アーマーモデリングに誘われて
タミヤ以前の比較的大きな(1/35近似)のティーガーはフジミだったかオオタキだったか…? 複合転輪を再現してたのよ。俺が見たことあるのは迷彩塗装済バージョンだった。ダークイエローっぽい成型色にダークグリーンの迷彩色。一度しか見たこと無いんだが。
2024-03-13 16:42:14その昔はこんな本が出てましてねぇ。モデルアートの1976年(昭和51年)6月号増刊の タイガー戦車 でありますよ。この後1980年にオオタキから中期型が出るけど、タミヤが1989年にリニューアルするまではそれが最新キットで、まぁ、有り体に言って20年くらい停滞してたんですねぇ… #アーマーモデリング pic.twitter.com/OL6dB1IEVK
2024-03-13 21:25:37今月号のAMではティーガーキット総ざらい(雑誌が違うってw)を大々的にやってて必読の一冊なんだけど大昔に遡れば、タミヤの1/25キットまではスケールモデルと呼べるティーガーのプラモデルはほとんどなかったんじゃないかなぁ。リンドバーグ(オーロラ?)とかエアフィックスの海外キットだけだった?
2024-03-13 21:35:43多分国産のティーガーの最初はフジミかオオタキが60年代に出した1/35近似(1/40だったかも?)のキットだったと思うの。モーターライズで複合転輪を再現したという意欲的なキットだけど、全然実物に似ても似つかぬ形状だったような記憶があるんだよね。自分も1度しか見てない。
2024-03-13 21:35:44本格的国産スケールキットは多分タミヤの1/25だと思うんだけど、それと相前後して発売されたニチモの1/30のキットもなかなかの優れ物だったらしく、タミヤが1/35を出すまでは「なぜスケールが違う!?」と文句を言われていたとかいないとかw
2024-03-13 21:35:44で、その後1970年の夏頃にタミヤの1/35が発売されたのね。今の目で見てどうこう言ってもしょうがないのは確かなんだけど、「無敵ティーガー伝説」を刷り込んだのはこのキットだったと思う。しかし、なんで転輪をポリ製の塗装できない材質にしちゃったかなぁ。1976年のMM組入時にスチロールにしたっけ?
2024-03-13 21:35:45タミヤの新版ティーガーが出るまで、カッコいいのを作りたければオオタキとニチモと旧タミヤのサンコイチに徹底的ディティールアップとカステンの連結式(可動式じゃない)をおごって大変な思いをしなければならなかったんですw 確かモデルグラフィックスでそういう記事があった気がする。いつだっけ?
2024-03-13 21:39:21車体はタミヤかオオタキを使って、転輪はオオタキ、砲塔はニチモ、防盾はタミヤかオオタキ、キャタピラはカステンでやっと基本形が出来て、その後はチマチマと自分でディティールアップ!というのが1989年までのAFVマニアの嗜みだったわけで、そりゃみんな脱落するよなw
2024-03-13 21:41:02まぁ、そういうハードな80年代が終わろうとする時にタミヤのあのティーガーⅠ型後期型が出たんだから、そりゃどれだけ歓迎されるかってことですよ。まさに待望久しい決定版!みたいな扱いですよ、トレンドの連結式キャタピラは取り入れてるし、エッチングパーツは出るしですもの。まさに干天の慈雨よw
2024-03-13 21:49:55今はもう常識と化しているティーガーの砲塔平面形が非対称であるという事実、どうもこれは1990年代中盤まで欧米でも知られてなかったっぽいのね。盟友ブリキヲさんの調査によれば、初出は1994年のミリタリーモデリング誌だったらしい。でも、歴史的に見れば一発で非対称が分かる写真は60年台に出てる…
2024-03-13 21:53:42実車で110mm、1/35なら3mmくらいのズレなんだけど、1mm2mmでギャーギャーと喧しかかった1970年代ドイツ戦車マニアの誰もが気づかなかったというのはちょっと信じられないところで。1mmで大騒ぎしてる連中が3mmに気づかないなんて、そんなことあるの?w
2024-03-13 21:55:39@nadhirin きっかり覚えてないのですが、タミヤニュースにスチロール化したというのは新製品案内に載っていたは覚えています。1979年以降です。
2024-03-13 21:57:24なので、それに気づくまでティーガーのプラモデルはどれも砲身の位置が3mm正面から見て左側にずれてる。本当はベンチレーターの真上(車体中心線上)に砲身が位置するはずなんだけどね。設計したり図面描いてた人はおかしいと思わなかったんだろうか?
2024-03-13 21:58:06@wankomaster MMに組み入れられたのって、その前?それともその時でしたっけ? 自分の記憶だと「そのままMMに組み入れられた」なんですよね…
2024-03-13 21:59:18で、その中心線上にあるはずの砲身を正しい位置にするためにとんでもないことをやったのがニチモの1/35なんです。なんと防盾の左右対称を崩して、右側を縮めることで砲身を中心線に持ってきてる!w ゴリゴリ改造記事で砲塔はニチモ、でも防盾はタミヤかオオタキにしろってのはそういう理由もあったと
2024-03-13 22:01:47@nadhirin スチロール化はMMには組み入れられた後です。1979年だとT-62が出るか出ないかぐらいの時期ですから。
2024-03-13 22:04:29@wankomaster 塗装するのが当たり前になった時代に、あのポリの転輪のままMMに組み込むとか、タミヤもいい度胸をしてますねぇw
2024-03-13 22:05:21@nadhirin タミヤニュースの購読を始めた年が1979年なンですよ。だから何となく覚えていました。ただ正確な時期はちょっとムリ。
2024-03-13 22:09:09昔のティーガーの正面から見た写真。1枚めがタミヤ1/25、二枚めはニチモ1/30、三枚めがニチモ1/35。最後のニチモだけ防盾左右のバランスがおかしいのは「無理矢理砲身を車体中心線上に持ってきた」から。砲塔自体は左右対称のままなのよね…。だから砲塔自体はニチモでも防盾は交換というのが定番に pic.twitter.com/3tu2VxIH3F
2024-03-13 22:19:29@gyokusaiclub @tkoike1701 キューポラはタミヤのキングタイガーから持ってくる!が定番でしたっけねぇ。オオタキのキットを見目よくするのも大変な工作が必要だったという、今から考えると「とてつもなくハードな時代」だったように思いますw そりゃ脱落者ばかりになるのも当然でタミヤのキットが喜ばれて当たり前ですよw
2024-03-13 22:21:30