水道橋博士の「浅草橋ヤング洋品店のロケがすごかった」話

水道橋博士氏が、軍モノのDVDを観て当時を思い出す。
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水道橋博士 @s_hakase

『ザ・パシフィック』第5話。ベリリュー。ベリリュー(サイパン)上陸作戦。『プライベート・ライアン』の再現、踏襲だが、ドラマ規模とは思えない規模、そして殺戮、死体の山。後の硫黄島へと引き継がれる日本軍の少数ゲリラ戦法の抵抗戦が壮絶極まる。

2010-06-10 20:02:31
水道橋博士 @s_hakase

内覧用のDVDで。本放送はWOWOWです。「海外ドラマNAVI」で紹介します。RT @roy_hk599 ザ・パシフィックはどのような方法でごらんなのですか?

2010-06-10 20:32:44
水道橋博士 @s_hakase

ザ・パシフィックを見てると、ダンカンさんや浅草橋ヤング洋品店時代のロケを思い出す。それは本当に軍隊そのものだったからだ。

2010-06-10 22:02:38
水道橋博士 @s_hakase

浅ヤンの頃のTディレクターのロケは今も伝説的だ。徹夜で現場に入って阪本順治のように撮影中に食事を口にしない。だからADですら飯の話はしない。タレントの俺たちですら、一発ОKがなく何度もリテークがあるので次の台詞を練り、ロケの内容以外の話は出来ないムードなのだ。

2010-06-10 22:07:18
水道橋博士 @s_hakase

(T監督)ロケにルーティンワークはなく常に問題作を撮り下ろすような内容で、なにより毎回、業界内すらひっくりかえるような仕掛けや演出があった。なにしろ15分のVに一日中費やした。

2010-06-10 22:11:00
水道橋博士 @s_hakase

(T監督)文字通り、現場は「戦場」であり、現場で「ゆるい」雰囲気が流れることはなかった。想像と破壊の意志が指揮官から伝わり、兵隊は必死で答えた。そして報われるのはスタジオのV出しの時だった。

2010-06-10 22:13:03
水道橋博士 @s_hakase

T監督はテリーさんではないのです。テリーさんはさらに上のボスで作戦会議は狂気の沙汰、地獄の沙汰であった。

2010-06-10 22:14:37
水道橋博士 @s_hakase

(T監督)のロケの作家は常にそうたに君で、その台本は(手書きであったので)二人のディベートの後がありありと残り、古今東西の映画の残痕を残し、監督は、その叩き上げた台本をさらに演出でスケールアップしようと作家を現場に呼ぶことなく独裁者の如く振る舞い演出した。

2010-06-10 22:17:44
水道橋博士 @s_hakase

(T監督)のロケの作家は常にそうたに君で、その台本は(手書きであったので)二人のディベートの後がありありと残り、古今東西の映画の残痕を残し、監督は、その叩き上げた台本をさらに演出でスケールアップしようと作家を現場に呼ぶことなく独裁者の如く振る舞い、緊張感と共に演出した。

2010-06-10 22:18:10
水道橋博士 @s_hakase

T監督の現場の粘りがあまりにも厳しいため、スケジュールを切る事務所がなくなったほどであり、実際、『元気』の頃、高田純次さんすら「しつこいから」とNGになった。しつこい高田の原型なのだ。

2010-06-10 22:20:24
水道橋博士 @s_hakase

T監督の厳しさにADは何人も現場で逃亡し、金万福は「二度と嫌だ」とTVに出たがらなくなるほどで、ヒロミチナカノは金粉でマラソンを余儀なくされた。皆、人間的に追い詰められほどだった。しかし、それだからこそ『革新的」なものづくりは為された。

2010-06-10 22:28:20
水道橋博士 @s_hakase

僕もT監督(土屋さんでも高橋がなりでもない(笑))の演出があまりにもキツすぎてマイクを叩きつけてロケ先から宿舎に一度帰ったことがある。ホテルに戻ると、その日は、関西大震災で被害の模様が刻々と伝えられていた(つづく)

2010-06-10 22:40:37
水道橋博士 @s_hakase

T監督の現場は、終り時間が果てしなく、当時、ニッポン放送の生放送レギュラーを持っていた、その時間にすらこぼれたこともあった。(信じられるだろうか?)スタジオのサブだしが完成出来ず、ナレーションをマイクで説明するような時も再三あった。

2010-06-10 22:46:20
水道橋博士 @s_hakase

T監督は映画とサブカルを鬼のように見まくりチェックしていて「あれを見たか?」「これを読んだか?」とロケバスでも問い掛け続けた。(今の大根仁監督が近いだろう)それは毎週、特番のように単発でやっている企画にすぐに結びついた。

2010-06-10 22:57:05
水道橋博士 @s_hakase

世の中がひっくりかえるような作品を作るためには、打ち上げの飯の話や終わり時間を見ているような和気あいあい現場では無理だ。火花が散るような議論と戦場がないと。糞まみれの老兵はザ・パシフィックを見ながら思うのだ。

2010-06-10 22:57:47
水道橋博士 @s_hakase

RT @shimazujaoriya: 少しも大袈裟じゃないですね、この話。ボクはミニスカ時代、PKOに派遣された自衛隊より厳しい環境とみんなに慰められましたよ。RT @s_hakaseT監督の現場は、終り時間が果てしなく、ニッポン放送の生放送レギュラーを持っていた、その時間にすらこぼれたこともあった。

2010-06-10 22:58:51
水道橋博士 @s_hakase

RT @shimazujaoriya: そして毎週、20冊近い雑誌を購入してましたね。RT @s_hakase T監督は映画とサブカルを鬼のように見まくりチェックしていて「あれを見たか?」「これを読んだか?」とロケバスでも問い掛け続けた。

2010-06-10 23:00:23
水道橋博士 @s_hakase

RT @shimazujaoriya: 作家も同様でしたね。周りの人に「卒業生はいないから、Tさんにつくのはやめな」とみんな止めましたね。そんなTさんが最初にボクに掛けた言葉が名言です。「いいか島津!俺を好きになれ!」RT @s_hakaseT監督の厳しさにADは何人も現場で逃亡し。

2010-06-10 23:10:25
@s_hakase

関西大震災の日にロケしたVTRを調べた。『グルメ秘湯付き美女湯けむりミステリークイズツアー』だった。しかもポロリ付きという。東伊豆の北川温泉つやるホテルで、テレ東の視聴率が取れそうな企画を全部並べただけという企画。

2010-06-10 23:23:07
水道橋博士 @s_hakase

RT @shimazujaoriya: ミニスカ時代もそうでしたが、フリのカットが明るくて次のカットでは夜中になるというOA上は不思議なことも多々ありましたね。RT @s_hakase浅ヤンの頃のTディレクターのロケは今も伝説的だ。

2010-06-10 23:24:15
水道橋博士 @s_hakase

RT @kunckn: 今、@s_hakase氏が語っているT監督は、かつて博士と共に熱烈投稿(コアマガジン社のエロ本)で連載をしていたあのT氏だろうか。その後、SODで数多くの問題作を撮影していたあの監督と同一人物と知り、深く納得した覚えが…。ちなみに、竹内義和先生が連載してたのは投稿写真。

2010-06-10 23:24:20