サツバツ・ナイト・バイ・ナイト #9
「夜のオイランニュースです」蛍光サイバーグラスをかけたオイラン・ニュースキャスターが、着物の前をさりげなく開き、左肩から胸までを露出させて淡々と原稿を読み上げる。「先日、ネオカブキチョのニチョーム・ストリートで発生した、ヤクザクラン同士の血で血を洗う抗争……痛ましい事件です」 1
2012-06-02 21:46:36「NCPDは鎮圧のため催涙ガス弾を使用した模様。ミサイルを発射する戦闘機を見たという噂が電脳IRC空間に広まっていますが、これは終末論教団ペケロッパ・カルトの誇大デマゴギーです」オイランは前を閉じデスクの下で大胆に脚を組みかえる。「観光中の民間人も多数巻き込まれましたが……」 2
2012-06-02 21:58:41「ミイラ取りが呪われてミイラになる。平安時代のコトワザです」社会派スモトリ・コメンテーターが渋い顔で言う「怖い物みたさでそんな所に行く奴が、悪い。それから勿論、ニチョームという低俗なグレーゾーンの存在自体が害悪なのではないかと、こう、私はね、以前から申し上げてきたわけですよ」 3
2012-06-02 22:11:15画面後方では、ニチョーム、非合法、薬物、癒着、などを連想させる画像が浮かび上がり、サブリミナル的にコラージュされた。「「「コワイ!ニチョーム、コワイ!」」」客席から声が上がる。「ではここでヨロシサン製薬からのCMです」オイランはあくまでも知性的な無表情を崩さぬままオジギした。 4
2012-06-02 22:22:38「まったくだぜ、バンザイでも落とされてりゃ良かったのにな。おお、臭え臭え」ヤクザテーブルに足を投げ出し、ふんぞり返ってTVを見上げるその潔癖症アマクダリ・ニンジャは、ニチョームの空気を吸い込むことすらも断固として拒否するように、口元をサイバー・ガスマスクで覆っていた。 5
2012-06-02 22:35:38「それにしても臭えなあー!なんでかなー!」スキンヘッドに太い血管が浮かぶ。彼の名はディクテイター。おそるべき古代ローマカラテの高段者にして、アマクダリ・セクトから派遣されてきた監視者である。「……ん?何だ貴様ら、まだそこにいたのか?」ディクテイターは自治会役員らに向き直った。 6
2012-06-02 23:01:10オハギなどを持参してアイサツに訪れた自治会役員らは、はらわたが煮えくり返るような思いで、この屈辱に耐えていた。当然、その中には、ヤモトやザクロも含まれている。「何か不満があるのか、貴様ら。この私に逆らうことは、アマクダリへの反逆に等しいんだぞ?ンンーッ?解っているのかな?」 7
2012-06-02 23:10:38役員らは高級御影石製の床に視線を落とし、歯を喰いしばる。そこにはディクテイターの趣味を反映し、「第四帝国」の文字が純金ミンチョ体で描かれていた。全てニチョームの金で作られたものだ。「よし、ではネオ・カブキチョから高級オイランをデリバリーしろ!スシもだ!貴様らは臭いから帰れ!」 8
2012-06-02 23:41:22そしてこのオイランやスシに支払われる金も、全てニチョームが賄わねばならぬのだ。ナムアミダブツ!植民地総督めいた横暴!だが、ディクテイターを排除することはできない。新たに締結された不平等条約により、ニチョームは自治権を失い、アマクダリのテリトリーに組み込まれてしまったからだ。 9
2012-06-02 23:49:48「悔しいーッ!」ザクロは絵馴染のカウンターで吼えた。グラスが何個も積み重ねられている「でも負けないわよ!今に見てなさい!」。隣で微量アルコール入りのマッチャ・フィズを呑むヤモトは、やや眠そうな目で何度もうん、うんと頷く。彼女の気持ちは全て、ザクロが大声で代弁してくれていた。 11
2012-06-03 00:08:49「アータ、そろそろ寝なさいな。夜更かしはお肌に悪いわよ。また明日から、笑って生きてくんだから!」オスモウ・リキュールをショットグラスに注ぎながらザクロは言った。「ザクロ=サンは?」「自警団の人たちと、ちょっと呑むから」「うん」ヤモトは頷いた。まだ自分が加わるべき話ではない。 12
2012-06-03 00:22:48ヤモトは二階へ向かい、ゲイマイコを起こさないようにそっとフスマを開けた。その安らかな寝息を聞きながら、自分の机の前に行き、フートンを敷く。窓の外から差し込むエロチック雑居ビルのレインボーネオンが、壁に貼られた新しい写真を照らした。あの事件の二日後に、アサリと撮った写真だ。 13
2012-06-03 00:32:38あの死闘の後、ヤモトはまる一日眠り続けていた。そのままカロウシするかとさえ思われた。アサリは自らの意志でニチョームに留まり、ヤモトを看病した。ザクロは、アサリ自身も事件に巻き込まれ精神的ショックを受けていることを察し、二人のためを想い、彼女を一時的に絵馴染に迎え入れたのだ。 14
2012-06-03 00:41:17二日目、ヤモトはニンジャ耐久力によって驚異的回復を見せ、いつもと同じく早朝に目覚めた。いつもと違っていたのは、彼女を苛む過去の亡霊が、一時的にかあるいは永久にか、消え去っていたことだ。ヤモトはオリガミ部の面々やショーゴーらとともに卒業式を迎える平穏な夢を見ながら、目覚めた。 15
2012-06-03 00:46:19その朝、ヤモトは無意識にウバステを抜き放つこともなく、静かに目を開き、上半身を起こした。他愛無い夢だとすぐにわかった。昔はよく見ていたはずなのに、見なくなって久しい類の。直後、アサリが抱きついてきた。夢ではない、他愛無い現実にヤモトは困惑し、感謝し、笑みを浮かべた。 16
2012-06-03 01:02:14今回のところは、ヤモトが恐れていた事態は起こらなかった。世界は終わらず、彼女が眠っている間も、無慈悲なほど淡々と続いていた。そして二人とも、自らの世界に帰らねばならないことを知っていた。ヤモトはニンジャの世界へ。アサリは大学へ。四日目の早朝に、アサリはニチョームを離れた。 17
2012-06-03 01:08:20……回想を終えたヤモトは、頬に涙が伝っていることに気付いた。しかし、やわらかく結ばれた彼女の口は、力強く笑っていた。フートンに入る前に、もう一度夜の空気を吸って、気持ちを落ち着かせよう。ヤモトはそう考え、ウバステを握って窓枠を蹴った。陰鬱な重金属酸性雨はいつしか止んでいた。 18
2012-06-03 01:19:35ニチョームのカワラ屋根や屋上を、ヤモトは軽やかに飛び渡る。ストリートを見下ろせば、「キマリテ」の若いスモトリや、「真剣味」のゲイマイコや、「フラ・ダ・リ」の双子がいる。数は減ったが、自警団員もいる。ゼン・トランスの屋上では、壁に立てかけられたタギザワの狙撃銃にオジギをした。 19
2012-06-03 01:27:04守れるだろうか、と、ヤモトは独りごちた。それから、カラテを振り絞ってミサイルに飛び乗るサツバツナイトの最後の姿を思い返した。あの事件の後、彼が目撃されたという話は聞かない。はたして、彼は何者だったのか。しかしサツバツナイトは、ヤモトに重要なインストラクションを残していった。 20
2012-06-03 01:43:37ジグラットが威圧的な影を投げ落とす。明日世界が終わるとしたら何をするか。そのためには何が必要なのか。「……カラテだ、カラテなんだ……!」ヤモトは生の喜びと、死者への厳かな敬意に満ちて、また走り出した。翁の小太鼓の音に合わせ、ヤモトは内なるカラテの導くままに、夜の闇を駆けた。 21
2012-06-03 01:57:09