古く、貴族は別として、庶民の間では、桜は人を狂わすと信じられてきた。庶民に桜が広まったのは、徳川吉宗が洪水対策のためだったか、桜を植えて、花見を推奨したのがはじまり。美の洗脳なのか、紹介なのか
2012-03-15 00:51:57@StK5K 美意識は経験したものと、経験するもの、で二通りあると思いまっせ。認められることに価値そのものがあるんじゃなくて、価値がある何かが存在するから大衆に認められるのだと信じてやまないのです。権威っていうのは今の芸術に通用する言葉なのかな。
2012-03-15 01:36:35@StK5K 花見の起源も、それは洗脳じゃなくて、桜の美意識を体験した人達の記憶が受け継がれてるって考えれるよ。桜の美意識を二次生産する桜の絵みたいなのは追加体験的な経験した美意識の芸術だといえると思いま。
2012-03-15 01:47:21@StK5K これまで芸術なんかでは決して有り得なかったものが芸術になる場合、それはこれから経験することになる芸術を体現するものになると思う。現代アートみたいなものははそういった傾向がある(あった)と言えるんじゃないかなー
2012-03-15 01:53:39@gnometter 「これから経験することになる芸術を体現するもの」…なるほど‼ 芸術の創造、ひいては、豊かな生活の創造という、とても有意義でエキサイティングな試みに思いました
2012-03-15 01:58:41@StK5K うーん、美意識の構成要素てのは他者の経験が強いんだろうなあ。他者がいる一方で、今の自分の存在性というものがあって、その経験を他者に向けて発信することで、他者の美意識に関わる。他者にはメタな自分が含まれていて、相互関係で美意識が成り立つんじゃないかと。うまく言えないー
2012-03-15 02:11:55@gnometter いや、多分伝わっていると思います。。そういう「相互関係」によって、共通の美意識が構築されると。僕は昔から、共通の美意識を持てる理由について疑問に思っていましたが、納得しました。そういう人と人との繋がりがあることを嬉しく思いました
2012-03-15 02:26:56美術、美しいという感覚が発生する瞬間はまさに、感覚という瞬間なのだろうと。それは経験されたものと、されるものとの二通りがあることによって、ある種自己感覚の陶冶による、新たな造形美の創造。この経験は創造性に他ならない。真なる創造性はいかんともしながな。これが共有しうる問題でもある。
2012-03-18 02:00:11美意識という感覚が(例えば)可愛いという感覚ならば、可愛さという感覚は他者による感覚によるものであって、新たに可愛さと呼ばれるに値する感覚を産み出せる、もしくは、可愛さの根元、または本質に触れられるものを産み出した場合、それは芸術的な問い掛けに他ならない、からこそ。芸術は文系。
2012-03-18 02:06:43