23:40:09
アドルフ・ガーランド(bot) @Adolf_Galland

今日は我らが敬愛するヴェルナー・メルダースの命日だ。

2011-11-22 07:00:12
ヴェルナー・メルダース @Molders_bot

Guten Morgen、Victor Mölders中尉です。今日は私の兄ヴェルナーの70回目の命日にあたります。私は兄が死亡した時カナダの捕虜収容所におり、その詳しい経緯を知りませんでした。これから兄の死について私が調べたことをお話したいと思います。

2011-11-22 07:00:19
もちはらみなみ @rokuharaminami

左側がガランドさん、右側はリュッツオウさん。ガランドさんの2人後ろはエーザウさん? RT @ww2db: Today in history, 21 Nov 1941: The funeral for Ernst Udet was held http://t.co/AID23XrM

2011-11-22 07:20:20
ヴェルナー・メルダース @Molders_bot

私が1946年に釈放されたとき、長兄ハンスからヴェルナーの死は計画的なものであったという噂話をききました。これはヴェルナーが強い宗教的信条の持ち主であったことから生まれた伝説であり、ヴェルナーの戦友アドルフ・ガランド中将も否定しています。

2011-11-22 07:30:19
アドルフ・ガーランド(bot) @Adolf_Galland

ドイツの最高の武勲章を身に付けた六人の戦闘機パイロットに加わり、空軍省の厳かに安置されたウーデットの棺の儀仗兵を務める私の心を、悲しい思いや楽しかった記憶が次々とよぎっていた。われわれは鉄兜をかぶり、完全な軍曹を整え、特大の空軍用の短剣を帯びていた。

2011-11-22 08:00:11
ヴェルナー・メルダース @Molders_bot

まずヴェルナーの死の直前の状況についてお話します。1941年9月に戦闘機隊総監に任命された彼は東部戦線で急降下爆撃機と戦闘機と地上攻撃機を組み合わせた戦闘航空群の指揮に当たっていました。

2011-11-22 08:00:20
もちはらみなみ @rokuharaminami

戦闘機隊総監というのは幕僚職であって命令系統には属さない。通常、作戦の指揮権はないと思うのですけれど、クリミアでのメルダースさんも海峡突破作戦時のガランドさんも部隊指揮をしてますね。臨時に権限をもらう??

2011-11-22 08:22:45
もちはらみなみ @rokuharaminami

戦闘機隊総監の権限がどこまでなのかというのが前からの疑問。ガランドさんは上には総統と国家元帥を仰ぐだけだ、的な事を言っていたけれど。

2011-11-22 08:24:32
ヴェルナー・メルダース @Molders_bot

当時JG52に所属していたギュンター・ラル少佐によれば、「毎朝、メルダースはフィーゼラー<シュトルヒ>を操縦して、最前線の情況偵察に飛んだ。専用の無線機が彼の商売道具だった。偵察を終えると前線の陣地に着陸し、最前線のタコつぼ壕に入る」

2011-11-22 08:30:19
アドルフ・ガーランド(bot) @Adolf_Galland

メルダースもこの中に加わるはずだった。100機撃墜を記録したあと、彼は前線の任務を解かれ、戦闘機隊総監に就任させられていた。しばらく前から、彼はクリミヤの戦闘機隊と行動を共にしていた。悪天候のため、彼はベルリンでの国葬に間に合わなかった。

2011-11-22 09:00:11
ヴェルナー・メルダース @Molders_bot

「そこから上空のパイロットを無線で呼び、目標の位置や特徴を正確に指示するのだ。夕方になると基地にもどって来て指揮官会議を開く。彼がその日の戦闘の概評を述べ、攻撃に成功した場面とうまく行かなかった場面を皆で検討し、次の日の出撃に備えるのだった。」

2011-11-22 09:00:19
アドルフ・ガーランド(bot) @Adolf_Galland

ウーデットの葬儀は非常に盛大だった。ゲーリンクは、ベルリンの北にある戦没者墓地まで、棺の背後を付いて行った。

2011-11-22 10:00:10
ヴェルナー・メルダース @Molders_bot

「この時期の戦闘は実に激しく、危機的な情況が続いた。メルダースがウーデットの葬儀に向けて出発する三日前、部隊は補給支援の上で苦境に追い込まれていた。弾薬、燃料、予備部品などが底をついていたのだ。」

2011-11-22 10:00:19
アドルフ・ガーランド(bot) @Adolf_Galland

私は第二戦闘航空団の指揮官エーザウとともに、海峡への帰途についた。われわれの列車がリッペの小さな駅に付いた時、駅長が上ずった声で私の名前を呼びながら、記者に並んで走ってきた。「ガーラント中佐、お電話です!」私は汽車から下りた。

2011-11-22 11:00:11
ヴェルナー・メルダース @Molders_bot

「そこで、彼はベルリンに飛んで帰って最高司令部と直談判してでも、補給を確保したいという気持ちになった。『私は補給が欲しい』と彼は言っただけなのだが、彼の場合にはそこまで考えた上での言葉だった。」 このような状況のなか、ウーデット上級大将の葬儀参列の命令が届きました。

2011-11-22 11:00:19
アドルフ・ガーランド(bot) @Adolf_Galland

赤い帽子をかぶった駅長はすっかりとりみだしていた。この小さなリッペの駅では、政府からの緊急の電話で急行列車が停止するというのは、かつてなかった事件に違いない。私は受話器を取った。ボーデンシャッツ大将が電話に出た。

2011-11-22 12:00:12
ヴェルナー・メルダース @Molders_bot

ヴェルナーは機構の非能率と補給の不足のために、クリミアでの航空作戦が十分に展開できず、ひいてはドイツ軍将兵の犠牲を大きくしている現実を、自分自身で上層部に説明し、解決の途を開いて来るために良い機会だ、と張り切っていたそうです。

2011-11-22 12:00:21
もちはらみなみ @rokuharaminami

「彼は素晴らしい戦術家だった。私の彼への憧れは尽きることがなかった。彼は偉大な機知と素晴らしい人格の持ち主だった。彼は私が今まで会ったなかで最も高い信念を持った男だった。」Gunther Rall

2011-11-22 12:04:16
もちはらみなみ @rokuharaminami

メルダースさんのそばで仕事ぶりを見て来たラルさんの、感慨深い言葉。メルダースさんとラルさんの接点は少ないけれど、僅かの時間でもその人柄が伝わったのでしょうね(´-`)

2011-11-22 12:09:22
ヴェルナー・メルダース @Molders_bot

ヴェルナーはKampfgeschwwader 27 "Boelcke"の第III飛行隊のHe111に搭乗してウクライナからドイツに帰国することになりました。

2011-11-22 12:15:19
回遊魚ノブノビタ💜🤍🩶🖤 @nobunobita

ベルケとは切っても切れないのね・・・ RT @Victor_Molders: ヴェルナーはKampfgeschwwader 27 "Boelcke"の第III飛行隊のHe111に搭乗してウクライナからドイツに帰国することになりました。

2011-11-22 12:17:47
回遊魚ノブノビタ💜🤍🩶🖤 @nobunobita

何でファティの後任がガランドさんだったのかってたまに思う。ファティの2番目に100機撃墜したフランツルではダメだったのか?多分、あの職は撃墜数が重要ってわけではなかったんだろうね

2011-11-22 12:29:01
ヴェルナー・メルダース @Molders_bot

III./KG27の飛行隊長はコンドル部隊での戦友のひとりである男爵ハンス=ヘニング・フォン=ボイスト大尉であり、ヴェルナーは大尉の手配を喜んで受け入れたといいます。そしてこのHe111を操縦したのは、やはりコンドル部隊での戦歴を持つ古参のパイロット コルベ中尉でした。

2011-11-22 12:30:19
もちはらみなみ @rokuharaminami

KG27 Boelckeは戦略爆撃機部隊 → http://t.co/gUugWOLZ 第III飛行隊長 Hans-Henning Freiherr von Beust http://t.co/JTgYxMoP

2011-11-22 12:36:21
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