- ryuseiasahina
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始まりは祭りの見物。 トラキア人の行列(とは?)が面白いとあったり、馬の松明競争の話が出たり、老人に「道を先に行く者」と声をかけたり、 この移動とか道のイメージはなんだろう? 最初に友敵の話とか強者の利益の話をするけど、その前に、ソクラテスと友人を遮って、宴会に連れてかれて。
2024-03-06 22:10:18正義とは、友に益を敵に害を与える、という議論では、 ポレマルコスとソクラテスの対決に始まり、でも、友人のように話し合い、 人に害を与えるのは悪い人だよね、となってから、 じゃあ、一緒に僕らの敵をやっつけましょうね、 というオチになって。
2024-03-06 22:12:31正義とは強者の利益である、と主張するトラシュマコスは狼のように虎のように論戦をふっかけてきて、 途中、ソクラテスに論破されそうになると、 支配者は誤らない(もちろん、彼は誤りかけた?)と主張して。
2024-03-06 22:15:52あと、正義とは友を益すること、とかの流れで、 ソクラテスのアブの話を思い出して、 友だからこそ、善のためにこそ、批判するとか、 そういうイメージの作り方もあるのかな、とか妄想。
2024-03-06 22:17:26アリストテレスが『詩学』で、いい劇は自分の運命を知ること、としてるのも、 もちろん、『オイディプス』批評だから、という面もありつつ、 『国家』冒頭で、自分の性格を知りなさい、という戒めがあったり、最後に、エルの話があるのを意識して?
2024-03-06 23:13:07トラシュマコスが愛おしい。 登場のしかたから、子路みたいだもん。 もちろん、そのまま弟子になるような徳や性格は持ってないけれど。
2024-03-07 05:48:34正義とは強者の利益であると主張するトラシュマコスは、 技術知識は、医術のように、支配される者・劣る者を利するものだと論破されて、 それに、でも、僭主は自分勝手で利を得ている、と言い捨てて、逃げようとするのを引き止められて。
2024-03-07 05:53:04それに対して、技術は被支配者を利するもので、報酬獲得の技術は別で、 だから、普通、報酬がないと人は支配者になりたがらない、とソクラテスは言って。
2024-03-07 05:56:07それは、 トラシュマコスは、弱肉強食を肯定したいのでなく、居合わせた人に警告・利を与えるために言ってくれたのでしょ、 でも、去ろうとしたのは、支配者というのは面倒で、報酬がないからでしょう、 と言ってるように僕は感じて。
2024-03-07 05:57:491巻の20で、 ソクラテスが「君がいま人をからかってるのではなくて、真実について思ったとおりを語っているのだということが、無条件に信じられるからね」 と言うのが、 トラシュマコスが単に論破したいだけとか、単に世を僻んで言うのでなく、その善性を信じた、 と言ってるように感じて。
2024-03-07 06:01:12この邦のかたち、 というよりは、 ポリスのかたち、かなぁ。 ポリスという、 (性格・慣習・その人らしさへの批判を含んだ?)民主主義的な議論によって成り立つ場?を、 パフォーマティブに示す、というか。
2024-03-07 06:07:41邦だと、民主主義でないとか、違うタイプの弁論術で成立してる場とか、なんか、ありそうな。 わかんない、そうでないという意見もあるだろうけど。 (僕はまたエートスを重視しすぎ?)
2024-03-07 06:08:54詩学がオイディプス批評かつ『国家』も意識してるなら、 フロイトと『国家』も関連? 小林が考えるヒントで、ヨルの物語に関して、欲望という語を使うのも、もともとある線を引き直す感じなのかしら?
2024-03-10 18:50:39不条理演劇とフロイト、みたいなテーマって、 よく語られてきたのかしら? (それとは別に?) 不条理演劇の形式って、なんだろう。
2024-03-11 16:19:30