MURAKAMI EGO展(ドーハ、カタール)ツイート
@antonianjp 僕の今の目標はマジ本物の現代の大仏を造る事なのです。観光資源を造る。それが目標です!
2012-02-11 12:13:40ところで、ドーハでの村上隆展、会場で6時間近く見続けたわけだが、このくらい見ると、頭で考えるのが先行したり、目だけで表層をなぞるのではなく、肉体でまるごと見たという体感が得られるのだ。
2012-02-11 13:11:27体感でいうと、絵を見るというより「絵を食べる」というのが近い。100mの絵を「食べる」には、6時間あっても足りない。
2012-02-11 13:14:09この絵の見方を僕は、前に一年ロンドンにいたときに身につけた。珍しい美術にも随分出会ったけど、以前からずっと気になっていた絵を、ひたすら見続ける、というのをやるうちに、だんだんと絵の体感が変わってきたのだ。
2012-02-11 13:18:38あるときは丸一日掛けて、別の日にはちょっとだけ立ち寄って、思い出せない細部だけ見る、というようなことをとにかく繰り返す。すると、見知っていたはずの絵が、実はまったく違う絵であったことに気付くのだ。
2012-02-11 13:21:53文字をずっと見ていると、次第に見知らぬ模様に見えてくる。感じとしてはあれが近い。馴染みのはずの絵が、見ず知らずの他人に変貌する。そのあとで、もう一度記憶を取り戻しながら、同じ絵についての体験を根本からつくり直す。
2012-02-11 13:26:15しかしこの絵の見方のためには、どうしても物理的な時間が掛かる。ロンドンでいうと大英博物館やナショナルギャラリーは、でうしても短期的な観光の対象になりがちだけど、ああいう場所こそ、長期滞在して同じ絵を見続けるのに適している。
2012-02-11 13:30:09日本もいまでは年中「世界の名画」が見れるようになったけど、あまりにも混みすぎていて、たんに既成のイメージを確かめるだけになってしまう。これでは「絵を食べる」のは難しい。
2012-02-11 13:33:48ロンドンのナショナルギャラリーでも閑散期を選べば、たとえばフェルメールの絵の前に、累計何時間でもいることもできる。累計と言うのは、そうは言っても全く無人なわけではないので、誰か見たいひとが来たら譲って、他をひとまわりして来て、また人がいないときを選んで続きから見るから。
2012-02-11 13:39:29そして今、こうしてドーハでの村上隆展を思い出してるわけだが、一言で100mの五百羅漢図というけど、身体的には100m走の方を思い出してほしい。つまり全速力で走っても、大人でも十何秒とかかかるのだ。そのくらいの間、極めて精密な絵画の表面が続いている。そういうことだ。
2012-02-11 13:45:11しかも、村上隆の五百羅漢図は、表面が陶器のように仕上げられていて、横に2mmずれても見え方が変わってしまう。すでにいろんなところでイメージが出回っているけど、この感じは写真や映像では絶対にうつらない。
2012-02-11 13:51:43まあ絵とはそういうものだが、村上隆の絵は何が描かれているかわかりやすいだけに、写真や映像だけ見てわかった気になりやすい。が、今回の五百羅漢図にしても現物は全く違う。
2012-02-11 13:53:42新作だけでなく、今回は2009年のタイムボカンのシリーズが迷彩柄やショッキングピンクで3点出ていたけど、その平らな表面の「何にも無さ」が三者三様に見事で、その「何も無さ」に、つい長時間、魅入ってしまうのだ。
2012-02-11 13:59:54世田谷なふ。途中、カメラ壊したりケータイなくして出てきたりと、だっさださのドーハ行きでしたが、百聞は一見に如かず、日本では窺い知れない村上さんの戦いぶりを目の当たりにし、得難い体験となりました。詳細はブログります!村上さん、村上展の皆様お疲れ様でした&ありがとうございました!
2012-02-11 21:03:28久々に再会した坂田祐子さんと、ペロタンのとこの、俺担当のギョームさん!今回の展覧会では全力を出し切ったようで、お母さんも呼び寄せて己の仕事を誇らしく語っておった。全員、本当に辛い闘いだった、、、。。。 http://t.co/s0aMOigq
2012-02-12 01:04:05村上隆の五百羅漢図は、全体で四つの部分に分かれている。一番右の部分はまだこれから手が入るようなので、そこについてはわからないが、他の三つの部分は、どれも荒れ狂う水を思わせる巨大なうねりが背景に描かれている。
2012-02-12 11:52:39ここから推測すると、村上隆の五百羅漢図は、最終的に100メートルにわたる大津波の絵と見なせるのかもしれない。この絵の主題は羅漢による人の救済だけではない。人をも超える自然の脅威についても描いている。具体的には、波の彼方に見える大銀河や、火球を中心とする太陽系の描写にまで繋がって。
2012-02-12 11:56:02村上隆の五百羅漢図では、人の救済(五百羅漢)と無慈悲(自然と大宇宙の脅威)という対立する要素が、ほぼ同じパワーバランスで全面にわたって共存している。主題上、とくに写真だけ見ると、どうしてもキャラとしての五百羅漢に目がいきがちだが、それはこの絵の見所の半分でしかない。
2012-02-12 11:58:11村上隆の五百羅漢図でもうひとつ重要なのは、日本画と油絵の技術の共存だ。それは教育の問題も孕む。村上はこの絵のために日本全国の美大生の力を結集した。彼が日頃批判している日本の美大生たちの、技はあるが活かし所が見つからない筆力を、震災以後の五百羅漢図という歴史的な主題に結集したのだ。
2012-02-12 11:59:23具体的には、五百体のキャラは日本画の技法で、背景のオールオーバな画面は油絵の技法で描かれ、同時に両者は、3・11以後の「救済(羅漢像)」と「無慈悲(自然)」に対応する。これは、日本の美大生の力を総結集し作り上げられた、明日を担うかれらにとっての「3・11以後の絵」でもあるのだ。
2012-02-12 12:02:40村上隆はかれらに厳しいけれども、それは同じ技を持つ者への共感にもとづくものだ。実際、いまの欧米の美術教育で、このような絵は実現できない。西洋のアートとは異なるプロセスで肥大化し流路を失っていた若い日本の技が、村上隆に導かれ、3・11という巨大な災害への最大級の返答を実現したのだ。
2012-02-12 12:06:46今回の五百羅漢図が、これまでの村上隆の作品と異なって見えるのは、このことも大きいと思う。たとえ個々の力量では到底太刀打ちしようもなくても、かれらに備わっていた技が、まるでビッグ・ウェイヴのように、村上隆という巨大な存在に、新しい何かを添えたのではないか。
2012-02-12 12:12:04つまりこの五百羅漢図は、一方では、巨大な文明史レベルの大作であると同時に、他方では、日本の美術をめぐる予備校教育への、村上隆によるひとつの回答でもあると思う。いや、もしかしたらそれは、これから起こることの雛形なのかもしれない。
2012-02-12 12:14:19