日本人は弱い立場の人(フリーライダーや自力で生活できない人)に冷たく、生活保護の捕捉率が低いのか?

「日本人はアメリカ人と比べ、自分が損をしてもフリーライドする人の足を引っ張る傾向にある」や『「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」と答えた人の割合は日本が世界中で断トツ』、マスコミを信じる、生活保護の捕捉率が低いなどなど、についての@qgatti氏とのやり取り。 ★個人的には「日本人は○○」という括り・表現は嫌いなのだが、各国の比較で日本が突出しているような結果が出ていたので、あえてこういう題名にしました。 ●本まとめと通底すると思われる、「教員の授業スタイルの国際比較:日本の高校が注入主義に極端に偏っている」ことに関する記事・ツイートを追加しました。 ●関連するまとめ: 続きを読む
40

上記ツイートに引用された記事の抄録:


「成長論」から「分配論」を巡る2つの危機感

自力で生活できない人を政府が助ける必要はない!?

波頭 亮
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20111114/223822/?rt=nocnt

2011年11月18日(金)

(....省略....)

 私が格差と貧困の問題を深刻だと感じる具体的論点を2つ挙げておこう。

「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」が約4割

 1つは、日本では「自力で生活できない人を政府が助けてあげる必要はない」と考える人が世界中で最も多くなっている点である(出典:「What the World Thinks in 2007」The Pew Global Attitudes Project)。「助けてあげる必要はない」と答えた人の割合は日本が38%で、世界中で断トツである。第2位はアメリカで28%。アメリカは毎年多数の移民が流入する多民族、多文化の国家であり、自由と自己責任の原則を社会運営の基軸に置いている。この比率が高くなるのは自然なことだ。そのアメリカよりも、日本は10%も高いのである。

 日米以外の国におけるこの値は、どこも8%~10%くらいである。イギリスでもフランスでもドイツでも、中国でもインドでもブラジルでも同様で、洋の東西、南北を問わない。経済水準が高かろうが低かろうが、文化や宗教や政治体制がいかようであろうが、大きな差はない。つまり“人”が社会を営む中で、自分の力だけでは生活することすらできない人を見捨てるべきではない、助けてあげなければならないと感じる人が9割くらいいるのが“人間社会の相場”なのである。

 にもかかわらず日本では、助けてあげる必要はないと判断する人の割合が約4割にも達している。日本は、“人の心”か“社会の仕組み”かのどちらかが明らかに健全/正常ではないと言わざるを得ない。この場合、政治の制度や仕組みと比べて人の心はずっと普遍的であるはずなので、問題は日本の政治の仕組みや政策にあると考えるのが妥当である。言い換えるなら、人の心をここまで荒んだものにしてしまうほどに、現行の日本の政策や制度は正しくないということになる。

格差と貧困は後回し?

 もう1つの危機感は、格差と貧困を生み出している政策、特に分配政策に関する国民意識と改革の気運があまり高まっていないように感じられることにある。

 前回のコラムで紹介したように、格差も貧困も悪化の一途をたどっている。相対的貧困率は16.0%と史上最悪、生活保護支給者の数も200万人と史上最悪に達している。にもかかわらず、社会問題化するほどには話題にならない。改善アクションにもつながっていかない。

(....省略....)

 


世界各国の「新聞・雑誌」や「テレビ」への信頼度をグラフ化してみる

http://www.garbagenews.net/archives/1102258.html

2009年11月03日16:37
先日調べ物をしていたところ、非常に興味をそそられる書籍が目に留まった。去年の10月に発売された【世界主要国価値観データブック】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4496044528/japangamenews-22/ref=nosim
なるものだが、世界各国の国民の意識・価値観の多様性を、多種多様な調査項目から紹介するデータ集だという。日本人の、あるいは他国の人たちとの特異性などを推し量れるデータが図や表で盛り込まれているとのこと。今後の記事構成や考察に役立つものも多いだろうと判断し、早速アマゾンで購入。今回は手に入れた同紙から、「これは今後他の記事でも役に立つはずだ」とチェックをした項目の中でも最上位にあたる、「主要国における新聞・雑誌やテレビ(要はマスコミ)に対する信頼度」についてグラフ化してみることにした。

今調査結果は世界数十か国(80か国以上)が参加して実施している国際プロジェクト「世界価値観調査」によるもの。各国・地域毎に全国の18歳以上男女 1000サンプル程度(実際には1000~2000人程度)の回収を基本とした個人対象の意識調査。調査そのものは2005~2006年にかけて行われており、該当冊子は先行して集計が終わった25か国分のデータが収録されている。

今回グラフ化するのは、資料編に掲載されている「組織・制度への信頼」のうち、「新聞・雑誌」と「テレビ」、いわゆる「既存マスメディア・マスコミ」に対する信頼度。選択項目として「非常に信頼する」「やや信頼する」「あまり信頼しない」「全く信頼しない」「わからない」「無回答」が用意されているが、このうち「非常に信頼する」「やや信頼する」を足して、そこから「あまり信頼しない」「全く信頼しない」を引き、各メディアへの信頼度(DI値)を算出することにした。要はこの値が大きいほど、その国では対象メディアが信頼されていることになる。なお「新聞・雑誌」においてイラクは調査が行われず、表からは除外してある。

http://www.garbagenews.com/img/gn-20091103-14.gif
世界各国における新聞・雑誌への信頼度(2005年)(非常に信頼・やや信頼-あまり信頼しない・全く信頼しない)

http://www.garbagenews.com/img/gn-20091103-15.gif
世界各国におけるテレビへの信頼度(2005年)(非常に信頼・やや信頼-あまり信頼しない・全く信頼しない)

ぱっと見で分かるのは、日本は先進諸国の中ではずば抜けて、そして全体でもかなり上位に位置していること。特に「新聞・雑誌」においては「妄信」に近いレベルとなっている。【「新聞って信頼できるよね」「正確だよね」はそれぞれ6割、ただし若者と高齢者の間には大きなギャップも】や【新聞記事や特集7割・テレビ番組8割……シニア層の情報源、テレビや新聞が圧倒的】にもあるように、日本国内では特に高齢者の方が新聞などの既存紙媒体のメディア、そしてテレビを信頼する傾向が強い。この傾向は世界各国どこででも同じようなイメージがあったが、実は日本だけの傾向の可能性はある(アメリカでも【アメリカ人がいつテレビを見ているのかがひとめで分かる図】にあるように、高齢者の方がテレビ視聴時間は長い。にも拘わらずテレビへの信頼度が全体として低いままなのは、「テレビは信頼できないもの」と割り切った上で、娯楽として視聴しているからなのだろう)。

また、国の名前の並びを良く見ると気がつくことだが、全般的にアジア系諸国は「新聞・雑誌」「テレビ」への信頼度が高い。メディアや情報に対する考え方が根本的に違うのかもしれない。

今調査はあくまでも2005年当時のもので、

(....省略....)

マスコミは司法行政立法に続く第四の権力と呼ばれることがある。西洋社会においては今調査結果のように、視聴者側の割り切り・実態の把握が出来ているからこそ、適切な力の発揮に留まり、すぐれたバランスを維持している。しかし日本においてはあまりにも影響力が大きすぎ、きわめて不健全でアンバランスな状態にあるのかもしれない。

 


『貧困』を考える-2.捕捉率19.7%

2009年11月02日 | 貧困を考える
http://blog.goo.ne.jp/hardsix/e/22afd2a8a60b75ae23f9d8294d8189c6

 ドイツ:85~90%
 英 国:87%
 日 本:19.7%

 日本だけ異常に低い、この数値。
 これは、生活保護基準以下の生活者のうちの保護受給者の割合、すなわち生活保護の“捕捉率”である。
 「生活保護」というセーフティネットが存在しながら、日本の場合、このネットには大きな穴が開いている。生活保護の受給対象にありながら、そのうちの 80%のひとが受給できていないのである。

(....省略....)

 実は、この生活保護の捕捉率の調査を、自公旧政権は拒否してきた。貧困率を調査しない、という姿勢と同じである。したがって、捕捉率19.7%というのは推定値である。
 捕捉率について日弁連は4チームの研究者による推定値を紹介(生活保護法改正要綱案のリーフレット)している。

 ①和田有美子・木村光彦(1998) 
  生活保護世帯の平均消費額・最低生活費以下の世帯
  → 10.0~9.0%(1988~1993)
 ②小川光(2000)
  生活保護基準未満の世帯
  → 9.9%(1995)
 ③駒村康平(2003)
  生活・住宅・教育扶助と各加算の合計額以下の世帯
  → 18.5%(1999)
 ④橘木俊昭・浦川邦夫(2006)
  生活保護基準未満の世帯
  → 19.7~16.3%(1995~2001)

 19.7%というのは、こうした研究のうち、橘木俊昭・浦川邦夫が割り出した数値の最も高い値を採用している。

(....省略....)

 反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠氏は、この問題の背景に自治体による「水際(みずぎわ)作戦」があると指摘する。
 湯浅氏によると、「生活保護など受けたくない」という心理的な要因とともに、自治体の窓口において、担当職員が本人の働く意欲や親族による扶養を盾にして、申請そのものをさせずに追い返す「水際(みずぎわ)作戦」が横行している、という。2007年7月に、北九州市において生活保護を打ち切られた男性が、「おにぎりが食べたい」と書き残して餓死していたという事件は記憶に新しい。北九州市の事件は「水際作戦」の氷山の一角にすぎない。湯浅氏は、自治体窓口で保護の申し出を拒否されたうちの66%がその対応に生活保護法違反の可能性がある(日弁連の見解)と指摘している(『反貧困』湯浅誠著 岩波新書より)。

(....省略....)

 日弁連は、2006年10月の第49回人権擁護大会において、「貧困の連鎖を断ち切り、すべての人の尊厳に値する生存を実現することを求める決議」を採択し、生活保護制度の実態把握とその運用改善、申請援助体制の整備、生活保護法改正提案のための調査研究等の活動に取り組んだ。その結果を生活保護法改正要綱案として取りまとめ、2008年11月、要綱案を厚生労働大臣、財務大臣、そして各政党宛に提出している。この要綱案には、以下の4本柱が定められている。

第1 水際作戦を不可能にする
 ○実施機関は申請権を侵害してはならないことを明記する
 ○国と実施機関の周知・広報義務、説明・教示義務を明記する
 ○簡単に書ける申請書の窓口備置きを実施機関に義務づける
第2 権利性を明確にする
 ○法律の名称を「生活保障法」に変える
 ○「保護」の用語をやめ「保障」や「給付」に置き換える
第3 保護基準決定の民主的コントロール
 ○保護の基準は厚生労働大臣ではなく国会が定める
 ○老齢加算、母子加算を復活させる
第4 ワーキングプアに対する積極的支援
 ○収入が最低生活費の130%未満であれば、資産を問わず、
  住宅・医療・生業に限り支援を行う

 「貧困」問題は貧困層だけの問題ではない。セーフティネットが機能しない状況は様々な社会的混乱を招く。それは国家そのものの衰退に直結する。究極的には「戦争」の2文字につながる問題である。そうしたことを次稿以降で、さらに考察していきたい。

 


ブログ記事「データえっせい:教員の授業スタイルの国際比較」http://tmaita77.blogspot.jp/2012/09/blog-post_29.html
から引用(図や表は、本まとめ中に別途掲載)。


2012年9月29日土曜日

 教員の授業スタイルの国際比較

 国際学力調査PISA2009のデータセットづくりに勤しんでいます。9月21日の記事で申したように,学校質問紙調査のデータセットは,何とか完成しました。しかし,生徒質問紙調査については,一筋縄ではいきません。ケース数が膨大であるからです。

 下記のOECDサイトからダウンロードしたテキスト形式の圧縮データを,エクセルに取り込むことができません。しからば,必要な設問のデータだけを取り込めないかと,いろいろ悪戦苦闘した結果,ようやくその方法をマスターしました。現在,対象生徒の出身階層,学校観,教師観,および教師の授業スタイルの設問のデータセットを作り終えたところです。
http://pisa2009.acer.edu.au/downloads.php

 74か国,51万5,958人分のデータです。とうてい一つのファイルに収まりきりませんので,いくつかに分割しています。ともあれ,このような膨大な数のデータを,自分の関心に即して自由に分析できることに感激を覚えます。

 早速,このお宝に手をつけてみましょう。今回は,各国の生徒が日頃受けている授業がどのようなものかをみてみようと思います。調査票のQ37(日本語版では問33)では,対象の生徒に対し,「国語の授業で,先生は次のようなことをどのくらいしますか」と問うています。調査対象の生徒は,15歳の高校1年生です。

 いずれの項目も,生徒中心主義の進歩的な授業スタイルに関わるものです。よって,選択肢の数字は,各国の教員の授業スタイルがどれほど進歩的かどうかを測る尺度として使えます。

 このように考えると,教員の授業スタイルの進歩度は,7点から28点までのスコアで計測されます。全部4を選ぶような,バリバリの進歩的授業を受けている生徒は28点となります。逆に,全部1に丸をつける(不幸な)生徒は7点となります。

 PISA2009の対象となった生徒の目線から,各国の教員の授業スタイルを評価してみましょう。なお,いずれかの項目に無回答ないしは無効回答がある生徒は,スコアの算定ができないので,分析から除きます。下表は,74か国,38万1,849人のスコア分布です。

 19点をピークとした,きれいな山型の分布です。私は,この分布を参考にして,調査対象の生徒を3群に分かちました。まず,17点までの者は,伝統的な授業を受けている群に括りました。以下,伝統群といいます。一方,21点以上の者は,進歩的な授業を受けている者とみなし,進歩群ということにします。18~20点の者は両者の中間ということで,中間群と命名します。

 <  >内の数値から分かるように,3群の量は均衡のとれたものになっています。では,国ごとに,この3群の分布がどう違うかをみていきましょう。まずは,日本を含む主要先進国,お隣の韓国,そして学力上位常連のフィンランドのデータをご覧に入れます。(  )内の数字は,各国のサンプル数です。

 悲しいかな,わが国では,進歩的な授業を受けていると評される生徒は,全体のたった4.1%しかいません。逆にいうと,全体の7割が,上記のスコアが18点未満の伝統群に括られます。

 このような分布は,わが国に固有のものであるようです。他のいずれの国でも,進歩群の比率が日本よりも高くなっています。ドイツでは,15歳の生徒の約半分が,進歩的な国語の授業を受けていると判断されます。ただ,学力上位のフィンランドにおいて,この群の比率が国際的な平均水準(3割)よりも少ないことはちょっと意外です。

 以上は7か国のデータですが,残りの67か国では,3つの群の分布はどうなっているのでしょう。74本もの帯グラフを描くのは煩雑ですので,簡素な表現方法をとります。横軸に伝統群,縦軸に進歩群の比率をとったマトリクス上に,74か国をプロットした図をつくりました。これでもって,各国の教員の授業スタイルの進歩性を読み取っていただければと存じます。

 図の見方はお分かりかと存じます。左上にあるのは,進歩群の比率が高く,伝統群の比率が低い国です。つまり,進歩的な授業を行っている教員が多い国と解されます。右下に位置する国は,その逆です。斜線は均等線であり,この上に位置するのは,伝統群よりも進歩群が多いことを示唆します。

 ほう。わが国は,右下の極地にあります。教員の授業スタイルの進歩度が,74か国で最も低いことが知られます。それもそのはず。伝統群が73%,進歩群が4%という結果ですから。

 一方,対極の左上には,ハンガリーやポーランドといった東欧の国が多く位置しています。ハンガリーでは,全生徒の6割が進歩的な授業を受けていると評されます。これはスゴイ。ドイツは,これらの東欧諸国の群に近い位置にあります。他の先進諸国は,おおよそ中間の位置です。

 わが国の好ましくない状況が浮き彫りになったのですが,上記の7つの項目だけでもって,授業の進歩性を測ることは乱暴であることは分かっています。何をもって進歩性というのかと問われたら,返答に窮します。ですが,生徒に考えさせる,実生活との関連を分からせるというような項目への生徒の反応は,一つの目安にはなると思います。

 教授のスタイルというのは,知識をひたすらつぎ込む注入主義と,考える力のような,子どもの諸能力の開発に重点を置く開発主義の2つに分かれます。どちらがよい,悪いという話ではなく,双方のバランスが重要なのですが,日本の場合,前者に明らかに偏していることが示唆されます。是正が要請されるところです。

 ただ,ここでみたのは高校生のデータであることに注意しなければなりません。大学進学規範の強いわが国では,高校段階では,受験向けの授業の比重が殊に高くなる傾向にあります。検討する手筈はありませんが,小・中学生でみたら,また違う結果になるかもしれません。いや,そうであってほしいものです。

 では,この辺りで。季節の変わり目です。体調管理にご注意ください。
投稿者 舞田敏彦 時刻: 18:12