【 Information 】奥村雄樹「ジュン・ヤン 忘却と記憶についての短いレクチャー」http://t.co/o0dkv0dy
2011-12-03 14:43:21AGブログ更新しました。: 奥村雄樹「ジュン・ヤン... http://t.co/v6frMnuN
2011-12-09 10:00:29奥村雄樹「ジュン・ヤン 忘却と記憶についての短いレクチャー」12/11(日) - 21(水)[月休]10AM-5PM 東京芸大(上野)絵画棟1Fアートスペース http://t.co/7fEL1gxe ※博士審査展の一環です http://t.co/OWxGseZr
2011-12-11 01:25:2111/17に僕の企画で実施したジュン・ヤンによるレクチャー http://t.co/deoTjs2q を元にした30分の映像作品です。毎時0分と30分頃から上映。通訳:小林禮子、撮影:藤井光、字幕:荒木悠。
2011-12-11 01:28:06ジュンのレクチャーに来てくれた方にも、新たな体験を与えるような作品になってます。というか、来てくれた方こそいろいろ味わえると思います。
2011-12-11 01:49:48奥村雄樹「ジュン・ヤン 忘却と記憶についての短いレクチャー」 http://t.co/y8lFqpKj を観てきました。素晴らしい作品。またあとでツイートします。
2011-12-11 15:04:22“@stskgnzw 芸大博士審査展で、奥村雄樹さんの作品《ジュン・ヤン 忘却と記憶についての短いレクチャー》を見てきました。30分の映像作品。翻訳という行為によってなされる、自身への、当の他者への誤解も含んだ乗り移り。降霊、憑依のごとく、身体を変形させずして他者の生を生きること
2011-12-11 16:55:20RT @stskgnzw: また、博士論文「身体の非実在性がもたらす超次元的経験の諸相についてー「うつる」という概念を手がかりに」は未完ながら100頁超のハードな論考。1日かけてじっくり読みたいと思うiものでした。時間の都合で序論で断念したものの、こちらも面白かった!
2011-12-11 16:55:44奥村さんの作品面白い。以前m&rで拝見した作品から、一連のコンセプトがあるけど、今回はよりシャープになっている。『解釈』を通して物事が変容する過程と、それに纏わる身体性。色々な可能性を感じることが出来ました!
2011-12-11 20:46:28奥村雄樹『ジュン・ヤン 忘却と記憶についての短いレクチャー』 http://t.co/y8lFqpKj (以下『JY』)について。「AであるときはBではなく、BであるときはAではない」という状況(デュシャンの『ラリー街11番地のドア』のような)を扱った、映像と音声による彫刻作品
2011-12-12 14:10:27…なのだが、正確に言うと『JY』にはAしか存在しない。それはちょうど、片面しか絵が描かれていないソーマトロープ http://t.co/bCDdnzXd のようなもので、そこに描かれているのは通訳者の絵だけであり、その裏側には何もない(「裏面」もない)。
2011-12-12 14:10:47これは比喩ではなく、実際に作品の構造がそうなっている。通訳者(の身体)を表とするなら、裏にある(べき)ジュン・ヤン(の身体)は編集によって丁寧に排除されている(それを知り得るだけの情報は残されている)。ゆえに、表は不在の裏を飛び越えて自らを自らに接合し続けることになる。
2011-12-12 14:10:57また、単独で見ても、通訳者はその半身である聞く身体を排除されることで、話す身体として(のみ)反復的に接合されている(『ラリー街11番地のドア』 http://t.co/F8Euzyhf 的な性格は僅かに残されているが)。こうして、奥村が回す片面ソーマトロープは二重化される。
2011-12-12 14:11:08『JY』は表と裏(あるいは実と虚)の残像が重なり合うことで何かが生み出されるような、そうしたファントム的な作品ではない。ここでの表(実)は裏(虚)を奪われたものとしてあり、表(実)の接合の連鎖は同時に、奪われた裏(虚)の接合ならざる接合の連鎖ならざる連鎖でもある。
2011-12-12 14:11:26通訳者の圧倒的な存在感(素晴らしい撮影と録音の成果だ)と、驚くほど希薄で凡庸なジュン・ヤン。『JY』においてジュン・ヤンの存在は不可欠だが、それはすでに存在していない。存在しないものが、自らの不在を不在へと接合し続けているのであり、それはファントム的なものかもしれない。
2011-12-12 14:11:36と、唐突&極端なところが多々ありますが、ひとまず http://t.co/y8lFqpKj についてのメモ的なまとめでした。
2011-12-12 14:15:13『JY』におけるジュン・ヤンの不在(あるいは奥村によるジュン・ヤンの排除)は、ジュン・ヤン自身の言葉(を通訳した小林禮子の言葉)を借りれば「オリジナルではなくオリジンを信じる」態度の表れなのだろうか。
2011-12-12 14:26:52東京芸術大学博士審査展。映像を用いた2作品が印象的でした。たしかに「(ナルキッソスよりも)エコーの方こそがむしろ、現代的な感受性にそのモデルを提供している」(ペルニオーラ)。
2011-12-12 18:17:04