I_Amraamski氏によるチェロメイ設計局初期の歴史

I_Amraamski氏による後にプロトンロケットを開発するソ連のOKB-52設計局(チェロメイ設計局)の初期の歴史についての連続Tweetです。参考になります。
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I.Amraamski @I_Amraamski

…メモ代わりに書いたチェロメイ設計局初期の歴史を流してみようと思います。これは今書いてるお話の側面を固めるために調べたものですが、これはこれで(私的には)とっても面白い話ですね。何だかんだで長くなってしまいましたし。。

2012-01-07 17:49:50
I.Amraamski @I_Amraamski

さて、お話は1944年、戦闘機設計者ポリカルポフが亡くなって彼の設計局OKB-51がチェロメイ達に渡った事から始まります。設計局に任されたのはドイツのV-1巡航ミサイルの国産版の開発でした。

2012-01-07 17:52:12
I.Amraamski @I_Amraamski

チェロメイは元々航空エンジンの振動工学が専門で、戦中はTsIAM(中央航空原動機工学研究所)で国産パルスジェットエンジンの開発をやっていました。OKB-51の主任設計者に任命されたのもこの経験が決め手だったのでしょう。

2012-01-07 17:55:35
I.Amraamski @I_Amraamski

OKB-51では10Khを基本に改良を行い、空中発射型12Kh、14Kh、16Kh、地上発射型10KhNといった発展型を開発しました。16Khは双発になったりしてますが、パルスジェットな所は変えずに来ています。

2012-01-07 17:57:32
I.Amraamski @I_Amraamski

時は流れ1953年、空中発射型16Khをめぐり空軍と航空工業省が衝突。空軍は16Khの性能に不満で、試験中設計局が行った失敗隠しなどの不祥事を暴露。スターリンはチェロメイを詐欺師呼ばわりし設計局は解体、MiGに吸収されてしまいました。

2012-01-07 17:58:18
I.Amraamski @I_Amraamski

当時MiG設計局ではグレーヴィチが主任設計者として、更に1951年からはBIや「346」に携わったベレズニャクも加わって空対艦ミサイル「コメータ」(AS-1)を開発していました。彼らは後に独立してラドゥガ設計局となり、空対艦・空対地ミサイルを開発し続けます。

2012-01-07 17:59:59
I.Amraamski @I_Amraamski

とりあえずこの辺までのソースを貼っておきますが http://t.co/hztokswi http://t.co/K9uRR3ZE まだ続きます。1960年代まで行きますよ。

2012-01-07 18:07:05
I.Amraamski @I_Amraamski

さて、チェロメイ設計局初期の歴史連続投稿を再開します。まずはレスポンスありがとうございます…設計局や技術者の動きを絡めて歴史を語るのってソ連宇宙開発クラスタでは良くやられていますけど、兵器方面でやっても面白いのでもっと広まらないかなと思っています。

2012-01-07 20:09:40
I.Amraamski @I_Amraamski

スターリン死後の1954年、第500工場に特別設計グループ(SKG)が組織、主任設計者チェロメイが再始動します。翌年これは設計局OKB-52に発展し、新たな対艦/巡航ミサイルP-5(SS-N-3)の開発が開始。

2012-01-07 20:12:02
I.Amraamski @I_Amraamski

P-5は1959年実戦配備され、SS-N-7,9,12,19…と連なるチェロメイ製対艦/巡航ミサイルシリーズ、そして以後のチェロメイ設計局の名声の礎となります。 http://t.co/TDZfoZlw

2012-01-07 20:13:29
I.Amraamski @I_Amraamski

しかしその影にはこんな話も。P-5配備の2年前の1957年、チェロメイ設計局に研究所GSNII-642が編入されます。これはShchuka/KSShch(SS-N-1)艦対艦ミサイルを作り上げた設計局で、当時はその改良型KM-7を開発中でした。

2012-01-07 20:14:34
I.Amraamski @I_Amraamski

P-5開発に邁進していたチェロメイとしてはこの「連れ子」の存在は厄介だったのか、チームに開発中止を宣告。トップのオルロフをはじめ多くの人員がこれに怒ってチェロメイのもとを離れ、後に宇宙開発分野でライバルとなるコロリョフの設計局に行ってしまったのでした…

2012-01-07 20:15:54
I.Amraamski @I_Amraamski

GSNII-642はOKB-52の第2支所となってしまった訳ですが、これに限らずチェロメイ設計局が他の設計局を呑み込む「M&A」をやったのは有名な話です。フルシチョフの息子が働いていたという政治力の高さもこれを助けたといわれていますね。

2012-01-07 20:22:57
I.Amraamski @I_Amraamski

1960年には爆撃機屋のミスィーシシェフ設計局(OKB-23)を吸収しOKB-52第1支所とします。何とこの支所、「本所」のチェロメイ設計局より大きかったとか… しかし66年には「実験機械工場」EMZに改組され再独立します。 http://t.co/RaR10bhF

2012-01-07 20:25:32
I.Amraamski @I_Amraamski

62年には主任設計者が亡くなったラーヴォチキン設計局(OKB-301)を吸収しOKB-52第3支所に。しかしここに至っては1964年に再独立するスピード離婚ぶり。

2012-01-07 20:31:36
I.Amraamski @I_Amraamski

ラーヴォチキン設計局は吸収前も航空機からミサイルに力点を移し気味でしたが、再独立後は宇宙機屋としてコロリョフ設計局に開発を任される存在になったとか。 http://t.co/OxfaVzwA

2012-01-07 20:34:15
I.Amraamski @I_Amraamski

とりあえず今回のメモはお終いです。私は特に宇宙方面の話は全然なのですが、M&Aがライバルのコロリョフ設計局を利する結果を生んでいるのは何とも…本当みずもと(@rus_space)さんが書かれてる通りですね。 http://t.co/yOVcDHOD

2012-01-07 20:43:22
I.Amraamski @I_Amraamski

一通り書いた後で見つけたのですが、GSNII-642のオルロフはコロリョフ設計局(OKB-1)ではなくナジラーゼ設計局(固体ロケットのNII-1、後のMIT)配下のSKB-1に行ったという記述がありますね。OKB-1説は誤り、と明記も… http://t.co/RM8zI8qL

2012-01-07 23:29:59
I.Amraamski @I_Amraamski

このNII-1に関するページにもM.V.オルロフ、NII-642から転入、60年代初めSKB-1局長、と書いてありますし… http://t.co/BcDDlKBK

2012-01-07 23:31:15
I.Amraamski @I_Amraamski

OKB-1と書いていたのはこの辺だったのですが、わざわざ否定する記述もあるのを見るとやはりSKB-1だったと考えた方が良さそうですね… http://t.co/RU45BwLY

2012-01-07 23:32:57