高井先生とbuvery生徒会長によるICRP Publ111勉強会 第8回(最終回)
(チェルノ)最初はこの強制避難ばかりしていた訳ですが、80年代の後半には強制避難の問題が出てきます。ただ、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアとも、90年代の初頭には放射線防護に重点を置いた法律を成立させ、国家レベルでの対策と補償に乗り出します。 #ICRP111
2012-03-03 22:45:35(チェルノ)ベラルーシでの91年の法律2本は、例の4段階の区分けを出して、一次的避難、二次的避難区域、移住権区域、監視区域、と分けます、高井先生、このテーブルA1を出せますか? #ICRP111
2012-03-03 22:47:16きゃっ!すみません。僕PDFから画像を切り出す方法を知りません。。。昨日生徒会長がやっているのを見てびっくりしたくらいです。。。@buvery #ICRP111
2012-03-03 22:49:42(チェルノ)結局、90年初頭までは、人間を汚染地域から追い出して、個人農場を制限し、集団農場で汚染をコントロールする、という方針でした。2001年の法律では、1mSv/年(追加被曝)を越えてはならないとし、0.1mSv/年になるまでは低減努力を続けよ、となります。#ICRP111
2012-03-03 22:50:45(チェルノ)でも、この古典的な人の排除、物の排除という方針は、巨額の経費がかかるわりに、地元民は無力感、排除感、見捨てられた感にみたされていくわけです。ここで、ソビエトが崩壊し、経済危機がやってきて、何が何でも個人農場で食料を作り、野生の物を食べ始めます。#ICRP111
2012-03-03 22:55:44(チェルノ)それで一気に被曝量が上がったのが90年代前半でした。ここにロシャールさんたちの『エートス』とか、その後継プログラムの『コア』の出番となります。結局、地元の当事者が直接被曝を自主管理するという手法で事態を改善させます。 #ICRP111
2012-03-03 22:57:57(チェルノ)まず第一に地元の住民が主導権を握ること、それに加えて国家レベルや国際機関が助力するというのが、現実的かつ続けられる防護の方針である、そういう結論になりました。 #ICRP111
2012-03-03 22:59:29そうです。汚染された土はスペインから、米国のサバナ=リバー=プラントへ輸送されました。(A23) RT @kobonona: 伝聞情報でなんなんですが、スペイン人の友人に聞いた話では事故で汚染された土をアメリカに運んだそうです。
2012-03-03 23:01:15@J_Tphoto @buvery A.1 http://t.co/OkZYbE6e A.2 http://t.co/eYxy54CD #ICRP111
2012-03-03 23:02:58附属書Aの図表をモルポルさんが切り出して下さいました。すぱっしーーば!!ありがとうございますRT @_PALL_MALL_ @J_Tphoto @buvery A.1 http://t.co/vfThgBVW A.2 http://t.co/R6vjzC85 #ICRP111
2012-03-03 23:05:09これが、汚染区分ですね。ただし、チェルノでは、福島と違って、ストロンチウムとプルトニウムの割合が大きい。だから、セシウムが同じだと、危険度はチェルノブイリの方が上です。#ICRP111
2012-03-03 23:07:18例えば、移住権の区域に挙げられているストロンチウム90> 18.5k/m2 などというところ、福島にはありません。A.1 http://t.co/0ytUM5m8 #ICRP111
2012-03-03 23:07:49あの法律、セシウムとストロンチウムとプルトニウムは AND なのか、OR なのか。どれ読んでも書いてないんだな。だいたいああいう分布をしているとすると、ANDもORも同じことになるけど、福島はストロンチウムとプルトニウムが随分少ない。 #ICRP111
2012-03-03 23:09:46