富野アニメ論-難波さんによる-

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KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko

宮崎でなく富野、っていう話は 当時の終末論やオカルトのブーム(今と違ってかなりガチだった、単に「ブーム」とは云い捨てられないほど)との絡まりで ナンブさん @nanbashura が世界一詳しく、また見通しがいいと思います

2011-12-06 11:55:50
KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko

(メジャー系では角川が そこに並んで加えられるべき現象だった、とボクには思われます)

2011-12-06 11:59:36
難波修羅 @nanbashura

リクエストのようなのですが、富野関係は苦手なので、少々違う話題でお茶をにごすことに。富野はそもそも左翼なのか右翼なのかという観点からして、非常に論ずることが難しい。

2011-12-06 14:20:55
難波修羅 @nanbashura

ガンダムはそもそも大きくパレスチナ問題を取り上げる意欲が盛り込まれている。しかしその前のイデオンでは、大量絶滅と進化の主題が、もっと古くはトリトンで戦後日本の倫理的な出発点を。一見矛盾して見える主題もおそらく内的に一貫している。

2011-12-06 14:26:26
punipico @punipico

@nanbashura イ、イデオンはガンダムの後ッス……!

2011-12-06 14:27:27
難波修羅 @nanbashura

イデオンでは絶滅と転生が描かれる転生は右翼に特徴的な主題だが、しかしこの終末的描写は冷戦下の左翼的なイマジネーションに発するものと思われる。このねじれはなんなのか?

2011-12-06 14:47:14
難波修羅 @nanbashura

結論にたどり着くことはおろか、事実確認すらまともに出来る気がしない、デスマーチ。

2011-12-06 14:48:40
難波修羅 @nanbashura

富野論は団塊世代論を避けられない。まず、団塊世代がアノミーと共に生まれた世代であるということを抑える必要があり、このアノミーがまた半死半生の上ねじれたものであるということを考える必要がある。

2011-12-06 14:53:57
難波修羅 @nanbashura

転生という宗教的テーマを考えなければならない。「七生報国」が如何にして終末的絶滅のテーマになるのか。そして同時に80年代オカルトブームで醸成され、富野がいち早く幻滅し、オウムで最後の破綻を見る流れを。

2011-12-06 15:01:03
難波修羅 @nanbashura

左派と終末観についてはルカーチ絡みで論じられる人もいるのかもしれませんが、私の手には余ります。さて、ここまで述べてきた所で、富野の描くテーマは右翼的に見えるだけで、単に左翼的テーマが被っただけではないのかと見る向きも充分あると思います。

2011-12-06 15:05:44
難波修羅 @nanbashura

しかし、先に半死半生のと言ったように、そもそも左翼的スタイルを選択するその志向自体がエートスによるといえる。新世代の進化を訴えつつ、全く新しく生まれつつあったオタク的な価値様式を未成熟と、軽蔑し失望する。その「成熟」の観念は正に批判対象である戦中派とともに自明のものとする…。

2011-12-06 15:14:05
難波修羅 @nanbashura

その保守性を、富野はむしろ積極的に肯定する。ニーチェ的強度の思想は彼の中核的テーマで、首尾一貫している。が、これこそ右派なのか左派なのか混乱を招いた原因でもあるが、最近は小室・宮台氏の啓蒙により、右派的なニーチェ主義よりということが理解されると思う。

2011-12-06 15:20:56
難波修羅 @nanbashura

また、近年富野自身が自らの思想はハンナ・アーレントに近い旨のことを述べており、ほとんど確定で良いのではないかと思う。私の関心はむしろ、輪廻という宗教性の日本における位置づけの変遷のほうにある。

2011-12-06 15:29:31
難波修羅 @nanbashura

なぜ富野は、転生という主題において、左翼から出発しながら、かなり早い時期から日蓮主義の石原莞爾とさして違わない終末的イマジネーションを展開することになったのか。

2011-12-06 15:34:44
難波修羅 @nanbashura

そして、もうひとつどうしても言わねばならない主題、ループものと輪廻転生の決定的差異。この転換の意味は途方もなく大きい。

2011-12-06 15:36:46
難波修羅 @nanbashura

輪廻において世界と社会は継続する一貫性のあるものであり、不条理の謎は個人の過去世にあり、神義論は問われず、悪の責任は個人に帰着する。逆にループものは個人の主観だけが継続し、世界の義は問われ、悪は初期値の構成に探される。

2011-12-06 15:41:18
難波修羅 @nanbashura

七生報国。そこには、奉仕する国家が自分の人生を賭けるだけの価値があるものか?という問いはない。もしないならあるものにせねばならぬ、ないことがその根拠となるという、超越論的設定なのだ。このマインドセットこそが、アノミーで死ななかったものだ。個人の死もまたそのように位置づけられる

2011-12-06 15:47:57
難波修羅 @nanbashura

この死んでいない戦時下のエートスは、今もって死んでいない。人が死んで生まれかわるという信仰。それは来世の可能性から言及されるのか、そのように信じる事を選択したから為されるのか?二世の因果応報は窮極の自己責任論の基盤でもあり、同時に厳格でありながら善悪の窮極の根拠を持たない。

2011-12-06 15:58:47
難波修羅 @nanbashura

来世を信じる信じないの作為の契機を経ずして、多くの日本人は仏式の、輪廻転生を前提とした葬儀を執り行う。このため、僧侶は死が何であるのか問う前に儀礼的プロセスの中に遺族を巻き込んでその意味と虚無を忘れさせてしまう死の封印者となっている。

2011-12-06 16:05:07
難波修羅 @nanbashura

戦前善悪の窮極の根拠を、疑似唯一神である天皇に僧侶たちは進んで献上した。それは宗教の国家管理政策である三条の教則を積極的に受け入れたことによる。そうして、仏教の翼賛体制は出来上がり、今に至るまで続く疑似信教の自由を創り上げていく。

2011-12-06 16:11:48
難波修羅 @nanbashura

戦前大衆を馴致していた天皇を特異点とする善悪偶有性の封印は、前後「みんな」となり、占領政策として利用されていく。そして、靖国神社は解体を免れて転生は終わることなく続いていく。終わる事無き苛烈な奉仕が課せられ続けることにより、終わりの望みが戦争を呼んだように、終末を呼ぶ

2011-12-06 16:25:40