- shinkaisame
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あの日、3月11日は仕事が休みだった。 数日前から風邪をこじらせ前々日には39度の高熱が出た。 前日に病院に行き、幸いにもインフルエンザ判定ではなかった。 当日の朝には熱もすっかり下がり、妻の助言もあり大事をとって休んでいた。 それが3月11日だった。
2012-03-09 21:48:52午前中にはすっかり体調もよくなり、妻が作ったおにぎりを昼食として食べ、布団に横になり撮り溜めをしていたビデオを見る。 そんなまったりとした時間を過ごしてした。
2012-03-09 21:53:08今となってはどんなものを観ていたのが思い出せない。 ただテレビで何か観ていたのは確かだ。 14時46分。 地の底から地鳴りがする。 「んん?」と一瞬思ったのも束の間、激しい横揺れが私を襲った。
2012-03-09 22:11:58家にあるテレビ台が激しく動く、食器棚が倒れる、冷蔵庫のドアが開く・・・ 家の中にありとあらゆる家具が激しく揺れ、倒れるものもあった。 私は地震があった瞬間には立ち上がっていた。 今思えば逃げようと思ったのだろう。 テレビ台は激しく動いたが、奇跡的にテレビはまだついていた・・・
2012-03-09 22:20:25その地震は何秒だっただろう。 激しく揺れる家の中で倒れる家具があるのに点いているテレビは不気味に思えた。 今思えばなぜそのようなことを思ったのが分からないが、地震の最中に「これが宮城沖地震か!」と何故か安心した・・・ しかしそれは二度と体験することのない経験の始まりだった。
2012-03-09 22:27:35(年齢がバレるが)私は幼い頃に宮城沖地震を体験している。 それはまだ幼児であった私の脳裏にハッキリと残っている。 そんな私が『その瞬間』に思ったことは、 「くる」と言われていた宮城沖地震が来たのだ。 これでまた30年は安心できる。 この程度なのだ。 地震になぜか安心したのだ。
2012-03-09 22:39:31激しい揺れから開放され、家の中を見渡すとありとあらゆるものが散乱している。 「片付けるのが大変だなぁ」 根拠もないが宮城沖地震だと思っていた私は、そんな呑気なことを思っていた。 でもこれは「始まりの地震」でしかなかったのだ。
2012-03-09 22:47:25第一波の地震から数秒後、第二波が私を襲ったのだ。 「これはデカイ!!。デカ過ぎる!」瞬時に思った。 第一波よりあきらかに大きな地震だったのだ。 私は立っていることも出来ずに産まれたての小鹿のような状態で身構えるのが精一杯だった。
2012-03-09 22:53:52点いていたテレビは消え、瞬時に停電したことが分かった。 立っていられない私のすぐ手前にタンスが倒れてきた。 もし30cm手前にいたら私は大怪我していただろう。 冷蔵庫からはありとあらゆるものが飛び出すのが目に付いた。 本が収納され重いはずの本棚でさえいとも簡単に動いた。
2012-03-09 23:05:09・・・・・・ 第二波は何秒だっただろう... 今となっては思い出せない。 一旦揺れがおさまった。 「どうするか?」あらゆる選択肢を瞬時に考えた。 『とにかく外へ出よう』 そう思った私は枕元にあったジーンズとトレーナーそれにダウンを羽織り車のキーを持って外に出た。
2012-03-09 23:11:26外の駐車場へ出ると近所に住む奥様方数人集まっていた。 一人そして二人三人と近所の方が集まってくる。 地震はなお続いている。 舗装された駐車場は"こんにゃく"のようにうねってる。 まだ地震は続いていた。 続々と人が集まってくる。 気付いた時には駐車場の真ん中辺りに20人程いた。
2012-03-09 23:24:29