イザヤ・ベンダサンbotまとめ/いまだ火種を残したままの琉球帰属問題/~中国側が沖縄を中国領と主張する理由~

イザヤ・ベンダサン著「日本人と中国人/なぜ、あの国とまともに付き合えないのか」/八章 中国を忘れた日本/261頁以降より抜粋引用。
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イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

①【いまだ火種を残したままの琉球問題】林子平の『海国兵談』〔1788年より刊行〕から明治4年〔1871年〕まで、日本は半ば中国を忘れていた。<『日本人と中国人/なぜ、あの国とまともに付き合えないのか』

2012-05-21 14:02:48
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

②明治と共に中国への渡航者が多くなり、その必要上から明治4年に伊達宗城が北京に行って清国政府と修好通商条約を結んだ。実に秀吉以来初めての「日中国交回復」である。しかしそれはまことに事務的な折衝で、誰一人これを歴史的事件とは思わなかった。第一、宗城は大蔵卿であって外務卿ではない。

2012-05-21 15:04:51
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

③そして今ではこういう事実があった事すら、多くの人は忘れている。ところがすぐさま両国間に問題が起こった。琉球問題である。琉球は「両属の国」である。しかし日本は廃藩置県と同時にこれを一方的にまず鹿児島県へ編入した

2012-05-21 16:02:58
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

④そして翌年、琉球王尚泰を琉球藩主として華族にし、明治12年〔1879年〕、琉球藩を沖縄県とした。明治4年というと清国は長髪賊の乱のときであるから、いささか相手国のどさくさにまぎれて、既成事実をつくってしまった感がある

2012-05-21 17:02:05
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑤明治12年の置県と同時に清国から抗議が来て、いわゆるグラント(註:アメリカ合衆国第18代大統領。南北戦争の英雄)の仲裁となった。これによって13年〔1880年〕に出来上がった協定は「沖縄分割案」で、それでは宮古・八重山両群島は中国領であって日本領ではない

2012-05-21 18:03:04
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

日本側はこれを承認し、中国側は拒否した。従って中国側に関する限り、沖縄の帰属は今なお法的には未確定の問題である。また日本側に関する限り、宮古・八重山両群島は日本領ではない

2012-05-21 19:01:04
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑦従って将来情勢の変化と共に、中国が沖縄全島もしくは宮古・八重山両群島を中国領だと主張し出す事があっても、別に驚くにはあたらないし、根拠のない事ではない。そしてこういう問題を何らかの機会に法的に決着をつけておかないのは、日本の「悪しき伝統」の一つかもしれない。

2012-05-21 20:03:43
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑧ただこのことを当時の政府が、中国を無視して一方的に強行したと考えるのは誤りで、日清戦争までの日本人の「対清恐怖」は、日露戦争後の日本人には想像もつかぬほどで、「病的」といえるのではないかと思われるほどだ。

2012-05-21 21:01:09
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑨すなわち「極力触れまい、どうしても交渉が必要なら、だれかに仲介に立ってもらおう」という態度であった。

2012-05-21 22:02:45