@m2i046
小倉城の普請を仰せつかったんも加賀山や。関ヶ原後禁教令がきつうなったときに切支丹はどんどん処刑されてったんやけど、加賀山を殺したくなかった忠興さまは「口先でええから信仰を捨てろ」とまで仰られてな。それでも神を裏切れない、と加賀山一家は甘んじてそれを受け入れたんや
2011-12-23 21:12:16
@m2i046
どうしても殺したくなかった忠興さまは最初加賀山を追放にとどめたんやけどな、結局処刑されてもうて……加賀山はそれをよろこんだとすら言われとるな。ほんに宗教いうんは、……まあ、そういう時代やったんよ
2011-12-23 21:13:07
@m2i046
ここまで説明しとって、私が亡くなった(と自分で言うんも変やけど)んが1612年で、加賀山が亡くなったんは1619年やから、あれやねんけどね? あ、加賀山の洗礼名はディエゴやで
2011-12-23 21:15:31
@m2i046
求政さま(1526~1590)、藤孝さま(1534~1610)、義輝さま(1536~1565)、麝香さま(1544~1618)、秀清さま(1547~1600)、私(1550~1612)、立行(1557~1607)、是政(1558~1600)、沢村(1559~1650)
2011-12-23 21:39:30