今回の旅は、10日間で、でも大きく5つのパートがあった。「友達に会う」「ビーチでバカンス」「ダーリンの親友の100日法要」「ジャーナリストに会う」「ダーリンのジャム・セッション」ものすごく内容の濃い旅で、お土産買うのも忘れた。行きと帰りの荷物の量が変わらなかった。
2012-05-13 19:08:37「友達に会う」ので印象的だったのは、結構みんなスマートフォンを持っていて、子供達もみんな携帯を持っていたこと。子供達は午前中と午後で違う言語の学校に通ってダブルスクール。一組の姉妹は、朝、中国語の学校、午後は英語の学校。別の家族の息子さんは、朝クメール語の幼稚園、午後は英語。
2012-05-13 19:10:58裕福な家庭の状況だけどね。物乞いの子供もいる。お坊様の格好をして、お金をせびりにきた物乞いもいた。赤ちゃんを地面に寝かせて物乞いする父親。そしてiPadで遊ぶ子どももいるし、「レクサス」とわざわざ大きく書かれたレクサスがバンバン走っている高級店の並ぶ大通り。
2012-05-13 19:16:02私がカンボジアに行き始めて10年が経った。その変化には目を見張るものがあり、そして貧富の差はどんどん大きくなっている。中国語の看板が増え、韓国人が増えた。ロシア人も多い。インド人も増えたように思う。日本人の影は薄くなったと思う。
2012-05-13 19:18:20ビーチでバカンスは、シアヌーク・ビルという観光スポットに行った。シーズンではないので、比較的静かでのんびり出来た。スウェーデン人オーナーの小さなゲストハウスに泊まり、スウェーデン料理を楽しんだ。カンボジアの「外国料理」の質は高い。カンボジア人はなんでも美味く料理する。
2012-05-13 19:22:34シムリアップで「ダーリンの親友の100日法要」が催された。個人的なことなので、詳しくは書かないけれど、参加して本当に良かった。ダーリンも行く、と決めるまでは心の中になにかモヤモヤしたモノがあったようだが、特別な法要を見届けて、とてもスッキリとしたようだった。
2012-05-13 19:26:55その法要は、ダーリンが39年前に最後に会ったきり、連絡を取れなかったカンボジア人の友達が取り仕切った。故人がカンボジアに再入国出来た時に、彼の写真を持って訪ね歩き再会し、その後も交友を深めていたとのこと。そのおかげで、この法要時に、ダーリンもこのカンボジア人の彼に再会できた。
2012-05-13 19:32:18何年くらい前でしょう?ダーリンは73年〜75年、その後総選挙後の92年からはだいたい2年に一度「帰って」いて、その変化たるや...いろいろ語ってくれてます。 RT @dpll_: 私が行ったときはタイがシェムリを席巻していた印象でしたが…
2012-05-13 19:35:23ダーリンのジャムセッションは、シムリアップの「X bar」で。日本人ミュージシャンのAyaさんの取り計らいで、参加させて貰えた。素敵なフランス人のトロンボーン奏者とも出会え、もう一晩滞在できれば、ヘリティッッジ・ホテルのJazzライブにも参加できたかもしれなかったのに、残念。
2012-05-13 19:38:48シムリアップにはやはり、1週間以上は滞在し、音楽情報も前もって調べておくべきだな、と思った。プノンペンにもいろいろバーやクラブがあるので、これからもいろいろ伝統音楽も含め、エンターテインメント系の情報は集めていきたい。
2012-05-13 19:40:32@dpll_ そうです。プノンペンにクメール・ルージュが入る4日前に、ダーリンは米軍の米輸送機で脱出しました。。。英国大使館が撤退しても居残った、ジャーナリストでもなく、大使館員でもない、ただの英語教師です。
2012-05-13 19:46:40亡くなった方がジャーナリストだったため、自ずと集まるメンバーもジャーナリストとなる。あの時代のカンボジアを知るジャーナリストの生の声を聞くのは、大変に貴重な体験だった。自分が描いていたカンボジアのイメージの「裏」を見せてもらった気がする。
2012-05-13 19:49:53プノンペンのとあるバーにジャーナリストが集まっている。そこで、ダーリンの旧友やそのほかの著名なジャーナリストとテーブルを囲んで飲む。なんで私がこんなところに居るんだろう?と思いながら。その中の一人、78年に最初にプノンペンに入れた取材団員だった方の話が印象的だった。
2012-05-13 19:53:45賑やかで華やかな川沿いの大通りを指さし「まさに、ここで、道路に落ちている米粒を、人々は指でつまんで食べていたんだ。それを君は今の風景からイメージできるかい?」
2012-05-13 19:56:58フン・センへの批判はよくダーリンからも聞いているけれど、実際に、カンボジアに深く関わっているジャーナリストからもいろいろと聞くと、ますます、今のカンボジアの発展が本当にリアルなものなのか、本当に国民の将来にとって良いものなのか、疑わしい。
2012-05-13 20:03:09そのジャーナリストの集まるバーで気付いた。若いジャーナリストのグループとベテラングループが分かれて座っていること。ベテラン組は若手を「Kids」と呼ぶ。「Kidsは恐いモノ知らずだ。だから怖いんだ。彼らにはもっと気をつけて欲しい。」実際数日前に記者が銃撃に巻き込まれそうな事件が。
2012-05-13 20:09:22若手にしてみれば、ベテラン記者の昔話はいろいろ読んだり、実際に本人から何度も聞いているから、どうしても敬遠したくなるのかもしれないけれど、この「生き残った人々」の忠告は、良く聞いておいて頂きたいな、と思った。なんだかもったいないような気がした。
2012-05-13 20:11:48ほう、これは書籍であるんですか? @dpll_ QT : 「自治区創設の目的は独立のため。異民族同士が団結せねばならぬ」(ホーチミン『ベト・バク自治区同胞への手紙』1956年)
2012-05-13 20:19:14