「ナムアミダブツ」の謎
- sebun_digital
- 3581
- 0
- 0
- 0
コラム「「ナムアミダブツ」の謎」【Facebook】⇒ http://t.co/F7p671WH 【mixi】⇒ http://t.co/dijNiC3L
2012-02-20 10:57:22【ナムアミダブツ】昔話の中に出てくるおじいさんやおばあさんが、手を合わせて「ナムアミダブツ」「ナムミョーホーレンゲーキョー」の言葉を発する姿を見て、不思議に思ったことはありませんか。
2012-02-20 10:58:31【ナムアミダブツ2】それはいわゆる「念仏」というもの。唱えると成仏できると言われるようになったのは鎌倉時代なのですが、いったいなぜなのでしょうか。
2012-02-20 10:58:48【ナムアミダブツ5】たとえば仏教はそれまでは貴族を救うものであった。阿弥陀如来(あみだにょらい)の主宰する極楽浄土へ行くには「念仏(ねんぶつ)」することが必要なのだが、
2012-02-20 10:59:41【ナムアミダブツ6】この念仏とは平安時代までは巨大な寺を建立(こんりゅう)し、仏像や画像を入念に造り上げ、その前で極楽を「想像」することであった。これを観想念仏(かんそうねんぶつ)という。
2012-02-20 10:59:56【ナムアミダブツ7】だが、中流階級である武士だけでなく庶民も、こんなことをやる財政的、時間的余裕はない。
2012-02-20 11:00:12【ナムアミダブツ9】「いや、そんな面倒な『観想念仏』などしなくていいですよ。口でナムアミダブツ(南無阿弥陀仏)と言えばよい」と言ってくれたのが浄土宗の開祖法然(かいそほうねん)だ。
2012-02-20 11:00:43【ナムアミダブツ11】余り知られていないが、『平家物語』にも口称念仏が登場する。奈良の大仏を焼いてしまった平重衡(たいらのしげひら:清盛5男)が捕えられ、奈良で処刑されることになった時、
2012-02-20 11:01:21【ナムアミダブツ12】平安時代までの仏教では絶対に地獄に落ちるはずの重衡が、弥陀(みだ)の救いを確信して念仏し、首を斬られるというわけだ。
2012-02-20 11:01:35【ナムアミダブツ13】そして、法然の弟子親鸞(しんらん)は、それまで庶民の中でも仏の救済対象にならなかった、殺生を業(なりわい)とする漁師や猟師にも「念仏すれば救われる」と説いた。
2012-02-20 11:01:52【ナムアミダブツ14】一方、阿弥陀信仰でなく、法華経(ほけきょう:妙法蓮華経[みょうほうれんげきょう])こそ最高の仏教だと確信していた日蓮(にちれん)は、
2012-02-20 11:02:17【ナムアミダブツ15】こうした口称念仏に強い刺激を受け、やはりエリートの信仰であった法華経信仰を、妙法蓮華経という経典(きょうてん)のタイトル(題目)を唱えればいい、と大衆化した。
2012-02-20 11:02:32【ナムアミダブツ16】これが「ナムミョーホーレンゲキョー(南無妙法蓮華経)」であり、正しくは唱題(しょうだい:題目を唱える)という。
2012-02-20 11:02:47【ナムアミダブツ17】これは、ほんの一例であり、鎌倉文化は時代の担い手である武士や、その生活を支える庶民を対象とした、日本初めての大衆化された文化であった。
2012-02-20 11:03:07【ナムアミダブツ18】この時代を代表する歌人西行(さいぎょう)が「元武士」なのも決して偶然ではない。~『ビジュアル源平1000人』より
2012-02-20 11:03:26【ナムアミダブツ19】こうして身分や財産の有無にかかわらず仏に祈るようになったことが、「ナムアミダブツ」「ナムホーレンゲーキョー」の念仏や唱題が広まるきっかけになりました。
2012-02-20 11:04:04【ナムアミダブツ20】鎌倉時代にそれが広がったことが、「むかしむかしあるところに……」で始まる民話の中にも反映されていったということですね。
2012-02-20 11:04:21【ナムアミダブツ21】「なるほど!」づくしの鎌倉時代のあれこれをもっと知るなら>> http://t.co/NF5h1zHE
2012-02-20 11:04:51