《原発事故直後の避難と放射能検査について》

東電福島第1原発事故直後の、住民避難と放射線検査に関して、記憶に基づいてツイートしました。間違い等ありましたら、お知らせください。 コメントは禁止にしますので、メンションでお願いします。
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私は、原発事故当時は、原発から50キロ少々離れた場所に住み、60キロ少々離れた場所で仕事をしていました。
住居も職場も全く避難指定はされていません。
現在は北海道に家族で自主避難してます。帰れる目処は立ってません。

宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 0 これから、2011年3月11日に発生した東京電力福島第一原発事故発生直後の避難と検査の状況について書いていく。私は双葉町に住んでいた経験もあり、事前にある程度原発と放射能に関する知識は持っていた。現在は、北海道に家族で避難している。

2012-05-26 18:37:41
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 1 事故直後はツイッターを使ってなかったし、あまりにも急な展開とお粗末な態勢に憤慨すると同時に呆然となっていたので、記録も残さず、14ヶ月以上経過してしまった。この機会に改めて、事故直後の避難と、放射性物質拡散防止・被曝検査について連続ツイートする

2012-05-26 18:38:01
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 2 本来、核事故が起きたら、汚染される可能性がある物の持出しを減らすため、住民は可能な限り荷物を少なくさせて、速やかに被曝しない場所まで避難させなければならない。その為、計画では、避難させるのに用いる交通手段は国道6号線使用でのバスを想定していた

2012-05-26 18:38:20
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 3 避難計画では、原発周辺3キロの住民のために70台のバスが確保されており、住民はバスに持ち込めるだけの荷物を持って集会所等からバスに乗車し、被曝の心配がなくなるいわき市などに避難、その避難所で簡易サーベイ検査をする予定になっていた。 

2012-05-26 18:38:39
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 4 計画では原発3キロから10キロの住民は集会所等に集合し、避難用に手配されたバスがピストン輸送する段取になっていた。集会所等の放射性物質防護に不安の声が上がっていたが、そこまでの事故は現実には起きない事になっていたので、詳細検討はされなかった。

2012-05-26 18:38:59
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 5 しかし、実際の事故時には計画を超えて避難範囲を拡大させざるを得ず、同時に地震や津波による交通網の寸断や燃料確保が困難だったことにより、列車やバスを使った住民避難を徹底することが困難になった。偶然の結果としてだが、住民の被曝は減ったと思う。

2012-05-26 18:39:24
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 6 今回の地震津波直後から、危険を感じた住民や、何らかの方法で原発事故を知った住民が、自家用車を使って、自主的に避難を始めていた。私も考えていたのだが、計画通りに避難したら、健康に影響が出るような被曝を防げないと知っていた人がいたのだ。

2012-05-26 18:40:10
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 7 12日9時頃、3キロ即時避難10キロ屋内退避指示が出た。本来ならこの指示で3キロから10キロの住民は自宅退避ではなく、集会所等に集合退避すべきなのだが、官房長官発表は「屋内退避」だけだった。地震津波の影響と連絡手段の喪失で集会所退避は困難だった。

2012-05-26 18:40:41
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 8 原発事故時の避難計画では、海岸近くを通る国道6号線を使用して南北に避難する事になっていた。しかし地震と津波の為に国道6号線は使用不能との連絡が入り、地元町村は住民を西側の地区または自治体に避難するように誘導することになった。

2012-05-26 18:41:13
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 9 12日10時頃、10キロ圏内に10キロの外に出るように避難指示が出された。住民や町内会長の中にも避難計画の詳細を知らない人がいたし、内容を承諾していたわけではなかったので、とりあえず10キロ圏外に移動するために自家用車避難が増えてしまった。

2012-05-26 18:41:42
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 10 バスは全く間に合わなくなった。一部3キロ圏内の病院や高齢者施設で折り返しのバスを待つ人もいたが、バスはほとんど戻ってこなかった。バスが戻らなかった理由については、検証が進んでいない。自衛隊が指示系統が判然としないまま避難援助をしていた。

2012-05-26 18:42:07
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 11 10キロ圏内の住民の多くはとにかく、10キロから外に出ようとした。自治体が避難先自治体と連絡して了解を取り付け住民に指示した。各自が自家用車を使って避難しようとしたので、国道114号、国道288号、富岡町から川内村への路線は大変な渋滞となった。

2012-05-26 18:42:53
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 12 12日15時30分過ぎ1号機で爆発。18時30分頃、政府から半径20キロ圏から住民は避難するよう指示が出た。10キロから外の住民は原発事故での避難計画が無く、想定していた人は少数だったので混乱に拍車がかかった。使える車を使用しての避難になった。

2012-05-26 18:44:01
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 13 12日昼頃には、津波被災者の一部が中通りの自治体に到着していた。急遽準備された避難所は、とにかく使えそうな学校の体育館や地震での損傷が無い公民館や集会所、公共体育館などがほぼ無計画に当てられた。人口減の為に廃校になった学校なども避難所になった。

2012-05-26 18:44:26
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 14 川内村や浪江町津島地区、飯舘村にも、まずは津波被災者、続いて原発事故避難者が押し寄せてきた。これらの地域ではもともと施設に大きな余裕が無いため、田村市、郡山市、川俣町、二本松市、福島市などへ、避難先を変更する人たちも多く出た。

2012-05-26 18:44:50
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 15 12日の爆発以後、メディアは40キロ圏内での取材を行っていない為、川内村、飯舘村、浪江町津島地区での避難者に対する放射性物質検査がどのように行われたのかは、よくわからない。もしかしたら、それらの地域では検査を実施していないかもしれない。

2012-05-26 18:45:10
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 16 南相馬市、いわき市、相馬市にも多くの原発事故避難者がいたはずだが、津波の被害や報道陣の退避があり、そこでの放射性物質検査体制がどうなっていたのかは、さらにわからなくなっている。私が記憶している報道では、12日に検査チーム派遣発令があったはずだ。

2012-05-26 18:45:43
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 17 二本松市の男女共生センターが避難所の一つに指定されており、13日には検査チームが到着して、人のスクリーニング検査が実施されていることが、地元紙等の記録に残っている。当初は13000cpmが基準で「除染」。すぐに基準は10万cpmに緩和された。

2012-05-26 18:46:30
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 18 スクリーニング検査は基本的に、服を着用したままの人間に対して実施している。検査地点の中には、「除染」の為のシャワー設備がない場所もあった、と聞く。また、原発事故避難者の診察を拒否した医師がいた、という噂もこの頃に聞いた。

2012-05-26 18:47:03
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 19 川俣町や福島市の避難所への原発事故避難者受け入れが進み、避難者は特別にスクリーニングを義務付けられる事もなく、避難所に入ってきた。私の勤務所も避難所になっていたが、スクリーニング担当者の姿は見なかった。(私が欠勤した日に来た可能性はある)

2012-05-26 18:47:23
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 20 避難者のスクリーニング検査は基本的に任意になっていた。機器と検査人員が不足し、車両や持ち出したものを検査するまでは、なかったと記憶する。検査と平行して「10万cpmを切れば、本人にも周囲にも何の影響もない」という宣伝が放送等で繰り返し流れた。

2012-05-26 18:48:01
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 21 福島市内には、情報の混乱と噂の拡散が始まっていた。10万cpmは明らかに高過ぎる事は、少し知識か経験がある者なら理解できた。福島市では、何をどうすれば良いのか、情報を求める人は増えたが、基本的にテレビ、ラジオ、新聞が情報源だった。

2012-05-26 18:48:36
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について22 ガソリンを含む物資不足が3月14日ころから深刻になっていた。福島市付近でも店舗は可能な限り営業を続けようとしていたが、商品の入荷が止まった。主な理由は鉄道の遮断と燃料の枯渇に加えて、商品生産そのものの停止があったものと思われる。

2012-05-26 18:49:04
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

事故直後の避難と検査について 23 事故後「警戒区域」設定までは原発付近までの住民の出入りはかなり自由だったので、色々と車で自宅に出入りして物を持ち出した住民がいる、という話を3月当時耳にした。それらの車と物は、スクリーニング検査を受けていないかもしれない。

2012-05-26 18:49:33