- libra_down
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(システムとカオス)…心の中にシステムを作って、何もかも生活の中に存在する物全てをそれで捉えようとした。まるで機械のように、自我無き生命のように振る舞おうとしていた。何故ならば、その方が勉強のような作業に従事するのに躊躇いが無くなると思ったからだ。
2012-04-20 02:09:27(システムとカオス)…しかしその実態は、自分がシステムそのものになり替わる事は出来ないという証明だった。どれだけ頑張ろうとしても、頑張れない時というものはランダムに、不規則に訪れた。結局、自分自身の何もかもをシステム化するというのは、誇大妄想狂の戯言でしかなかった。
2012-04-20 02:09:57(システムとカオス)…その中で考え方を変えた。最高効率の生き方を模索するのは性に合わない。自分には意思があった。意思は、物事をシステムとして捉えようとはしなかった。よりカオスで、不規則で、気分の上下によって同じものが全く別の物として感覚される、しかし何倍も確かな実感があった。
2012-04-20 02:12:10(システムとカオス)…よく観察すると、人間の心理以外にも同じ事が言える分野が多いと分かった。全てを法律でシステム化した社会は人間の意思を支えきれず崩壊し、全ての粒子の動きをシステムとして予測する事は出来ないと不確定性原理が述べた。
2012-04-20 02:16:32(システムとカオス)…詰まる所人の世は、システムとカオスの混淆に過ぎなかった。その中で生き方を模索する時、自らだけがシステムの側に立って自我を構築する事は出来ない。人間は、システムとカオスの境界線の上で移ろう存在だった。それに気づいた時、世界の見え方が大きく変わった。
2012-04-20 02:19:30(システムとカオス)…世界は自明ではない。迷う事は悪ではない。それは、複雑性と不確定性に彩られた世界を楽しむという事だ。そう考えて、一つの物の見方に至った。カオスに、感じるままに、意思のままに感情と共に生き、迷い苦しむ事は、決してつまらない事なんかじゃない。それが生きるって事だ。
2012-04-20 02:23:34(システムとカオス)…もう迷う事に躊躇いはしない。システムは苦しみを無くす為の物ではなく、認識と判断を人間社会というデータベースに照合するための物だ。それを完全なものと思い込んだりは、もうしない。これもまた、無数に繋いだ思惟の中の一つに過ぎない。(生き方論/おわり)
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