私が読んだものでお薦めできる仏教の本は何だろう・・・高崎直道の『仏教入門』は東大教授が薦めていたのでごく分かりやすい方だと思う。http://t.co/Amd1svcs
2012-03-20 11:27:22元々「成仏」という言葉は仏教の教義面からみれば、個人が正しい実践や修行を通して悟りの境地に得たことを指す言葉なのだけれど、近世以降の檀家制度や癒着した仏教の堕落した結果で「死」のイメージの代名詞になってしまった
2012-03-20 20:19:25こうした批判を定着させてきたのは、明治以降の外来のキリスト教に対抗して仏教を日本人の精神的支柱として立て直そうとするエリートや知識人たちだった。現実にも多くの既成仏教の宗派の体制を支えているのは、葬式や法事のお布施や戒名料。
2012-03-20 20:23:57キリストやイスラムでも、それらが一定の地域に定着するためには、葬祭のような民衆層の生活に根ざした習俗と結びつく必要があり、仏教が開拓した死者供養という方法は、日本人のなかに先祖を敬う道徳性を育て、死者との親しい交流の場を積極的な役割を果たしてきたという賛辞も聞かれる。
2012-03-20 20:28:29「死者との関係」で生きている者にとって最大の義務は、「苦しむ死者」を何らかの方法によって「安らかな死者」に変えてやることだ、という考え方が根強く生き続けてきた。
2012-03-20 20:34:24日本に移入された仏教も、その土着化、民衆化の過程では、この死者イメージの転換を変える役割を積極的に担う方法として歓迎された。「死者供養」とは、その方法論で積極的に煽り立て、「浮かばれない死者」を「成仏」させることが遺族たちの責務であり、そのためには「死者供養」が最適の方法
2012-03-20 20:39:04こうした考え方は本来の仏教経典には明確には説かれていない。ここで考えてみたいのは広い意味での民衆仏教史で、人々に仏法を説いたのはすぐれた著作を残した高僧だけではなく、その大半は村庵や草堂に住み着いた名も無き仏教者たちであり、その活動は歴史の闇のなかに沈んでいるが
2012-03-20 20:50:16つまり、今ある民衆仏教が読み書きも出来ないような人々を納得させ、彼らの心に響くような説法を行い、全国津々浦々の庶民層にまで広めていったのは行者、修験、巫女などの半僧半俗の宗教者だった。
2012-03-20 20:57:02死者供養は日本だけではなく、中国や韓国といった仏教の流れを経由した国は僧侶や寺院が葬儀に関わるといった風習は見られないが、位牌を安置して死者を供養するといった空間は確保されている。
2012-03-20 21:05:41イスラームはそれぞれ個人の死後の運命はすべてその人の生前の行いによって決まるのであり、遺族が死者に功徳を向けるといった行為は原則的に認められていない。死後何日目や、毎日の命日に遺族が費用を負担して儀礼と食事会をするといった日本と同じような風習はあるらしい。
2012-03-20 21:12:50(こうした食事会をやらないと死者が怒って出てくるといったエピソードがあるので、身近な死者が天国に行ける可能性を高めたいという遺族の気持ちがあるようで・・・)
2012-03-20 21:15:33キリスト教ではカトリックの正統な教義で罪を犯した者はすぐに天国へ行くことは出来ず、一定の期間煉獄で苦しみを受けて罪を償う。これを大いに宣伝し民衆に広めたのは中世の修道士たちであり、11月2日を死者たちの平安を祈る祭式の日は今日でも万霊節として様々な行事が行われている。
2012-03-20 21:23:54@Orpheus00 多分、宗教を持って修行している人と土着した宗教で動いている人は宗教そのものの捉え方が違うのだろうなぁと思います。
2012-03-20 21:32:04