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1月29日。岩国の城下町を襲撃してきました。岩国といえば基地と工場というイメージがありますが、そんな海辺の光景から数km内陸に1600年吉川広家という殿が入城して以来の6万石の城下町があるのです。
2012-02-09 17:07:25![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
7時25分だったかな、広島駅に着いたらそこに汽車がいたのでとりあえず乗る。汽車は海辺をひた進み、やがて南に向きを変え。大竹と岩国の工場地帯の光景にわくわくしつつ…。
2012-02-09 17:17:20![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
8時38分。岩国からわずかに一駅、西岩国駅に到着です。1929年(昭和4)、岩徳線の岩国駅として開業。世の中の流れで「岩国駅」の座を海辺の麻里布に譲った後は「西岩国駅」と名称を変更。錦帯橋観光の入り口…のはずなんだけど日曜の朝に人がいない。
2012-02-09 17:32:03![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
岩徳線の駅?さっきは「錦川清流鉄道乗った」言うてたじゃん。うん、そうなの。このあたりは岩徳線と錦川清流鉄道の共用部分なのですわ。つぎの駅までだったかな?
2012-02-09 17:35:32![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
そんなレトロな西岩国の駅舎。玄関前のアーチ形は錦帯橋をイメージ。向かって左手に車が映ってますが、あれは木炭自動車。復元ものですが、公道を走れる。 http://t.co/LoUnzevr
2012-02-09 17:37:28![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
天井のシャンデリアと木製改札は、1979年に駅の永久保存が決まったときに開業当時の姿に復元したもの。 http://t.co/uzspy6ty http://t.co/tYDnfbyb
2012-02-09 17:46:10![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
画像のベンチの座面は錦帯橋の橋板。2001年(平成13)秋~2004年(平成16)にかけての「平成の架け替え」のときに出た部材。 http://t.co/IkOKTiQe
2012-02-09 17:50:24![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
乗客はいなかったが駅の係の人はいた。展示室の鍵を開けに来ていた。「どちらから来たの?」「広島から来ました〜」振り向きもせず答える夕霧さん。画像を撮りまくるのに夢中。
2012-02-09 17:52:06![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
さて西岩国の駅舎をようやくと後にいたしまして、錦帯橋方向にてけてけと歩いて行きます。すると道沿いの小学校の片隅に何やらレトロな味わいの物件登場。
2012-02-09 18:03:50![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
岩国学校校舎。1871年(明治3)、藩立岩国学校として開校。1873年(明治5)、洋風3階部分が増築される。文明開化だしとりあえず上に洋風なもん乗っけてみました的な、やっつけ感がすばらしい。 http://t.co/99XGKQUr
2012-02-09 18:37:35![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
現在は資料館として活用されておりまして。東芝の創始者・藤岡市助氏の資料室があった。相当な名家だったらしい、家康拝領の扇とやらがさりげなく展示してありました。2階には民具が並んでいたです。 http://t.co/ro8ULXVB http://t.co/Yf7ginfM
2012-02-09 18:45:52![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
さて。岩国の城下町に突入です。岩国城下は錦川を挟んで2つの地区に分かれております。お城のある山の麓側の主に身分の高いお武家の町と、その対岸の町人の町です(武家も住んでたけど)。夕霧さん本日の攻撃目標は町人ブロック。突き進みますうろつきます。
2012-02-09 20:45:25![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
通りには「材木町」「魚町」「扇町」「琵琶町」「鍛冶屋町」「曲尺町」「鉄砲小路」など城下町らしい名前がついています。「玖珂町」「柳井町」など商人の出身地の名のついた通りもあります。現在の町名と 旧・町名の札が並んでいた。 http://t.co/SpxxprzP
2012-02-09 20:52:15![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
国安家住宅。1850年(嘉永3)。国登録有形文化財。 古い家は外から見ると半二階に見える。 http://t.co/3wqHSntD
2012-02-09 20:55:54![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
半二階の部分は漆喰で塗られており、窓はまるで土蔵の明かりとりのような形状。袖がついていることもある。壁の端に「袖うだつ」が見られる家も。 http://t.co/V5v7SRsB http://t.co/Jbz53z4z
2012-02-09 21:02:36![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
そうして城下町の通りを歩いておりますというと、ときに立派な門構えのおうちに出会うのですね。その門の端の鬼瓦のところに文様が入っている。こちらは「雪輪に左三つ巴」 http://t.co/h2yjLsJa http://t.co/D4LWVjLV
2012-02-09 21:20:04