森田貴英さんの「対話」に関するつぶやき
対話に失敗する人は、「自分が正解である」「相手を正解に導く」という意図をもっている人である。つまり、「自分=正解 相手≠正解」と最初から想定している人は、「対話」は出来ない。
2012-01-14 15:42:13「対話」は、それを通じて、「相手も自分も、それぞれ、新しい自分を発見する」という行為である。即ち、「相手も、私も、変化する」というもの。従って、「私は、正解だから、変わらない」「相手は、正解じゃないから、変わらねばならない」という意識では、「対話」にならない。
2012-01-14 15:43:52従って、「伝えようとする人」は、対話を成立させることは不可能である。同様に、「教えよう」とする人は、対話を成立させることは不可能である。
2012-01-14 15:44:42ワールドカフェやファシリテーションなどの「対話の場」に何度か参加したことがある。ダメだなと思う場は、決まって、場の設営者が「正解」を準備している場であった。
2012-01-14 15:45:36「設営側が準備している正解」に誘おうとする対話の場は、「行政やゼネコンが行ってきた合意形成の場」と全く同じであり、価値がない。
2012-01-14 15:46:32ワールドカフェやファシリテーションを成功させたいならば、まずスタートは、あなたが「正解」を捨て去ることだ。あなたが自分を「正解」であると思っている限り、あなたの設営する場には価値はない。
2012-01-14 15:47:32自分が「正解」であると思っている人間は「成長」しない。なぜなら、自分が「正解」なのであれば、変化することは「不正解」になるので、「変化」の必要がなくなるからである。「変化」がなければ当然「成長」はない。
2012-01-14 15:49:04残念なことに「正解」にたどりついても、その一瞬先にはそれは「不正解」となる。なぜならば、万物は常に変化してしまっているからである。
2012-01-14 15:50:27幸い、「心」は常に変化し続けている。ところが、あなたは、あなたの心の変化に気付いていない。その変化に気付きつづけることができれば、つねに新しい正解を見出すことが出来る。
2012-01-14 15:52:35あなたが自分の心がどう変化したか知るにはどうすればよいか?それは、「感覚」を「語る」ことである。それは、相手に話すことでも、手紙を書くことでもよい。要は、「アウトプット」なくしては、自分の「心の在り様」を知ることはできないのである。
2012-01-14 15:53:52つまり、自分は、自分の心がどんなことを持っているかを、知らないのである。それを知れるのは、話したり、書いたりという「アウトプット行為」によってのみなのだ。
2012-01-14 15:55:53「私は、私の心が思っていることを、分かっています」というのと、「私は、私の心が思っていることを分かっていません」というのでは、全く持って異なる。
2012-01-14 15:56:50自分が正解が何かわからないのであれば、それはそれでいいのです。「分からない」ということは、十分に対話の理由となります。
2012-01-14 16:17:00ディベートは、どっちが「正解」かを競うもので、戦いである。一方、ダイアローグは、どっちも正解ではなく、対話を通じて「新しい正解」に双方でたどり着くための営みである。つまり、ディベートとダイアローグは、「自分の正解に固執するか否か」という点が異なるのである。
2012-01-15 05:59:01しかし、ダイアローグや対話といいながら、自分の「正解」に固執して、相手を説得しようとする人がほとんどである。それは対話ではない。つまり、ダイアローグができる人は非常に少ないのだ。
2012-01-15 06:00:14「対話の際には違いを尊重して・・・」という人がよくいる。しかし実際は「違いは尊重するが自説を相手に受け入れさせたい」という人がほとんど。それでは意味がない。そんなことより、「自説が正解であるという考えを手放す(止める)」ことのほうが、より効果的である。
2012-01-15 06:04:08「見返りを求めない」「利他的に」「相手を尊重する」というのは一見正当なのだが、なぜあなたはそう思うのか?根拠は何か?そこを徹底的に掘り下げたほうがよい。掘り下げてみると、そこに見えてくるのは、「壮大なるエゴ」であることが多いのだ。
2012-01-15 06:06:41利他性・非営利性が結局は、「自分のため」というエゴに基づくにもかかわらず、それを見えなくするように、利他や非営利の仮面をかぶることは、結局、嘘偽りであり、かえって自分を苦しめる。
2012-01-15 06:08:21「利他的にならなきゃ、相手を尊重しなきゃ」という努力をするということは、あなたは放っておくと、「利己的であり、相手を尊重しない人間である」ということなのです。自分のエゴを倫理で縛るよりも、自分がなぜエゴイスティックなのかをきちんと掘り下げて原因を発見したほうがいいよ。
2012-01-15 06:09:57「利他的に」とか「相手を尊重して」ということばかり言っている人は、結局、「他者のモノサシでしか当否を判断できない」未熟な人間である。「自分のモノサシ」で物事判断できる人間は、「自分の心」に発生する快・不快で善悪を判断するから、利他とか相手を尊重みたいなことをわざわざ言わないのだ。
2012-01-15 06:12:50ファシリテーターやコーチなる人々とかなり会いましたが、みなさん「正解」をもってしまっていますね。腕を組んで人の話を聞いてはダメとか(笑)
2012-01-15 11:00:35