日本のアカのルーツ

明治以後、左翼思想がどのようにして日本に蔓延して行ったのか…
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野の花 @reenpop

【日本のアカのルーツ6】赤化した朝鮮人:大正14(1925)年4月朝鮮に於いてコミンテルン朝鮮支部として朝鮮共産党が結成せられ、その後同党満洲事務局が設置せられ、満洲在住の鮮人を対象として運動を開始した。関東憲兵隊「在満日系共産主義運動」

2012-02-01 19:07:06
野の花 @reenpop

【日本のアカのルーツ5】赤化した満洲:ソ連は満洲建国によって多年の宿望である東進政策に一大障碍を来したが、依然として其の野望を捨てず満洲進出を堅持し、赤化工作によって治安を攪乱し、その目的達成を図るべく中共と相呼応して在満匪団への支援を強化した。関東憲兵隊「在満日系共産主義運動」

2012-02-01 19:03:51
野の花 @reenpop

【日本のアカのルーツ4】スターリンと面会:社会党第2代委員長鈴木茂三郎:次いで極東民族大会に出席の為日本から徳田球一、高瀬清、吉田一、和田軌一郎、小林信次、北村某等がモスクワに着いた。スターリンとこれらの日本人との会談をもつことになったのは無政府共産主義者を説得するのが主眼だった

2012-02-01 18:56:12
野の花 @reenpop

【日本のアカのルーツ3】(続き)社会党第2代委員長鈴木茂三郎:続いて「莫斯科雑感」として12月15日付をもって第三信を送っている。モスクワからどういう方法で日本へ原稿を送ったかよく覚えていないが多分、上海へ帰る朝鮮の共産党代表者に委託したものであろう。「ある社会主義者の半生」

2012-02-01 18:51:39
野の花 @reenpop

【日本のアカのルーツ3】革命後のロシアへ:社会党第2代委員長鈴木茂三郎:私は読売新聞に宛てて「ウォルソワの停車場にて」という記事を大正十年(1921年)11月14日付で送っている。鈴木茂三郎著「ある社会主義者の半生 続く…

2012-02-01 18:47:14
野の花 @reenpop

【日本のアカのルーツ2】第一次大戦後:戦後、自由民主の思想が盛んな時期に、思想自由の制度の下に、ソ連革命思想が日本に輸入せられ、マルクス主義が流行してきた。特に大震災を契機として、日本においても共産党の細胞が各地に設けられて、共産勢力は益々増大した。重光葵著「昭和の動乱」

2012-02-01 18:39:18
野の花 @reenpop

【日本のアカのルーツ1】明治維新後:(続き)第二の流れはドイツ軍閥政治を見倣ったもので、軍部及び一部官僚の系統のものが山縣元帥指導の下で、政治上・思想上独立せる軍閥的一大勢力を形勢するに至った。重光葵著「昭和の動乱」

2012-02-01 18:34:47
野の花 @reenpop

【日本のアカのルーツ1】明治維新後:明治時代の民主思想の始祖は福沢諭吉であったが、政治方面では当初、大隈、板垣の藩閥反対派によって代表され、後の政党の起源を作った。続く…

2012-02-01 18:30:52