I_Amraamski氏の語るチェロメイ設計局の手がけた戦略ミサイルについて
@LH2NHI 具体化するかなり前で頓挫したものなのでかなりマニアックな品ではあるのですが…w MRが頭に付くか後ろに付くかで大違いですよね。
2012-03-21 00:20:31@I_Amraamski そういえば、URシリーズではUR-200って試験飛行は行われましたが運用されていませんよね。これはFOBSが中止になったからなのでしょうか?
2012-03-21 00:31:43@LH2NHI @I_Amraamski FOBSとの関連はわかりませんがUR-200はチェロメイのOKB-52が開発した事もあり、フルシチョフ失脚後にヤンゲリのR-16・36に比べてペイロードの重量が小さいと言う理由でキャンセルされてます。
2012-03-21 00:39:30@doku_f @LH2NHI これは色々な要素があると思います。まずNPOマシノストロエニヤ公式サイトでは、UR-200がR-16UやR-36のようなサイロ発射に対応していなかった事を挙げていますね。 http://t.co/WtFJy2eE
2012-03-21 00:55:03@I_Amraamski @LH2NHI えっ、そうなのですか。以前見たプロトン開発史(露)ではOKB-52は独自に竪穴式ミサイルサイロ打ち上げシステムを開発しているので、てっきりUR-200も対応していると思ってました。http://t.co/XA1en0Hs
2012-03-21 01:02:39@doku_f @LH2NHI これは私も意外に思いました。UR-100と500にはあるサイロが200には無いというのは… 200は開発開始が他の2つに比べて早いように思えるので、それが理由かもしれません。
2012-03-21 01:12:20@doku_f @LH2NHI UR-200の件の続きですが、このユジュノエ公式本に試験やプレゼンのエピソードが書かれていますね。R-36はUR-200には出来ない14000kmの試射を成功させ、高い精度も指導部に見せつけたとの事です。 http://t.co/QITGPv3G
2012-03-21 20:00:56@doku_f @LH2NHI またFOBSについては中止はされておらず、R-36でもICBMの8K67の他にFOBSの8K69(R-36orb)が作られ、配備についています。
2012-03-21 20:01:47さて、10postsほど連投したいと思います。「ヤンゲリ設計局が重ICBM・R-36計画を始めるまで」のような感じで。
2012-03-21 22:47:43ソ連最初のICBMは60年に配備されたコロリョフのR-7(SS-6)ですが、今のソユーズに続くあの大げさな発射台と燃料を充填しての長期保存が不可能なケロシン-液酸推進系のため戦力としては非現実的であったのはよく知られています。
2012-03-21 22:48:53軍の本命はR-12 MRBM,R-14 IRBMで実績を上げたヤンゲリ設計局のR-16でした。これはヒドラジン推進系で爆発事故「ネデリン大惨事」を引き起こした事から悪名高いですが、ピーク時の配備数はR-7の6基、また同じくコロリョフのR-9の23基に比べて197基と圧倒的です。
2012-03-21 22:49:38R-16は61年に配備されました。最初は非硬化の発射台からの発射方式でしたが、63年からはサイロ配備型も配備されています。2段式で発射重量は140t、投射重量は2.2tで弾頭威力は5-6Mt。
2012-03-21 22:50:29このR-16の後継として、ヤンゲリ設計局はR-16が開発中の60年のうちにR-26計画をスタートさせました。燃料充填状態での貯蔵期間がR-16の30日から1年にまで伸ばされた他、もちろん精度も向上するものとされました。
2012-03-21 22:52:03しかし大きな違いはそのサイズで、弾頭威力1.6Mt、射程11600kmで発射重量は85tと、R-16に比べ大きく小型化されていたのです。 http://t.co/NdPWznuW
2012-03-21 22:52:55しかし62年、地上試験完了にまでこぎつけたR-26計画は政府により中止されてしまいます。燃料充填状態での貯蔵期間の不足が理由とされていますが、他にも色々な理由が考えられます。
2012-03-21 22:53:461つはアメリカのミサイルに対抗する必要性です。30tと小型で低コストなミニットマンと150tと大型ながら9Mtの大威力弾頭を運べるタイタンIIの二本立て構成に比べると、85t, 1.6MtのR-26はどっちつかずな印象を受けます。
2012-03-21 22:57:27実際チェロメイは当時からより小型のICBM、UR-100の構想を持っていたはずですし、実はヤンゲリ自身もR-38という小型ICBM案を進めていました。R-38は「何故か」開発に移らせてもらえず、ここではチェロメイの勝利となったようですが… http://t.co/VkSALqeO
2012-03-21 22:58:33一方より大型のICBMも、62年当時コロリョフのGR-1やチェロメイのUR-200がFOBS、又打ち上げ機を兼ねる形で開発されていました。しかしこれらはタイタンIIの能力には届かず、ミサイル戦力としての洗練度の方も高くはなかったと言えます。
2012-03-21 23:02:45思うにヤンゲリはこれらの上、180tのセグメントに勝機を見出したのでしょう。R-26の中止後すぐにR-36の開発が始まりました。R-26の技術を更に高めて生み出されたR-36は他を抑え、10Mt弾頭を投げられる重ICBMとして不動の地位を築く事となります。
2012-03-21 23:03:24もう1つはやはり設計局間の分業、政治的問題でしょう。当時UR-100のチェロメイはフルチチョフ、R-36のヤンゲリは軍需産業行政のドン・ウスチノフに支えられていましたが、2つの設計局の戦いは冷戦終結まで続く事になります。
2012-03-21 23:14:26今回の連投はこんなところで。宇宙クラスタの方とのやりとりで浮かんだネタでした。R-26やR-38といった未成兵器には軍事クラスタの一角としても好奇心をそそられますね。。
2012-03-21 23:33:56@I_Amraamski ありがとうございます。なるほど、中途半端はダメと言うことなんですね。でも、せっかく小型にしたのにUR-100ってUR-100Nにしたときに40t級から100t級になってますが、これはなぜでしょう??
2012-03-21 23:37:54@LH2NHI きちんと調べてはいないのですが…UR-100まではミサイルの数=弾頭数であったのに対し、UR-100NではMIRV化によって1発のミサイルで6個の弾頭を運べるようになりましたので、1発当たりのコスト上昇をある程度許容出来るようになったのではないかと考えます。
2012-03-21 23:49:50