「アレジア」 少女は足を進める。 ひるがえる黒い外套はわずかに光沢を持っている。遠目の印象よりもずっと上質な生地だ。 変色した金属を、丸い革靴が踏んでいく。
2011-11-25 17:46:05「アレジア」 少女は足を進める。 肩から胸に巻きついた鎖の音は濁りなく澄んでいる。純度の高い貴金属の音だ。 ときどき、襟元の鈴が、いーん、と鳴る。
2011-11-25 17:48:25「アレジアってば!」 そこで少女は足を止めた。 外壁の途切れるところ、遺跡と遺跡を繋ぐ橋に出たのだ。 乱立するかつての遺産が突風を生み、少女のまとう全てを煽る。
2011-11-25 17:54:08「もー。先頭を歩くなっていつも言ってるじゃないですか……」 後ろから小走りに追いつてきたオトリが、その肩をのけて前に出ようとする。 しかし、アクアレジアは動こうとしない。ただ眼下の景色を見下ろしている。
2011-11-25 17:56:01地下の魔天楼。 ひどく現実感のない、石とも水晶柱ともつかない建造物の、ここは最上階のようだった。 橋の下には空すら含んだ深い谷があり、地の底には世界樹の根に蹂躙された街が見える。
2011-11-25 17:56:53「……アレジア? 何をすねてるんです」 たしなめるような声色でもう一度呼びかけるが、アクアレジアはその景色を見つめたまま動かない。 ただ、肩に置かれた手を払うようにして、払いきれずに重ねて、 「綺麗だね」 そう呟いた。
2011-11-25 17:58:54「…………」 オトリはしばらく鳩がトリックステップを喰らったような顔で固まっていたが、とりあえず重ねられた手を払う。 「いやその、アレジア? 頭大丈、やっぱ最近変じゃないですか? アグルさんにカリナン展開でモリビトとの決着取られたのがそんなにショックで」 「うるさい」
2011-11-25 18:00:22首は横に振られた。やや苛立った返しからして一応思うところはあるようだが、そうではない、らしい。 「……昔。お前に無理やり木を登らされたろ。覚えてるか」 「ああ。丘の上の。アレジアったら運動不足のもやしなんですもん。泣きそうな顔してましたよねえ」 「違う。綺麗だったんだ」
2011-11-25 18:09:54彼女たちのみならず、冒険者たちが初めて見るはずの光景。 しかし、アクアレジアは懐かしそうに目を細めていた。 「誰の声も聞こえない。……高いところから見たエトリアの街は綺麗だった」 そして、 「私はエトリアをそういう街にしたい」
2011-11-25 18:12:49オトリも見下ろす。アクアレジアが綺麗だと言ったものを。 「無駄なもののない、違うもののない、高いところに登らなくても、誰の声も聞こえないような……そういう正しい街にしたい」 「……そーですか」 肯かず、声だけで応えた。 眼下の街はどう見ても滅びている。
2011-11-25 18:14:28「アレジアは……そーですよね。ずっと昔から、そう」 「私のことはいい」 「ええっ、今度はらしくもないことを」 「茶化すな。茶化さないでくれよ」 少女は少女に向き直る。
2011-11-25 18:16:53「お前はどうなんだよオトリ・フランチェスカ。……お前ほどのやつが、どうして貧困層の顔みたいな男に手を貸す? 得体の知れない根なしの移民とつるむ? 学も職も選べたくせに、衣食住の足りない世界に足を突っ込もうとする?」
2011-11-25 18:18:46なのに。 「どうしてまた、私の前を歩こうとする……?」 沼のような瞳に、弱い光が揺れていた。 「お前はいったい、何がしたいんだ?」
2011-11-25 18:19:39「…………」 アクアレジアは鳩が奇想曲を喰らったような顔で固まって、しかしすぐに視線を落とした。 「お前もそうだ。ずっと昔から」 「ここで私が、ウェーイとか言って、貴女も皆も手玉にとった壮大な計画でも明かしたら納得します?」 「納得する。奇声は知らんが」
2011-11-25 18:24:42「そう。……アレジアはバカですねー。私はどこにでもいる普通の女の子なのに」 「嘘をつけ」 「嘘じゃないです」 語気が、少しだけ強まって、
2011-11-25 18:33:12「確かな本当です。なーんにもないですもん。アレジアやアグルさんのように理想を叶えたいわけでも、パナシアさんやディザームさんのように自分を高めたいわけでも、ジンニャンやリステルさんのように隙間を満たしたいわけでもない」
2011-11-25 18:33:57けれど。 「したいことなんてなくっても、……何もせずに生きてくことなんてできないんです」 空のような瞳に、強い闇が揺れていた。 「それは絶対にやっちゃいけないことなんですよ」
2011-11-25 18:34:53そしてオトリは前に出る。 橋の中ほどに、強い殺気があったからだ。 地底の空に霞んだふたつの人影には見覚えがある。氷の剣士と、小さな呪い師だ。 私も、ブシドーやってたらカッコつきましたかねえ、と笑って。 「ほらアレジア! ――何もしなきゃ死にますよ!」
2011-11-25 18:36:56