- motoyaKITO
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今までの秀頼は、淀君の言いなりで、武勇や智略などとはかけ離れた悩める青年というイメージで描かれることが多かったように思う。だが、#どうする家康 の秀頼はガラリと違う。淀君の影はちらつくものの、先々を読んだ「いやらしい」振る舞いは、家康の評するように「涼やかで様子のよい秀吉」だった。
2023-11-26 20:20:09正信の屁理屈
#どうする家康 第45回「二人のプリンス」 このあと夜 8:00 放送! 秀忠の世に憂いは残さない…! 豊臣との問題を解決するために 秀頼を二条城に招待する家康だが… 🔻 前回を2分で振り返る nhk.or.jp/ieyasu/video/4… #徳川家康 #松本潤 pic.twitter.com/Jf4AEjrI4Z
2023-11-26 19:00:00二条城対面でしたたかさをみせる秀頼
/ 「ともに世を支えてまいりましょう」 成長した秀頼はまるで秀吉 !? \ 下座に座るはずが…!!! 出し抜かれた家康、すまし顔でへりくだる秀頼。 🔻 この行動が徳川に危機をもたらして…? plus.nhk.jp/watch/pl/9d7e7… #どうする家康 #徳川家康 #松本潤 #豊臣秀頼 #作間龍斗 pic.twitter.com/W1pL8lr4Vy
2023-11-26 21:05:00#どうする家康 #どうする絵 気高く笑顔のすてきなプリンセスかと思いきや、なかなかの賢き若君。あれは、秀吉じゃ…と殿が脅威を感じている雰囲気がなんともいえない。しかも文武両道…きっとその恐ろしさは信長や秀吉が感じたものと一緒なのでは…と思いました。(個人の感想です) pic.twitter.com/q5Q7PyQODf
2023-11-26 20:56:23まー、要請によって居城・拠点から出て相手の城に行き挨拶する、という行動自体が、この当時「臣従」を表していたらしいのですが。小牧長久手の講和後、秀吉の要請によった家康の「上洛」が臣従を意味したのはこのためですね #どうする家康
2023-11-26 20:11:40二条城対面、ここで加藤清正は秀頼の忠臣として描かれていますが、実際には家康の子であり、清正が舅となった徳川頼宣の「後見」として、つまり徳川親族として参列していました #どうする家康
2023-11-26 20:13:55二条城対面では、加藤清正、浅野幸長といった「豊臣恩顧」とされる人々が、「家康の親族」として参列しており、彼らがすでに徳川体制に組み込まれた存在であることを可視化した場でもありました #どうする家康
2023-11-26 20:21:52秀頼下座を素直に喜ぶ秀忠
猫はかわいい
大阪城で浅野長政に猫捜索を命じた秀吉を筆頭に、肖像画にまで猫と一緒に描かれる千姫など猫好き一家に囲まれていた秀頼はおそらく猫大好きだったのではないかと想像しています。 #どうする家康 pic.twitter.com/PtQHQE7rkE
2023-11-26 20:20:35でも、秀頼公と千姫のご夫婦は仲睦まじいようで、それは心和む。良かったね千姫。猫を可愛がるご夫婦うつくし。 #どうする家康
2023-11-26 20:21:26