岡田斗司夫 の twitter 公開読書 「先生はえらい」内田樹 著

本のリアルタイムまとめ。 岡田さんの解釈・意見と、フォロワーの質疑応答について。
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岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

「これからどうしたいか?」という同じ質問に対して学校の先生には「大学に行きたい」、友達には「ギターやりたい」、そして親には「うるさいなぁ」と、相手によって答が違ってしまう。どれもが「本当に思っていること」を口にしてるだけなのに。

2010-05-22 10:49:45
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

いや、全ての師弟関係の根源だよRT @shike: 落語の師弟関係だ。QT @ToshioOkada 「師の素晴らしさを知ってるのは私だけ」というのは、つまり自分がいなければあなたの真価を理解するのはいなくなるという意味。”だから私は生きなければいけない”と #otakingex

2010-05-22 10:50:36
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

記憶も同じ。私たちは「思い出している最中」に「思い出してる出来事」を再構成する。目の前の人によって伝えたい部分が違うし、語り口も違うから。 #otakingex

2010-05-22 10:52:10
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

ジャック・ラカンの「前未来形で語られる過去」 誰かに話をするとき、相手のリアクションによって話し方や順序を変えたりする。ではその話を語ったのは自分だけか?目の前の相手が存在しなければ、「今の話」は存在しない。岡田注:僕の言う「質問は回答に優る」理論ね #otakingex

2010-05-22 10:55:27
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

真剣な対話において、話してるのはその二人ではない。言う気がなかった言葉が二人からどんどんあふれ出していく。そんなとき私たちは「自分はいま、本当に言いたいことを言っている」と思う。二人のその瞬間の関係性が創り出した言葉。 #otakingex

2010-05-22 10:58:04
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

気持ちの良い対話では、お互いに「言うつもりの無かったこと」を話して、「本当に言いたかったことを言った」という達成感を味わう。聞く側も「聞くつもりの無かった話」を聞いて「前から聞きたかった話を聞いた」ような満足感を覚える #otakingex

2010-05-22 11:00:36
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

言い換えると、当事者のそれぞれが「そんな欲望を自分が持っていたとは知らなかった欲望に気づかされる」。これが対話の本質。 #otakingex

2010-05-22 11:01:44
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

ここから「沈黙交易」の話が続く。面白いけどはしょるね。僕の経済に関する知見は、このあたりにポイントがあるので、評価経済に興味がある人は読んでください。経済とは「等価の交換」ではなく「まず一方的な贈与から始まる」という歴史的考察が書いてあるよ #otakingex

2010-05-22 11:04:26
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

ここまでをまとめる。その1:人は、自分の考えていることを、自分が”語り終えた言葉”を通じて知ることができる。その2:人が語る時、その語りを導くのは「聞き手の欲望」である。ここから学びの話。学びもコミュニケーションであり、「わかる」とそれが終わってしまう #otakingex

2010-05-22 11:07:56
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

ノート術は「裏切らないなんでも話せる架空の対話相手」を作る方法だよRT @maki_home: 対話じゃないけど、ノート術で気づくことがある。RT : 当事者のそれぞれが「そんな欲望を自分が持っていたとは知らなかった欲望に気づかされる」。 #otakingex

2010-05-22 11:09:00
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

「もうわかったよ」「その話はもう聞きました」は友好的なメッセージではない。「わかったから黙れ」というサインである。真に友好的なメッセージとは「もっと話を聞かせて。あなたのことが知りたい」つまり「私はあなたがまだわからない」ということ。 #otakingex

2010-05-22 11:10:54
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

コミュニケーションを駆動するのは、たしかに「理解し合いたい」という欲望。しかし理解に達してしまうと対話は終わってしまう。理解を望みながら、理解できないという宙づり状態をできるだけ延長するのが、私たちの望み。 #otakingex

2010-05-22 11:12:51
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

男子「オレのこと好き?」女子「好きよ!」男子「その好きじゃなくて!」という対話。コミュニケーションでは「意思の疎通が簡単に成立しないように」、いろいろ仕掛けがしてある。 #otakingex

2010-05-22 11:14:49
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

コミュニケーションは、常に誤解の幅があるように構造化されている。逆に言うと「誤解の幅」イコール「完璧を逸することのできる創造性」である。つまり「先生の言葉を弟子が誤解できる幅=解釈の余地」 #otakingex

2010-05-22 11:16:48
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

誤解と訂正がコミュニケーションの階梯。誤解されて、訂正しようとした時に「もういいよ。わかってるから」と言われると私たちは一番傷つく。 #otakingex

2010-05-22 11:18:09
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

さて、話は大本に戻って、先生と弟子の関係。私たちが敬意を抱くのは「有能な先生」でもなければ「人格的に立派な先生」でもない。「謎の先生」である。「先生の中には、私には決して到達できない境地がある」を実感した時のみ、弟子は震えるような敬意を抱く。 #otakingex

2010-05-22 11:23:36
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

そのためには、¥先生は実際に卓越した技術や知識を持ってる必要はない。「先生が伝えられるものの価値」がすでに知られていて、生徒が対価を提供できるような人は、すでに「謎の先生」ではない。 #otakingex

2010-05-22 11:26:14
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

その人がいったい何を知ってるのか想像が及ばない先生、それが「謎の先生」である。 #otakingex

2010-05-22 11:26:55
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

先生の教えを正しく理解するのが弟子ならば、弟子にはたった一人の正解者がいればいいだけになってしまう。しかし、人間の個性とは「誤解の独自性」。「まだ師匠の言うことが理解できない」と思い悩むそのものがコミュニケーションの本質。「理解への欲望と、未達への喜び」 #otakingex

2010-05-22 11:30:37
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

全ての弟子は師を理解することに失敗する。でもその失敗の独自性において、他の弟子では代替できないかけがえのない存在として師弟関係は成立する。 #otakingex

2010-05-22 11:32:06
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

「大人」と「子ども」の分岐点は、このコミュニケーションによる誤解の構造に気づくかどうか。「大人」になってわかるのは、いつも「自分のバカさ加減」だけ。なにかわかって賢くなると思っていたら、まだその人は「子ども」 #otakingex

2010-05-22 11:33:58
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

古代中国、漢の時代。張良という武将の浪人時代の話。張良は黄石公という老人を師匠として仕えた。しかしこの老人、な~んにも教えてくれない。張良もだんだんイライラしてくる。 #otakingex

2010-05-22 11:37:41
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

ある日、張良が街を歩いていると馬に乗った先生にあった。先生は左足の靴をぽろりと落としてしまった。「拾って履かせて」と命令されて張良は内心むかっとするけど、ここは弟子の義務と言うことで拾って履かせた。ところが翌日、また街であった先生は靴を落とした。 #otakingex

2010-05-22 11:41:03
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

先生は今度は両足の靴をぽろっと落として「拾って履かせて」と命令。張良はさらにむかむかっとするけど、ここは我慢とまた拾って履かせる。その瞬間、張良はすべてを察知して先生の教え全てを理解し、免許皆伝になった #otakingex

2010-05-22 11:43:30
岡田斗司夫@オタキング @ToshioOkada

これ、すごくヘンな話。なにを会得したのかの説明もない。なぜ、も説明されない。だいたい、奥義が一瞬で伝達されるはずもない。つまり奥義とは知識や技術ではなく「コミュニケートする仕方」に関わる謎であろうとしか推察できない #otakingex

2010-05-22 11:45:37