高橋源一郎さん(@takagengen):午前0時の小説ラジオ「祝島で考えたこと」

高橋源一郎さん@takagengen → 祝島は「中国電力・上関原子力発電所」への反対運動を30年も続けている島です。ある理由があって訪ねました。そこで感じたのは、予想とちがったものでした。うまく説明はできません。島を歩き、島の人たちと話しながら、ぼくは、「原発」とは関係のない、けれども、ぼくにとってひどく切実なことを考えていたのでした。
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高橋源一郎 @takagengen

祝島23・「帰っておいでよ」曾祖母たちは、よくそんなことをいっていた。でも、ぼくは戻らなかった。いろんなものをよく贈ってくれた。みんな、ダサかった。だから、両親に「こんなものいらないよ」といった怒られた。その人たちが死んだ時も戻らなかった。ぼくは、田舎を捨てたのである。

2011-12-12 00:55:35
高橋源一郎 @takagengen

祝島24・だが、「田舎」を捨てたのは、ぼくだけではないだろう。都市が田舎を、中央が地方を捨ててきたのだ。晩年、母親は「最後は田舎に戻りたい」といっていた。「お金は心配しないで」とぼくはいった。母親は淋しそうだった。そんなことは問題ではなかった。戻るべき田舎は消え去っていたから。

2011-12-12 00:57:41
高橋源一郎 @takagengen

祝島25・祝島は、幸福感に満ちあふれた場所だ。けれども、ぼくは、同時に、耐えられないほどの、深い後悔の気持に襲われ続けた。ぼくは、ただ恥ずかしかったのだ。ぼくが捨てた人たちのことを思い出さざるをえなかったから。

2011-12-12 00:59:37
高橋源一郎 @takagengen

祝島26・祝島の「反原発」運動は成功するかもしれない。それでも、そう遠くない未来、この島に住む人たちはいなくなるだろう。だとするなら、こんなところには希望がない、といえるだろうか。それは、ぼくたち都会に住む者の傲慢な論理ではないのか。

2011-12-12 01:02:11
高橋源一郎 @takagengen

祝島27・祝島は、みんなで手をつないで、ゆっくり「下りて」ゆく場所だ。「上がって」ゆく生き方だけではない、そんな生き方があったことを、ぼくたちは忘れていたのだ。それは、確実に待っている「死」に向って、威厳にみちた態度で歩むこと、といってもいい。

2011-12-12 01:04:08
高橋源一郎 @takagengen

祝島28・そこで手をつないでいるのは老人ばかりで、でも、その内側には、守られる雛鳥のように、小さな子どもたちが、ほんの少しだけ歩いている。

2011-12-12 01:05:24
高橋源一郎 @takagengen

祝島29・「祝の島」に、全校生徒2人の小学校に、たった1人の新入生の入学式のシーンがある。そこには、たくさんのおばあさんたちも出席している。その子は「みんなの孫」なのだ。島の人たち全員によって、守られ、愛されるべき存在なのである。

2011-12-12 01:06:57
高橋源一郎 @takagengen

祝島30・ぼくは結局、祝島のように場所では、生きてゆくことができないだろう。そこは、ぼくにはもう、単純すぎるし、清冽すぎる。ぼくは、ぼくの知った「自由」に「汚染」されてしまっているから。けれども、この場所にいると、ぼくの中に、どうしても否定できない思いが溢れるのである。

2011-12-12 01:08:45
高橋源一郎 @takagengen

祝島31・それは、ほんとうは、ずっと前から、ぼくも知っていたものだ。そして、忘れようとして、忘れずに残っていたものだ。そのことを思い出すためには、この場所が必要だったのである。

2011-12-12 01:11:02
高橋源一郎 @takagengen

祝島32・世界中にそんな場所がある。若者たちはみんな「外」に出ていく。でも、残され、捨てられてもなお、その場所に残り、出て行った者たちのことを忘れず、愛と呼ぶしかないものを贈り続ける人たちがいるのだ。

2011-12-12 01:14:25
高橋源一郎 @takagengen

祝島33・ぼくはただ頭を垂れたい。なにに向ってかは、わからないにしても。以上です。今晩は、聞いていただいて、ありがとう。

2011-12-12 01:15:19