- shinkaisame
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看護師になって故郷を離れそれからずっと心の拠り所が岩手でした。横浜に来てすぐは旅行気分でしたが間もなくホームシックに。仕事が無い時間は毎日テレビをみてどこかに岩手の映像が出てないか探していました。
2012-03-11 05:54:19結婚してからも何か困ったり辛い事があったら岩手に帰ろうと思うと気持ちが楽でした。いつでも帰れるからもうちょっと頑張ろうとお姑さんの認知症の介護だって何とかなった。
2012-03-11 05:57:023月11日の震災は衝撃が大きかった。私の支えである大好きな故郷が無くなってしまったかもという恐怖は一生忘れられないと思う。
2012-03-11 06:00:05実家に電話しようとしても電話番号を間違えて上手く押せない。慌ててるのに頭の片隅で「慌ててると119が押せないって本当なんだ」とか思ってる自分がいたりして。繋がらないから何回もかける。リダイヤルすれば良かったのに慌ててるからバカみたいに一から番号を押してまた間違ったり。
2012-03-11 06:13:16電話をかけ続けながらふと小学校から下校してくるはずの下ふたりが帰って来ないぞと気付いた。外を見たら、近くの保育園が公園に避難している。子供達を迎えに行こうととっさに思いつかなかった。保育園が避難してるなら小学校だって避難してるだろ! 駄目母。
2012-03-11 06:21:43長女に家の中の安全な場所に犬を連れてジッとしているよう指示して走って学校へ向かった。ブツブツ津波10mと繰り返し言ってたのを憶えている。学校では校庭に避難させてくれていた。校長はヘルメット姿。
2012-03-11 06:25:44保護者会でちょうど学校にいた知り合いのお母さんから末っ子が校門からでた後すぐ地震があってそのまま帰らず学校に戻って偉かったよと聞いた。母さんの慌てっぷりとは対照的に末っ子は冷静だったよう。やっぱりお迎えはだいぶ遅くなってしまった。駄目母。
2012-03-11 06:30:25学校は15時には一斉緊急メールで避難している事、迎えにくるようにとの内容で指示していたようだがメールが届いたのは18時をだいぶ過ぎてからだった。
2012-03-11 06:33:22結局実家は内陸だった為無事だったがそれぞれの無事を確認するまで生きた心地がしなかった。本当に怖かった。特に地震に恐怖感を持っていた姉は職場の床にいっきに亀裂が走り天井がパラパラ落ちて来て死ぬのを覚悟したと言っていた。せめて痛くなく死にたいと思ったと。
2012-03-11 06:39:56実家が無事だったのを確認するまでの恐怖感。忘れないでしょう。実家が無事だった事に感謝し私はやはりこれからも大好きな岩手や東北の為に自分ができる事をコツコツやっていく。先立つものだって必要だからその為には仕事だって頑張る。
2012-03-11 06:44:39しかし、心と体は連動してる(驚)昨日からお腹の調子は悪いは今になって久しぶりに顔が腫れてきた。(アレルギー)私がこんなだったら直接被害にあわれた方々はいかばかりかと。皆さんの心と体の健康を祈ります。
2012-03-11 06:48:48日本経済新聞の今朝の記事。【大船渡。津波が迫り間に合わないから母が叫んだ「おらはいいから、後ろ向かねえで早く車走らせろ!頑張って生きろ!」急発進した後から聞こえた母のバンザイの叫び声。母の遺体は1ヶ月半後に見つかった。】胸が詰まる。
2012-03-11 15:26:13