トークイベント「近藤日出造と子供漫画批判」への反応
本日です![再tw] [明治大学/米沢嘉博記念図書館]4/28(土)にトークイベント「近藤日出造と子供漫画批判」を開催します。講師は富澤達三氏にお願いしました。 http://t.co/ggY8V9Th
2012-04-28 05:43:20@yone_lib 「赤本マンガを衝く」(『週刊朝日』昭和24年4月24日号)は、現在まで続くマンガ関連のネガティブ記事の定例文ともいえるものですが、近藤日出造による赤本=子供漫画批判コメントの代表例としても興味深く、今回の講演を楽しみにしていましたが行けずに残念です。
2012-04-28 08:57:04昨日から深夜、今朝とずっとメールしてる感じで連休に突入してます。ニコニコ超会議も惹かれますが、今日は夕方、米沢嘉博記念図書館でトークイベントがあるので、そちらに行きます。
2012-04-28 11:54:53これです。 RT @yone_lib 本日です![再tw] [明治大学/米沢嘉博記念図書館]4/28(土)にトークイベント「近藤日出造と子供漫画批判」を開催します。講師は富澤達三氏にお願いしました。 http://t.co/AhOVrr9Y
2012-04-28 11:55:43待ってます! RT @hrhtm2011: これです。 RT @yone_lib 本日です![再tw] [明治大学/米沢嘉博記念図書館]4/28(土)にトークイベント「近藤日出造と子供漫画批判」を開催します。講師は富澤達三氏にお願いしましたhttp://t.co/RKa4dyTp
2012-04-28 11:58:10今日米トイベントは、似顔絵漫画の名手として、戦中から高度経済成長期まで読売新聞系メディアで活躍し、時代の寵児であった漫画家・近藤日出造が、戦後勃興してきた手塚などの子供漫画についてどのように考えていたかについて考察します。http://t.co/RKa4dyTp
2012-04-28 12:12:27今日は、米沢嘉博記念図書館でそのあと、富澤達三さんの「近藤日出造と子供漫画批判」のイベントもあり、みんなで楽しく飲んで帰ってきました。こちらには遅れて行ったのが残念でした。冨澤さんが、じつはジャンプ男漫画に熱くはまっていた方だというのも、おお!という発見でした。
2012-04-29 00:47:21もう昨日になってしまいましたが、トークイベント「近藤日出造と子供漫画批判」にいらしてくださったみなさま本当にありがとうございました。個人的に戦前からのマンガ史のおさらいができて、頭の整理ができました。http://t.co/RKa4dyTp
2012-04-29 01:06:01同感。 RT @yamatomo413 もう昨日になってしまいましたが、トークイベント「近藤日出造と子供漫画批判」にいらしてくださったみなさま本当にありがとうございました。個人的に戦前からのマンガ史のおさらいができて、頭の整理ができました。http://t.co/CkzhscVr
2012-04-29 01:07:46近藤日出造は戦後の子どもマンガを批判していたというイメージがあるけれども、当時の言説を追ってみると、赤本批判はしているが手塚のことはある程度評価していたようだという研究成果の一部を、当時の資料を基にお聞きすることができました。(つづく)http://t.co/RKa4dyTp
2012-04-29 01:10:20(つづき)では近藤日出造は劇画(貸本マンガ)のことはどう考えていたのか、という問いについて今後はさらに調べてみたいと、講師の富澤さんは話をしめられました。(つづく)http://t.co/RKa4dyTp
2012-04-29 01:13:34(つづく)にしちゃったけどおしまいです。 RT @yamatomo413: (つづき)では近藤日出造は劇画(貸本マンガ)のことはどう考えていたのか、という問いについて今後はさらに調べてみたいと、講師の富澤さんは話をしめられました。(つづく)http://t.co/RKa4dyTp
2012-04-29 01:31:41実は峯島正行『近藤日出造の世界』(青蛙房、1984、2800円)は古本で入手していたが、読んでなかった。函入りで帯までついていて、ハードカバーの中身は新品同様なれど、1000円しなかったと思う。この伝記の著者である峯島正行は実業之日本社に戦後入社して、漫画サンデー創刊時に編集長。
2012-04-29 08:44:43峯島は早大文学部哲学科社会学専攻で、戦前の名編集長である内山基が早大英文科卒とのことからも、早稲田とのつながりは深く、自分と同世代でも早大漫研と漫画サンデーとはつながりがあったはず。なお、少女クラブの名編集者丸山昭や、講談社で主要な漫画雑誌を手がけた牧野武朗も哲学科卒であった。
2012-04-29 08:59:48昨日は戦前からのマンガの流れについての話を久々に聞きながら、どれを「マンガ」のルーツとして扱い追うかで、まったく話の内容が違っちゃうよなー、と思う。
2012-04-29 13:23:04昨日のトークイベントでもうひとつ気になったところ。『東京パック』の表紙が『東亰パック』となっているのを指して「昔は『亰』の字が使われ、『とうきょう』ではなく『とうけい』と発音されていた」という話があったこと。
2012-04-29 16:33:14Wikipesia「東京府」の項目にも「改称当時の読みは「とうきょう」ではなく「とうけい」で、字画は「東亰」であった[3]。」とあるのだけど、そのソースは「TBSラジオ『話題のアンテナ 日本全国8時です』2007年(平成19年)7月17日放送分より」とのこと。
2012-04-29 16:34:02一方Wikipedia「東京」では「読み方については根拠となるような法令が出たわけでもなかった。「とうきやう」(呉音)が正規に使われたが、明治20年代頃までは「とうけい」(漢音)も混在して用いられることも少なくなかった。」とある。
2012-04-29 16:35:18「一方、昭和初期までは「東亰」という表記も混用されていた[4]。この「亰」という文字は「京」の俗字である。「亰」を使ったのは、中国の東京(Dongjing,ドンジン)との混同を防ぐためともいわれるが、後に同じ字となった。」とも。
2012-04-29 16:35:33こちらのソースが鈴木理生『東京の地名がわかる事典』で、鈴木理生は日本の歴史学者で東京都職員でもあるとのこと。 http://t.co/2px5dUkd
2012-04-29 16:37:24「亰」の字は「京」の異体字で、同じ字種らしい。 http://t.co/KqIoUHHO 別の読みや異体字表記があったのは事実だけど、どうやら「亰/けいが正しい時期があった」のではなく、「ある時期混在していた」説を押さえつつ見てったほうがいい言葉なんだろうな、と思った。
2012-04-29 16:42:58