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(中谷先生に関してだけではなく、戦後間もないころの慶応法学部の人事の適当さ加減については『語り継ぐ三田法学の伝統 : 慶應義塾大学法学部法律学科史』を参照)
2024-04-24 03:33:31その後、東大における女性学生の受け入れ、また女性教員の誕生には、相当の時間を要した。末弘という天才的研究者ですらこのようなズレた見解を述べていたというのが、東大法学部という極めて伝統的な組織の制約を物語る。 pic.twitter.com/PKsz37wXXB
2024-04-24 03:42:20@akupiyocco お返事が遅くなり失礼いたしました。末弘嚴太郎『法律時觀・時評・法律時評集』(日本評論社、2018年)の上巻です。
2024-05-06 23:02:13明治大学女子部に中退・留年者が多かった事情
「#虎に翼」 入学希望者減で女子部存続の危機! 🐯法廷劇でPR!という今週の展開。 👉実はこれ、番組の純粋な創作ではない…!? 法律考証担当 #明治大学 の #村上一博 教授に、当時のことを聞いちゃいました🙋 素朴な疑問を専門家の先生に聞く「#見るるに教えて!」詳しくは👇 steranet.jp/articles/-/3015
2024-04-19 08:35:01#虎に翼 第3週「女は三界に家なし?」11 実際の明治大学女子部も当時は退学、留年が極めて多かった。入学者数と卒業生数の対比は以下の通り (入)→(卒) 昭和4年:93→昭和7年:54 昭和5年:36→昭和8年:27 昭和6年:45→昭和9年:22 昭和7年:52→昭和10年:21 昭和8年:53→昭和11年:23
2024-04-18 03:27:09明治大学短期大学五十年史は、退学者が多かった背景については、入学者たちにとって想定以上に法律学の勉強が難しかった、昭和4年の世界恐慌による不況の中の家庭の事情などがあったとする(同書15頁)。
2024-04-18 03:30:45もちろん、後者のような社会全体の事情を原因とする、法学系への進学者の減少については、最大手である東京帝国大学法学部法学科すらも例外ではない。
2024-04-18 03:32:43東京帝国大学学術大観法学部・経済学部(昭和17年、東京帝国大学)の穂積重遠『法学部総説』4頁によれば、昭和5年を境に法学部法学科の入学者は年々減少し、昭和14年には、法学部の入学者の中では政治学科の方が多数派を占めるに至る。
2024-04-18 03:36:26もちろん、それは政治学科の人間が増えたことを原因とするわけではない。ただ、そのような混乱期には、既存の法秩序についての何らかの限界を多くの人間が感じとり、人々が求めつつある秩序を語るようになり、そのアプローチとして政治学がよく用いられた。
2024-04-18 03:56:00当時、多くの研究者が、慌ただしく旧秩序との訣別と新秩序を語った。法曹実務家の多くは、法実務の性質上、人々が求める新秩序に対しては、旧秩序を擁護する立場になる。
2024-04-18 04:00:27このような時代においては、新旧秩序に対する実務家の洞察は、慌ただしく色々な意見を開陳する研究者の研究よりも、一層重要となる。
2024-04-18 04:04:20この時代を研究すると、このような動乱の時代の法曹の賢慮とは何か、法秩序とは何かを観察できる法曹もちょっとはいてもいいのではないかと感じる。
2024-04-18 04:14:41女子部を卒業したのが5人。 男子の生存率が1%の国が世紀末覇者の物語にあったけれど、男子と同じ学部に入るまでに生存率が7%の世界もなかなかだな。おそらく能力と金銭があっても女子部に入ることさえできなかった層を考えると既に修羅の国だろう。 #虎に翼
2024-04-19 11:05:20第15話こぼれ話 日本初の司法科試験女子合格者は3人だが翌年以降も合格者は少ないがいる。 最初の3人になれなくても、脱落者とは言ってほしくない。また法曹の道を諦めざるを得なかった人にも貶めるような言い方はやめてほしいと思う。 #虎に翼
2024-04-19 22:45:20