20120318 #NHK スペシャル「東京大空襲 583枚の未公開写真」
#NHK #nhkspecial 四方から迫る火の手。逃げ場を失い、多くの人が焼死。東方社カメラマン、空襲後に撮影。浅草寺境内への参道を人々が行き交う。遺体安置所へ家族を探しに行く。井上常一さん、当時12歳。「本当にこうでした。今でもはっきり思い出しますね、この写真は」
2012-03-18 21:34:19#NHK #nhkspecial 井上さん、浅草の町で家族を探し続けていた。両親・妹・弟とはぐれた。「火の粉の川ですね。春日通りが火の粉の川になっていた。向こう側が見えなかった」家族とは再開できず。「戦後3〜4年はまだ生きているんじゃないかと。今でも思うことありますよ」
2012-03-18 21:35:52#NHK #nhkspecial 3月20日、浅草仲見世。商店は柱を残して壊滅的な被害。町のあちこちに、家族の消息を確かめようとする人たちが行き交う。互いに顔を覗き込むことも。中村俊子さん、当時15歳。父親を探していた。病院、避難所、自宅の焼け跡など探しまわった。
2012-03-18 21:37:20#NHK #nhkspecial 空襲から49日。父親は帰らない。遺体安置所へ初めて向かう。「この辺歩いたら、ダーッと死体が見えました」目の前に1万3000人の遺体。「あっ、お父ちゃん!お父ちゃんがいた!お父ちゃん、亡くなっちゃったのね…苦しかったでしょう…」
2012-03-18 21:39:03#NHK #nhkspecial 3月10日を境に大規模爆撃が本格化。5月25日、3月10日の倍近くの焼夷弾が投下。翌日、九段が2度目の大規模空襲。3200人余りが死亡。建物の外壁すらなく、逃げ場がなかった。
2012-03-18 21:40:45#NHK #nhkspecial 内田道子さん、当時13歳。写真の場所で爆撃を受けた。背中に傷跡が残る。化膿してふさがらなかった。「腐ってくるんだもの、どんどん。普通の痛みじゃない。それこそ、殺してもらったほうが楽になるから『殺して〜!』と叫んでいたのを覚えている」
2012-03-18 21:42:04#NHK #nhkspecial 手作りの葬式。焼け跡から拾ってきたものを使って。カメラマン、この場所で10回繰り返してシャッターを切っている。あらゆる角度から町や人々を記録。棺のそばに佇む少女。少女は亡くなっていた。遺族に会う。「これ母ですか?」初めて見る母の姿。
2012-03-18 21:44:04#NHK #nhkspecial 棺の中には少女の姉がいた。当時12歳の少女、姉が焼夷弾の直撃を受けて亡くなるのを目撃。「爆撃で胸に穴があき、亡くなりました」戦後、母親となった少女、娘たちにその様子を亡くなる直前まで話し続けていた。「この一枚の写真が一番物語っている」
2012-03-18 21:45:31#NHK #nhkspecial 5月末、東京の半分以上が焼失。あれから67年。亡くなった大勢の遺体が安置されていた場所は、いまは公園に。走りまわる子供たち。「みんな元気だ…こういう日がずっと続けばね…戦争はダメ」正確な犠牲者数はいまもわかっていない。
2012-03-18 21:47:26#NHK #nhkspecial 583枚の写真は、67年間埋もれてきた歴史を明らかにした。米軍無差別爆撃で奪われた多くの命、家族の絆。それがいかにかけがえのないものであったか、写真は語りかけている。
2012-03-18 21:48:28