人はなぜ演劇に惹かれるのか

「人はなぜ、たくさんの娯楽や芸術のある中から演劇に惹かれるのでしょう。演劇が私たちに与える変容とは、何なのでしょうか?」との問いに、ひびのけいさんが答える。
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ひびのけい @hbnk

1988年の三回目のモスクワ芸術座来日公演を見に行った。あのとき見たワーニャの絶望した表情は未だに脳裏にこびりついて離れない。まさに「一生を無駄にしてしまった」と悔いている男の顔だった。無駄にした一生に起きた様々な事件が彼の頭のなかで走馬燈のように駆け巡っているのが「見えた」。

2011-12-05 11:13:52
ひびのけい @hbnk

本物のリアリズム演劇とは見えないものを見えるようにするワザなのだ、ということをまざまざと思い知らされてくれる体験だった。一人の人間の裡からにじみ出て、ぼんやりとした輪郭を形作る「感情」の芸術。落語でも歌舞伎でも能でも、よい舞台芸術はすべて同じなのだ、と知ったのはもう少し後のこと。

2011-12-05 11:19:20
さとう @harunh78

@keihibino 日比野先生。人はなぜ、たくさんの娯楽や芸術のある中から演劇に惹かれるのでしょう。演劇が私たちに与える変容とは、何なのでしょうか?なんで自分がこんなに演劇を必要とするのか、よくわからないのです。

2011-12-05 17:11:06
ひびのけい @hbnk

@kewasan えええ。それはとても大きい問いですが、すでにご質問のなかに答えは出ていると思いますよ。演劇が魅力的なのは身体的・感覚的変容を演者・観客ともに体験し、現在の諸条件によって規定されている自分という存在が本来様々な可能態をとりうるということを体感させてくれるからでは。

2011-12-05 17:14:39
ひびのけい @hbnk

今ここにいる自分はちっぽけな存在にすぎないけれど、演劇を演じたり見たりすることで私たちは自分が変わりうることを今更のように知る。それは子供のときのごっこ遊びですでに味わった感覚ですが、大人になると私たちは忘れてしまうので、芝居を見てたとえば自分が泣いているのを見て驚くわけです。

2011-12-05 17:19:53
ひびのけい @hbnk

あとは連帯の感覚かな。身体的・感覚的変容の体験はたとえば恋愛やセックスでも味わえますが、たくさんの人間とともにあるものを見て、そこで一様に似たような感情や感覚を味わうというのは他にできませんから。

2011-12-05 17:22:02
さとう @harunh78

@keihibino その体感によって何を得るか、何を感じるかというのは、個人によって様々である、と考えていいのでしょうか。それと、演者、演出家、作家の意図を考えることは、研究者や興味を持った場合でない限り、特に考える必要ってないのでしょうか。

2011-12-05 17:25:43
ひびのけい @hbnk

更に「蕩尽」の感覚。何か大切なものを無駄遣いしてしまったという怖れと喜びの入り交じった感情を味わうこと。演じるほうも見るほうも、時間とお金をこんなに「無駄」にしているわけですよね。そしてそれは決して取り返しがつかない。その事実に後ろめたさを感じつつ他では得がたい快楽を手に入れる。

2011-12-05 17:26:48
ひびのけい @hbnk

最後の感覚は博奕や女にはまると味わえますがw この三つが組み合わさった感覚を味あわせてくれるのは演劇とかローマ帝国末期の剣闘士とライオンの戦いとか、ナチスドイツの時代のヒトラーの演説会とかぐらいでしょうか。あとの二つは時代に巡り会わないと体験できないので人は演劇に走ると。

2011-12-05 17:30:28
ひびのけい @hbnk

@kewasan 特に考える必要はないとも言えますが、人間考えておかないと忘れるんですよ。その貴重な体験を。忘れてしまうとその快楽が自分に絶対に必要だってことも忘れてしまう。そうしないためにも、自分の体験が自分にとって何だったのかを分析することは必要だと思います。

2011-12-05 17:35:51
ひびのけい @hbnk

別のいいかたをすれば、作り手の「意図」を考えることは、それが当たっているとか当たっていないとかにかかわらず、自分のために必要だってことです。作り手と架空の対話をすることで、自分にとってそれがかけがいのないものであることを再確認する。そうしてそれを忘れない、ことが大切です。

2011-12-05 17:38:43
さとう @harunh78

@keihibino ありがとうございます。なんだかいろいろと納得しました。いい舞台をみた時ほどなぜか配偶者に後ろめたい気持ちになるのかも(金銭的な理由だけでなく)、はっきりわかってしまった気がしますw

2011-12-05 17:40:19
ひびのけい @hbnk

人間便利にできていて、手に入れた快楽を忘れることもできる。でないと一日中セックスばかりしていることにもなりかねない。でも「忘れた」ってことを忘れると、その快楽から遠ざかり、人生は面白味のないものになる。セックスのあとの睦み合いのように、観劇にも「反芻」が必要なのはそういうこと。

2011-12-05 17:41:00
ひびのけい @hbnk

将棋とか囲碁には感想戦があって羨ましいと思う。芝居のポストパフォーマンストークも「反芻」には違いないけれど、感想戦に比べると生温い。前も書いたかもしれないが、菊池寛が偉いのは『演劇新潮』ではねたばかりの芝居の作り手と評論家を複数並べてガチンコ対談をやらせたこと。今誰かやらんかね。

2011-12-05 17:47:07