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突然美濃へ行かれる胤義様。
今回は一人旅です。 大丈夫でしょうか。
藤四郎も心配で心配で……。
osozai cafe 美濃味匠。
東海地方中心に出店しているらしいですね。武蔵国の鶴見や、相模国の淵野辺にも支店があるみたいです。
こういうお店もっと出てくれれば、今の世のお勤め人にも重宝されそうですね。
しかし胤義様、すっかり迷子キャラが定着してしまってるようですね。
フォロワーさんからも心配の声が。
@1308mori 藤四郎が、あいふぉんに地図あぷりとタクシー会社の番号いれてくれたから、多分大丈夫♪( ´▽`) 飯食ったら適当に観光してくるぞ!
2012-03-11 08:10:15ちなみに藤四郎がオレに持たせた携帯充電器は、電池式と太陽電池式の二つだ。「電源切れたら死ぬと思って下さい」大袈裟だなぁ♪(´ε` )
2012-03-11 08:13:12大げさじゃありませんよ!
岐阜公園内にある、岐阜市歴史博物館ですね。
博物館の展示物はやはり信長公を中心とした戦国時代のもの中心なのですが……。
実際に手にとって遊ぶ事もできるそうです。
ただ胤義様曰く「一人双六ほど虚しい事ねぇよ……」だそうですので、ご家族・ご友人などと一緒に来た時にでも挑戦してみてくださいね♪
さて、胤義様はロープウェイに乗って稲葉山城……今の世では岐阜城に行きました。
岐阜城なう。岐阜城は伊賀光季の弟の城だったな…… ちなみに初代は二階堂氏だ。 http://t.co/UpJnPG52
2012-03-11 14:15:42稲葉山城初代城主、二階堂行政殿の母上は、頼朝様の母の父である、熱田神宮宮司の妹。その縁戚関係もあってか、政所執事に登用された方で、十三人の合議制の一人です。
その後、行政殿の娘婿であらせる佐藤伊賀守朝光殿。
伊賀光季殿のお父上で、代々蔵人所に務めていて、朝光殿が伊賀守となったので、伊賀を名乗ったのです。
また、朝光殿の娘は義時殿に嫁いで『伊賀の方』と呼ばれております。
光季殿にとっては妹の婿でもあったわけですね。
その後、光季殿の弟光宗殿が城主となります。
光宗殿が伊賀氏の変で流された後、その弟の光資殿が城主となります。
稲葉山城主となったあと、この城に因んで「稲葉光資」と改めます。
それからその後、二階堂行政殿の子孫の行藤殿に渡り、その死後に一旦廃城となります。
しかし、承久の乱の時、北面武士として宮方で戦った、美濃目代の斎藤親頼殿の子孫である、利永殿が修繕して居城とします。
……どうやら、親頼殿の子である親利殿は、許されているらしいですね。
その後、何代か後に、有名な斎藤道三殿の居城となり、織田信長公の居城となります。