「細野不二彦の凄さ」が、最近の作品「デビルマン外伝 人間戦記」などから話題に~アシ経験者の思い出も

デビルマン外伝 人間戦記は、タイトルからわかる通りもう一世代前のレジェンド・永井豪の名作のスピンオフです。アシ体験を語るのは、一色登希彦氏。
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一色登希彦 @ishikitokihiko

/16 既に、完っ全に出遅れてるんです 出遅れたまま、才能も努力も焦りも無いまま、しょうがないから親や周囲に圧迫されて大学の文学部なんか行っちゃう 4年間また、映画作ったり漫画描いたり、「なんかチャンスぶら下がってこないかな」と過ごす 当時の仲間を悪く言いたくないけど、そういう佇まいで

2023-09-05 18:59:46
一色登希彦 @ishikitokihiko

/17 当時の仲間を悪く言いたくないけど、そういう佇まいで過ごす人が多過ぎて、とても楽しくて、ダメでしたね (でも大学の仲間で言うなら、その中から、今、みんな知ってる、ちゃんと自分の名前で作って発して生きてる人が何人もいて、それはすごいなと 1人は10数年後に小学館のブースで再会した笑)

2023-09-05 19:07:45
一色登希彦 @ishikitokihiko

/18 映画に関しては、ずいぶん多くの「自主映画」に参加して、自分程度以上の才能にさえ出会うことが出来ずに、これはどうやっても仕事にしようもないなと諦めました 実際は、大学の時に『王立宇宙軍』が公開されて、観て、その瞬間に本当に諦めた 『DAICON』の時点で悟れよって話なんですけどね

2023-09-05 19:15:22
一色登希彦 @ishikitokihiko

/19 漫画に関しては、大学在学中に、数回(たしか3回)、作品を描いて、漫画誌の新人賞に応募して、全部「最終選考」まで残って入賞はしない、編集者は連絡をくれる、という、もう漫画家になれないあるあるの見本みたいなことを何度もやって過ごして学生時代を終わらせてしまった 卒業して“プー”ですよ

2023-09-05 19:20:36
一色登希彦 @ishikitokihiko

/20 日航機が墜落し、チェルノブイリが爆発し、ベルリンの壁が崩壊し、いったいこの先どうなるかわからんけど、まあ日本、一生を楽しく過ごすくらいなら問題ないよね、と、実はバブルが崩壊しかけているんだけどまだ末端は気が付いていなかった…みたいな時代? まあお父さんお母さんに訊いてくれな

2023-09-05 19:26:25
一色登希彦 @ishikitokihiko

/21 大学も出ちゃって、“プー”ていうか“フリーター”ていうか、ホントすんません、テキトーに生きながら、「これは漫画の仕事を目指す以外に生きてはいけないのでは?」と思い、編集者に紹介されるまま、漫画家さんのアシスタントのヘルプ仕事に行ってみるわけです 本当、もう、“黒歴史”なんですよ、

2023-09-05 19:32:50
一色登希彦 @ishikitokihiko

/22 月決めのアシスタントではなく、日給払いのまあ「ヘルプ」みたいな感じの仕事で、自分で思い返す限り、本当に横柄で無能で、 「言われたことはやりましたけど?」みたいな ああ今思い返しても絶叫したくなります! 本当にごめんなさい!(お世話になった人が、読んでいる可能性はあるんですよ…

2023-09-05 19:43:00
一色登希彦 @ishikitokihiko

/23 (まあただ主観の相違もありまして、のちにお話もする作家さんの何人も、「いや別にそこまでヒドい仕事態度じゃあなかったですよ」と言うてくれたりはします 自覚とか主観の違いもあると思いたいのですが、とにかく傲慢で不満だらけで、イヤな奴でした、イヤな奴です、自分) そんな中、

2023-09-05 19:46:35
一色登希彦 @ishikitokihiko

/24 そんな中、自分の能力の低さも思い知り、 「これは、仕事云々の以前に、自分が昔から心から好きだった漫画家さんに仕事に就いてみて、学んでみないことにはもうどうにもならないんじゃないか?」と思い至り、その漫画家さんの「アシ募集」の告知が雑誌に載らないか探すのね(ほぼストーカー まあ

2023-09-05 19:55:58
一色登希彦 @ishikitokihiko

/25 まあそれで、募集告知見つけて応募して、採用してもらったのが、細野不二彦さんです それが、90年頭、デジタル以前の資料が乏しく、多分1991年だったと思います ので、冒頭の「細野不二彦の90年代」を語れる筋合いはあるのでは、 自分語りはこの辺で、 細野不二彦語りにシフト出来るかと思います

2023-09-05 20:03:37
一色登希彦 @ishikitokihiko

前フリなのにウンザリするくらい長いな この先も長いと思うな 話が長いんだよ俺は

2023-09-05 20:18:29
一色登希彦 @ishikitokihiko

【細野不二彦さんのアシだった時代/26】 「細野不二彦」といえば? 伝説的デビュー作の『クラッシャージョウ』 『さすがの猿飛 』 『Gu-Guガンモ』 『ギャラリーフェイク』 『太郎』 『愛しのバットマン』 作品数の10分の1も言えてない キャリア全部を追って網羅している人って少ないと思います

2023-09-05 21:25:44
一色登希彦 @ishikitokihiko

/27 『週刊少年サンデー』で始まった『さすがの猿飛』に出会ったのは僕は中学生の時で、その時のサンデーって伝説的黄金時代の始まりだったんです 現れて名を成した新人作家さんが今でも全員現役で描いていると言って大袈裟じゃないくらい、ものすごいことになっていて、 でも僕は、皆が

2023-09-05 21:30:09
一色登希彦 @ishikitokihiko

/28 僕は、皆が『うる星やつら』に夢中になっていくのに目もくれず、細野不二彦の絵と台詞とコマ割りに夢中になっていきました どういう理由だったのかは、あとになると明確に判明します 多くの人が忘れているんですけど、80年代の「細野不二彦の絵」って衝撃的に流麗で、誰も真似が出来なかった

2023-09-05 21:35:00
一色登希彦 @ishikitokihiko

/29 その、「ペンタッチが神」だった細野不二彦が変化するのって、評にあるように、80年代終わり、90年頭、細野さんが完全に仕事の軸足を少年誌から青年誌に移したタイミングです 僕がスタッフとして入ったのが91年(か92年春先)なので、その印象はとても強く残っています twitter.com/takeda1967/sta…

2023-09-05 21:42:57
タケダ1967 @takeda1967

時期もはっきりしてんすよ。88~89年頃なの。BLOW UP!の辺り。ずっと不思議だなと思ってたんだけど数年前の細野先生の談話で「手塚先生が亡くなったときに自分が代わりにその量を描くんだと。ウダウダしてる時間はないんだと」そう決めたと言ってて,ああなるほどーと。手塚先生の量を目指してたのかと

2023-09-05 07:59:27
一色登希彦 @ishikitokihiko

/30 僕が入ったのは、スピリッツの『ギャラリーフェイク』がまだ不定期新連載開始直後の第2話、ヤングサンデーの新連載『太郎』の第1話の時です この時、細野さんの仕事場、連載しながら大ごとになってて、チーフ1名以外総入れ替え(何があったかは不明)、新しい4名のうちの1人が自分でした

2023-09-05 21:55:38
一色登希彦 @ishikitokihiko

/31 思い返すとわかるんだけど、仕事場はガタガタでした いきなりチーフに昇格した既存スタッフ(絵はめっちゃ上手かった)1名と、勝手がわからん新人スタッフ4名 (ちな、自分以外は、既に自作品が賞を取って雑誌掲載歴がある人ばかりで、自分だけが何にもキャリアがない馬の骨でした

2023-09-05 21:59:01
斉藤地獄堂 @SAITOHJIGOKUDOH

でも「絵が荒れた」みたいな評判も立たなかったんだよなあ…いろんな漫画家に対して意地悪くそう言う奴結構いるのに。 twitter.com/takeda1967/sta…

2023-09-05 22:06:26
タケダ1967 @takeda1967

細野不二彦先生の作風って不思議で,デビュー時から凄まじく上手くて絵で粘る作家という印象だったんだけど(82年の時点でこの巧さだからね)ある時期からスタンスが変わった感じがするのね。1コマの絵に粘らなくなったというか(別に雑というわけではない)絵より作品量をこなすことが主眼になったというか pic.twitter.com/kXwlapGZua

2023-09-05 07:57:28
一色登希彦 @ishikitokihiko

/32 おまけに細野さん、その時期から猛烈に仕事量(ページ数)を増やし、週刊2本・隔週刊1本・月刊3本・必ず読切1本、という、狂気のペースで仕事を受け始めた時期でした(ウィキも正確に記録できていない) 月産200頁を超え、300頁を目指す勢いだった 関係者ならわかると思いますが、マジ狂気です

2023-09-05 22:07:10
一色登希彦 @ishikitokihiko

/33 その反動の評価も出てました 今さら師匠本人に怒られても利害はないので書きますが、当時のファンや関係者、あまりの量産シフトと、そのために絵のクオリティが荒れに荒れてしまったことに、「細野さん、どうしちゃったの?」という評判が間違いなくありました 僕が入ったのはそういう時期だった

2023-09-05 22:11:13
一色登希彦 @ishikitokihiko

/34 のちに細野さん本人からたくさん話してもらったことなんですが、 「少年誌で上手く行かなかったことを踏まえ、青年誌に、そして量産に向かった」と 「少年誌で上手く行かなかった」って、何だと思います? 「高橋留美子を超えてトップに立てなかった」って言うんですよ いやちょっと待って

2023-09-05 22:16:22
一色登希彦 @ishikitokihiko

/35 このままだと、少年漫画のフィールドで、高橋留美子の存在の下でチョロチョロと綺麗な絵を描き続けている漫画家になっちゃう そうじゃない所を目指してみるしかなかった…と、こういう意味のことを、これは本人がそう話してくれました 絵柄はメタメタに荒れました そらそうですよ、

2023-09-05 22:21:38
一色登希彦 @ishikitokihiko

/36 週刊連載1本なら月産72頁のところを、月産300頁を目指す仕事を始めてしまった おまけに5名のスタッフのうち4名は自分を含めて勝手が掴めない新人です 当時の単行本、今、ちょっと読み返してみたんですけどね、スタッフが稚拙で、チーフ以外のあらゆる絵を細野さんが直して仕上げてるんですよね

2023-09-05 22:26:54
一色登希彦 @ishikitokihiko

/37 細野さんが、手塚治虫そして彼に続く作家世代の仕事の量を目標にしていたのは本当です これは、これも本人が話してくれたのは前に挙げた通りです 「彼らは月産500とか600描いてた 僕らができないのはおかしい 目指すべきだ」 いやちょっと待って twitter.com/ishikitokihiko…

2023-09-05 22:34:48
一色登希彦 @ishikitokihiko

102/ お師匠(細野氏)は言うわけですよ 「手塚石ノ森永井さんたちは、月産で500ページとか平気で描いてた 僕らがそれをできないのはおかしいだろ!」って おかしいのはあんたたちだよ! 悪いけど時代とフォーマットが違います 描き込みの密度や語り口のペース ひとりの漫画家が月産100枚超は無理

2022-12-31 21:46:46
一色登希彦 @ishikitokihiko

/38 細野さんの仕事への姿勢を目の当たりにして、その頃に僕が思い浮かべたのは、宮崎駿監督です 今ではさらに確信するのですが、2人の仕事のしかたと仕事の量、ものすごく似ています(それに次ぐように見えるのが庵野さん 手塚治虫を仮想敵・目標に掲げているところもよく似ている

2023-09-05 22:42:56
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