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『二津野航跡譚』 ――年末年始が終わり初めての三連休中日。奈良県十津川村で行われる駅伝大会のスタート地である、奈良交通十津川営業所駐車場近くの二津野ダム湖面には、重巡艦娘熊野の姿がありました。 #艦これ小噺
2024-01-21 22:57:03アラフォーの私は生まれも育ちも奈良県の秘境十津川村。恥ずかしながら小学校で転校した女の子への初恋を忘れられず、男やもめの実家暮らしを今まで過ごしてきました。
2024-01-21 22:57:33田舎で暮らしていると、それなりに地域の運営に携わる仕事が回ってきます。その年私に科せられた役目は、年始の村内駅伝大会の運営でした。
2024-01-21 22:57:57毎年行っていることだから、引き続きの通りに無難にこなせれば良いと思っていた私の考えは、責任者の「次の開催はメモリアルだから、なにか特別なことをやりたい」という思いつきで爆発四散したのです。
2024-01-21 22:58:23運営会議は難航しました。誰も責任者の言う「特別なこと」の案が浮かばなかったのです。企画立案のための話し合いがあっというまに四方山話に代わり、昨日熊野灘沖で艦娘と深海棲艦の戦闘があった話題から、「艦娘、呼んだら良いんじゃない?」という素っ頓狂な提案がなされました。
2024-01-21 22:59:00特に代案もなく、「よろしく」と実務を丸投げされた私は、訳もわからないまま防衛省に電話し、事のあらましを説明しました。電話に対応された係の方も、「はあ、検討致します」と気の無い返事を返され、まあ無理だよな。普通にやりましょうよ、と次の会合で責任者を丸め込む言葉を考えていました。
2024-01-21 22:59:52奈良交通の特急バスで来村された熊野さんは、「重巡艦娘の熊野ですわ」と上品な言葉遣いで、テキパキと企画の具現化について話されました。
2024-01-21 23:00:53村内で熊野さんが航行可能なのは十津川温泉街が広がる二津野ダム湖畔がちょうどいい。なら出発地は湖も見えるバスの駐車場で。流石に急峻な十津川を遡上することは難しいので仕事はスタートの時だけになる。
2024-01-21 23:01:56それは少し寂しい。スタートの号砲と伴に、艦載機の瑞雲を発艦させ、ドローンのように空から模様を中継・録画しましょう。 艤装の運搬方法、艦載機の飛行や発砲など諸々の許諾の取り方、当日の流れ。こういった折衝を数多くこなされたのでしょう。熊野さんとの打合せは半日ですんなり終わりました。
2024-01-21 23:02:52帰りの特急バスが来るまでの時間、一息ついた私達は村内で数少ない喫茶店で、四方山話を始めました。目下の私の疑問は、なぜ深海棲艦の跳梁が確認されたこの時期に、この不要不急の最たる催しに熊野さんが派遣されたのかということでした。
2024-01-21 23:03:17「実はわたくし、この春に退官いたしますの」熊野さんは寂しさと、迷いのなさを混ぜた表情を浮かべながら、きっぱりと私に告げました。
2024-01-21 23:03:38部隊の引き継ぎもほとんど済ませ、深海棲艦が出現しても出撃するとかえって後任の艦娘に迷惑になる。半ばご隠居状態だった熊野さんは、是が非でもとこの過疎地域の呑気な催しに参加を申し入れしたのだそうです。
2024-01-21 23:03:59「いろいろな海を見てきました。大勢の死を見てきました。深海棲艦の骸も、艦娘の武運拙い最期も。災害派遣の任を帯びたときは、たくさんの人のそれも。水漬く屍とはよく言ったものですわ」
2024-01-21 23:04:24「小さい頃に親の都合で引越をして、初めて海を知りました。思いもかけず適性があって艦娘になり、駆逐艦娘を降り出しに軽巡、重巡になり、残念ながらわたくしのキャリアはそこで行き詰まりました。まごまごしているうちに身体も頭も変化についていけなくなり、艤装を下ろす潮時を迎えたのです」
2024-01-21 23:04:47「辛いことも悲しいこともありましたが、水面を駆けるその清々しさはわたくしの生きがいであり、誇りでした。最期に敵も味方も死なない任務があるのなら、これほど幸せなことはないと思いまして」
2024-01-21 23:05:10「それが、まだ決まってませんの。幸いお給金は使う暇もなくて残っているものですから、引越するときに分かれてしまった初恋の人の今を探ったりとか、すこし好き勝手に生きてみて、ゆっくり考えようと思っておりますの」
2024-01-21 23:05:55バスの時間が着て、熊野さんは晴れやかな顔で我が村を後にされました。ふと、私は十津川村が「心身再生の郷」を目指していることを思い出しました。熊野さんのこころが、からだが、この催しとこの土地で、少しでも癒やされれば良いなと、そんなことを思いました。
2024-01-21 23:06:37駅伝大会当日。ちぎれ雲が流れる冬のピリッとした晴天の中、新宮から遠路はるばる軽トラで持ち込まれた艤装を背負い、熊野さんは二津野ダム湖へ降りる階段を注意深く下りました。
2024-01-21 23:06:59「艦娘熊野来たる」の宣伝が功を奏し、いつもより多い参加者が屯するバス駐車場から見える位置に、熊野さんは滑るように湖面を駆って行きました。ドローンを積んだ瑞雲を発艦させるために、合成風力を作り出そうと熊野さんが湖面を全速で前進します。
2024-01-21 23:07:29二つの航跡から下駄履きの飛行機が打ち出され、観衆から感嘆の声が上がるのと同時に、熊野さんは主砲を空に構え、轟音が辺りに響きました。
2024-01-21 23:08:29メモリアルの駅伝は大成功を収め、熊野さんは瑞雲を収容し、ダムの湖面から地上に還ってきました。熊野さんに私は問いました。熊野さん、もしかして、あなたは小学校まで十津川村に居ませんでしたか?
2024-01-21 23:08:58