@_philo_sophia
そもそも、僕たちの認識が全て幻である可能性も否定できないわけですしね。 >>郁紀の見ているものが幻で、郁紀の愛情も幻が生んだ愛情だからこそ沙耶の唄には幻と愛情の間で綱渡りをするような面白さがあるのだと思う。それが果たして本物かどうかってのは重要な問題ではないと思う。
2010-06-22 02:19:34
@_philo_sophia
僕が知っている沙耶の唄の考察で、一番的を射ていると感じたのはこれかな。(ネタバレあり) http://hwm8.gyao.ne.jp/yagami/AVG/review/11/saya_no_uta_N.html
2010-06-22 02:30:05
@_philo_sophia
「斯様にして、人は常に人という像に合致する存在のみを同胞とし、それ以外の像を持つ存在を決して人と等しい位置に在ることを認めはしない」
2010-06-22 02:30:45
@_philo_sophia
「では、それらを外部に見いだせなくなった人が居たとしたら、その人物は如何なる行動に及ぶのであろうか? 『沙耶の唄』とは、人のあるべき像が外界から喪失した男が歩む物語である。 」
2010-06-22 02:31:30
唐沢衣織
@karasawaiori
『沙耶の唄』:郁紀はほとんど「選択していない」にも関わらず、自らの意思で決定を下した気になるのがゴイシャス。 ことあるトラブルも全て「愛を確かめるためのイベント」として機能してるんだからなー。 庇護欲が持ち上がってきて、充足を得た気になるんだよ、沙耶を助けると。
2010-06-22 02:46:22
唐沢衣織
@karasawaiori
@_philo_sophia この辺ですよね。どっちがどういう選択肢でその後、どういう顛末をたどったかうろ覚えなんで全ては理解できないです。 http://twilog.org/_philo_sophia/date-100508
2010-06-22 03:10:46