大震災の記憶(福島県須賀川市)

「2011年も間もなく終わります。決して忘れてはいけない2011年3月11日、今記憶にある当日の私の体験を書き留めておこうと思います。...」で書きはじまる震災の生々しい記憶・体験。 東北本線に位置する須賀川市も震度6強があったとのこと。 30年ぶりで再会できた、学生時代の先輩の体験ツイートをまとめました。 ただただ、「生きててくれて、ありがとう~。」
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keiko.sato @lovelykei0605

2011年も間もなく終わります。決して忘れてはいけない2011年3月11日、今記憶にある当日の私の体験を書き留めておこうと思います。あの日は天気が良くて、春の訪れを感じさせる午後でした。足元が急に揺れ始めたと思ったら、聞き慣れない警告音がフロアに響きました。緊急地震速報でした。

2011-12-31 10:16:51
keiko.sato @lovelykei0605

その2 揺れは益々強くなり、立っていることが出来ず思わずその場にしゃがみ込みました。更衣ロッカーが大きく揺れ倒れ掛かり、書類の入ったロッカーは、扉が開き中の物が飛び出して来ました。机の上のPCが倒れそうになっても、支えに行くことも出来ず、ただ見ているしかありませんでした。

2011-12-31 10:16:52
keiko.sato @lovelykei0605

その3 目の前の壁に掛けてあった牡丹園ポスターのパネルが大きく左右に揺れて外れ落ちるのと同時に壁が割れ、中の鉄筋が壁を突き破り飛び出しました。砂埃が上がり視界がかすれた時に聞いた、キャーという悲鳴は今も耳に残っています。私は声を出すことも動くこともできませんでした。

2011-12-31 10:16:52
keiko.sato @lovelykei0605

その4 揺れは数分間続きました。これまで体験したことのない長い時間でした。とにかく早く止んでと願うだけでした。ようやく揺れの第一波がおさまった時、「怪我したのいねが?」と言う声で我に帰り、逃げなければと思ったその時、近くの会議室から「ドアがあかない」との声が聞こえました。

2011-12-31 10:16:53
keiko.sato @lovelykei0605

その5 近寄って見ると、通路に積んであった荷物が倒れ、ドアを押さえ付け、中に数人が閉じ込められていました。とても全てをどかすことは無理と思ったとき、前のドアから人が出るのが見え「前から出て」と叫びました。周囲は霧に包まれたかのように霞んでました。崩れたコンクリート壁の砂埃でした。

2011-12-31 10:16:54
keiko.sato @lovelykei0605

その6 その時何を持って逃げようと考え咄嗟に手にとったのがマスク数枚。正面階段を駆け降りるとき、天井から水が流れ落ちていました。割れ落ちたタイルを踏み濡れた床で滑りそうな感覚は、今も足の裏に残っています。命の危険を感じたその時、「庁舎は直るのかな」なんて考えてました。

2011-12-31 10:16:54
keiko.sato @lovelykei0605

その7 外へ出ると殆んどの職員は、体育館前に避難していました。まだ時々地面が大きく揺れていて何も出来ずにただ職員の無事を確認していました。それまで良かったお天気が一変、雪が舞い始めたため上着も着ないで飛び出した私たちは、寒さに震えることになりました。

2011-12-31 10:16:55
keiko.sato @lovelykei0605

その8 その後対策本部が置かれ、被害状況が次々と報告されてきて、これは大変なことが起きたと感じました。震度6強の地震、それまでは他人事としか思っていなかった震災、平穏な生活は一変しましたが、何よりも家族が無事だったことが私にとって幸いでした。

2011-12-31 10:16:55
keiko.sato @lovelykei0605

その9 震災は、多くのものを奪い、反面、多くのものを与えてくれました。普通の有難さ、友人の有難さ、人の我儘と優しさも教えてくれました。今後は、私に出来ることに精一杯力を尽くして行きたいと考えています。復興へ向けて。皆さんへの感謝を忘れずに ....

2011-12-31 10:16:56