- themselfish
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はじめに
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「能登半島地震」のポストを眺めていたら、「仙台メリーさん」なるワードが…。調べてみたら「あぁ、あの時こんな事があったんだ(選挙時の騒動については横目に素通りでした)」というかんじです。有名なヤギ様なのですね。今更ですがまとめてみました。
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非公開にしておくつもりが、誤って公開してしまいました。目新しい情報はありませんが、よろしければどうぞ。
【情報解禁】 鎌田さゆり公式ホームページいよいよ2月15日オープン。Facebookページも開設しました。#鎌田さゆり pic.twitter.com/eTRmc7mxbq
2020-02-12 00:49:111995-04-09
仙台市議会議員選挙 当選
❝ 1995年(平成7年)、仙台市議会議員選挙に当選し、1997年(平成9年)まで同市市議会議員(自由民主党会派所属)を務めた。❞
1998-07-12
第18回参議院議員通常選挙 落選
❝ 1998年(平成10年)、自民党仙台市連合会の推薦を受けて、第18回参議院議員通常選挙に宮城県選挙区(定数2名)から立候補、期限付き地域振興券の発行など、新党平和や公明党に近い政策を訴えたが、同選挙区で3人目の自民党系候補であったこともあり、落選した。❞
2000-06-25
第42回衆議院議員総選挙 当選
❝ 民主党に移籍し、2000年(平成12年)の総選挙で宮城2区から立候補し当選、衆議院議員に就任した。❞
2003-11-09
第43回衆議院議員総選挙 当選
❝ 2003年(平成15年)11月、第43回衆議院議員総選挙に宮城2区から立候補し、再選。❞
2004-12-24
議員辞職願を提出、衆院議員を辞職
❝ 2003年(平成15年)11月、第43回衆議院議員総選挙に宮城2区から立候補し、再選。(略)しかし、翌12月、鎌田や今野東(宮城1区)への投票を呼び掛ける電話作戦をマーケティング会社に業務委託したとして、全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会(電機連合)宮城地方協議会議長ら9人が、公職選挙法違反容疑で逮捕・起訴された。これを受け、2004年12月24日に鎌田は議員辞職願を提出、自ら衆院議員を辞職した。なお、起訴された議長らは全員有罪が確定している。仙台高等検察庁は、5年間の同一選挙区からの鎌田の立候補禁止を求め提訴、2005年(平成17年)3月22日、裁判所は鎌田に、宮城2区からの立候補を5年間禁止とした。❞
2005-07-31
仙台市長選挙 落選
❝ 選挙違反事件の連座制適用のため宮城2区からの5年間の立候補禁止を命じた判決の後、2005年(平成17年)7月の仙台市長選挙に民主党を離党し、無所属で立候補した。民主党宮城県連は自主投票を決めたが、民主党からは党代表(当時)の鳩山由紀夫や鎌田と同期の国会議員数名が応援に駆けつけるなど、民主党内における、地方と中央のねじれを見せ付けるかたちとなった。同31日に行われた投票の結果、新人で元経済産業省職員の梅原克彦が当選し、鎌田は6万票近い差で落選。❞
2012-12-16
第46回衆議院議員総選挙 落選
❝ 第46回衆議院議員総選挙に民主党公認で宮城6区から立候補したが、小野寺五典に敗れ、比例復活ならず落選。❞
2015-10-25
宮城県議会議員選挙 当選
❝ 2015年(平成27年)10月の宮城県議会議員選挙に泉区選挙区より民主党推薦無所属で立候補し第1位で当選した。❞
2017-10-22
第48回衆議院議員総選挙 落選
❝ 2017年(平成29年)10月22日の第48回衆議院議員総選挙に無所属で宮城2区から出馬。公示日の10月10日に自動失職した。当初は希望の党に公認申請していたが、安全保障法制の廃止を求める考えを示し、無所属として立候補すると表明した。希望の党と立憲民主党のはざまに立った鎌田は、「リベラルの信念を持っている。タカ派とは違う」と述べつつ「勝てる選択をしたい」とも話した。共産党が候補を鎌田に一本化したこともあり、自民現職の秋葉賢也と接戦となったが、1,316票差で敗れた。❞
2017-12-28
民進党を離党
【民進党】
❝ 2016年3月27日に、民主党に維新の党が合流し、改革結集の会の一部、無所属である議員も参加して、民主党が改称する形で結成された。そのため新党結成という形をとってはいるが、総務省に届出をしている法人としては、旧民主党が解散せずにそのまま同一団体として存続していた。結党時から2017年9月までは衆議院、参議院両院で野党第一党を形成していた。
2017年9月28日、第48回衆議院議員総選挙直前に希望の党に合流するという前原誠司民進党代表の案が党常任幹事会で承認され、両院議員総会においても全会一致で採択された。この結果、衆議院議員選挙では、民進党としては公認候補をたてず、衆議院選挙の立候補予定者は、希望の党の公認候補になるはずであった。
ところが、希望の党から合流を拒否された左派系や、旧民主党政権色の濃い議員(野田佳彦前首相、岡田克也元外相など)らは、10月3日に枝野幸男が結成した立憲民主党へ入党したり、民進党に党籍を残したまま無所属で立候補した。
この衆議院議員選挙後、民進党には参議院議員が多く残っていたため、同年10月27日の両院議員総会で希望の党への合流方針を撤回した。その後、旧民進系3党の再結集を模索し、立憲側は再合流を断ったものの、希望側の一部は応じたため、2018年5月7日、国民民主党に党名を変更した。❞
【鎌田さゆりさん離党】
❝ 11月24日、年内に民進党を離党したうえで立憲民主党に入党する意向を表明した。12月16日、仙台市で開かれた立憲民主党のタウンミーティングに出席して来年元日に入党する考えを示し、同日の民進党宮城県連大会後に民進党に離党届を提出した。12月28日、民進党宮城県連は離党届を受理した。
2018年(平成30日)1月1日付で旧立憲民主党に入党し、宮城県連の幹事長に就任。そして同月10日の党常任幹事会において宮城2区総支部長に選任された。❞
2020-09-29
次期衆院選 宮城2区公認候補に内定
❝ 2020年(令和2年)9月29日、旧立憲民主党と旧国民民主党の合流新党である「立憲民主党」は常任幹事会を開き、鎌田を次期衆院選宮城2区公認候補に内定した。❞