ミッドウェイ海戦

詳しい方の萌え語りはとても面白い
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はやC @mononiq

よし というわけで、昨日今日でミッドウェイ海戦から70年ですね

2012-06-06 00:16:09
はやC @mononiq

ミッドウェイ海戦といえば 1942(昭和17)年6月5-6日にかけて中部太平洋のミッドウェイ島海域で日米機動部隊によって行われた海戦でありまして 日本は空母四隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)と重巡一隻(三隈)を失い、開戦より連勝を重ねてきた連合艦隊に厚い暗雲をもたらした敗北でした

2012-06-06 00:18:43
はやC @mononiq

この沈んだ空母四隻というのは開戦=真珠湾奇襲攻撃に参加した中大型空母六隻のうちの四隻でして、連合艦隊の実質的な主力と呼べる存在でした フネそのものもさることながら、航空隊の搭乗員さんが大変優秀だったのですね

2012-06-06 00:19:40
はやC @mononiq

その主力を用いてミッドウェイ島の航空基地を叩く、そして米軍の機動部隊もおびき寄せて叩き潰す そんな作戦を立てて臨んだ戦いだったのですが 機密は向こうに筒抜け、その上米軍は負傷していた空母を三日間の突貫工事で復帰させる荒業で日本の想定より大きな戦力で待ち伏せしていたのでした

2012-06-06 00:21:11
はやC @mononiq

レーダーもさほど発達していない時代、索敵は偵察機の目視による発見しかありませんが 元々飛ばす予定の偵察機のうち1機が故障で遅延…よりにもよってその1機の担当エリアの中に敵部隊がいた…などと不運に不運は重なるもので、出遅れた日本側は米機動部隊に発見され先制攻撃されてしまいます

2012-06-06 00:24:34
はやC @mononiq

さて空母たちはみな米軍の急降下爆撃機にしてやられたのですが、皮肉にも真珠湾奇襲攻撃で日本が米国に知らしめたように、このときは日本が航空機のパワーをそのまま倍返しで見せつけられたような格好でした 空母というのは飛行機や爆弾を積んでるだけあって、一度火がつけばよく燃えるのですね

2012-06-06 00:25:40
はやC @mononiq

赤城、加賀、蒼龍の三隻は爆撃機の奇襲を受けてからわずか数分の間に爆発・炎上を起こし行動不能に そしてただ一隻残った飛龍は猛将・山口多聞少将の指揮下ほかの三隻の航空隊をもかき集めて米艦隊に一矢報いようと反撃を始めます 映画「山本五十六」では確か阿部寛氏が山口少将を演じてましたかね

2012-06-06 00:28:23
はやC @mononiq

その奮戦の甲斐あって(味方潜水艦のナイスアシストもありました)米空母CV-5ヨークタウンとその護衛の駆逐艦2隻を撃沈に追い込みますが、飛龍自身も被弾 やがて飛龍はコントロールを失い 長い長い漂流の末、付き添っていた駆逐艦「巻雲」の魚雷で自沈処分となりました

2012-06-06 00:31:15
はやC @mononiq

なお、山口少将と艦長の加来大佐は飛龍と運命を共にしました 炎上し漂流する飛龍の有名なお写真はこちらhttp://t.co/m1rrrobM 米空母ヨークタウンのお写真はこちらhttp://t.co/tiJVKB8L ちなみにこの子が「三日間の突貫工事で戦線復帰した空母」です

2012-06-06 00:34:08
はやC @mononiq

先の如く当時日本には中大型空母が六隻しかおりませんで、そのうち最新鋭の翔鶴・瑞鶴はミッドウェイ海戦の一ヶ月前に珊瑚海海戦にて負傷しており(瑞鶴は無傷でしたが)今回は留守番でした 翔鶴瑞鶴がいれば勝てたのか?といえばそれは疑問で、結果だけ見れば不参加で正解だったかもしれません…

2012-06-06 00:36:44
はやC @mononiq

以後新しい正規空母が現れるまでの二年間、翔鶴と瑞鶴は連合艦隊の虎の子であり続けます ちなみにケガをするのはいつもお兄ちゃんの翔鶴の方で、瑞鶴はいつもびっくりするほど無傷でした けれど翔鶴が戦没してしまったのちはその幸運も尽きたか、やがて瑞鶴も後を追うように南洋で沈んでしまいます

2012-06-06 00:38:37
はやC @mononiq

瑞鶴翔鶴の話は、また今度  あっそして案外読んで下さってる方いらして嬉しいですありがとうございます…

2012-06-06 00:39:08
はやC @mononiq

そして空母たちの他に一隻だけ戦没してしまった重巡・三隈 彼は最上型巡洋艦の次男坊にあたりまして、当時は最上型四隻で第七戦隊を組んで空母たちの戦域のはるか後方の海域にいたのですが……そんな第七戦隊へ飛んできた命令は『ミッドウェイ島を砲撃せよ』 つまりフネから直接砲撃しろ と

2012-06-06 00:43:29
はやC @mononiq

ミッドウェイ島は航空基地であり、ついでに米空母も近海にいて、味方空母は全滅のため航空支援も一切期待できず…そんな中で射程せいぜい30kmの巡洋艦たちに艦砲射撃させようとは司令部もよっぽど頭に血が上っていたのだろうかなという命令ですが、それなりに理由や根拠はあったようです

2012-06-06 00:45:48
はやC @mononiq

ともかく第七戦隊は指示された通り、全速力でミッドウェイ島に向かいました 護衛の駆逐艦たちが追いつけずに脱落するほどだったというのでよっぽどです  …が、さすがに色々とムリがあると悟ったか、ミッドウェイ島目前にして反転命令が飛びます そこで悲劇が起こりました

2012-06-06 00:47:50
はやC @mononiq

帰路のさなか、命令系統の混乱で最上と三隈が衝突を起こしてしまったのです 同型の兄弟四隻で隊列を組んでいたせいか、お互いに目の前にいるのが誰なのか誤認しまくり前後関係がわからなくなったのが原因…というのが 全然笑えないんですがなんかかわいくて泣けます

2012-06-06 00:49:32
はやC @mononiq

この子たちの最大船速は35ノット…事故当時は28ノット出てたとのこと 時速50km近い速度で全長200m級の鋼船同士がぶつかるのだからたまりません このとき三隈の横っ腹に頭を突っ込んでしまった最上の方が損傷は激しく、ほとんど航行不能の状態に陥ってしまいます

2012-06-06 00:51:09
はやC @mononiq

場所はまだ敵制空権内 ひとところに固まっているのはまずい、ということで 三隈は思うように動けない最上にそばに付き添って残り、無傷の熊野と鈴谷は海域を離脱しました

2012-06-06 00:52:21
はやC @mononiq

ちなみにですが、最上型四兄弟は日本各地の川の名前から名付けられています 本来、重巡洋艦は山岳の名前(妙高、古鷹、摩耶や衣笠など)、軽巡洋艦は河川の名前(神通、阿賀野、由良や大淀)と決められてまして、最上型は生まれは軽巡で後から重巡に種別変更されたため川の名前なのです 余談でした

2012-06-06 00:54:02
はやC @mononiq

さて、日が明けて6日になってからは米軍の空襲が始まったため、追いついた駆逐艦「朝潮」「荒潮」に最上を任せて三隈も単艦離脱を図った…のですが、米軍機は大破した最上を『もはや放っておいても沈む』と判断したか まだ近くにいた三隈に殺到し、必死の抵抗もむなしく三隈は沈没してしまいます

2012-06-06 00:56:19
はやC @mononiq

…そして代わりに、最上は奇跡的な生還を果たすことになります 先の飛龍、三隈ともに沈没する瞬間を目にしたものはほとんどおらず 写真としては米軍機が空撮したものが最後の姿になります http://t.co/sXe0cqUI

2012-06-06 00:58:00
はやC @mononiq

こちらも有名 http://t.co/KZkMCGaD わたしはこちらのほうが馴染みあるかもしれません  なお、健在の頃の最上型のお写真はこちら http://t.co/NG6Vw9BP なんともまあ美しい艦です

2012-06-06 00:59:56
はやC @mononiq

三隈を喪い、残った最上型の三隻は二年半後の史上最大の海戦・レイテ沖海戦まで懸命に転戦し、そしてそのさなかに全艦戦没するのですが それはまた秋にでも  それから翔鶴の戦没、待望された新しい正規空母の末路については6/19にぶつぶつ呟くよ!

2012-06-06 01:01:14
はやC @mononiq

ミッドウェイ海戦で正規空母の三分の二を、そして多くの優秀な搭乗員を喪失した帝国海軍はこの後ずるずると防戦一方に回ることとなります ガダルカナル島を巡った死闘が繰り広げられるのも、この敗戦の後のことです ごく個人的には赤城と加賀、この二隻の空母が沈没した点で大きな事件です

2012-06-06 01:02:50
はやC @mononiq

ワシントン軍縮条約に運命を翻弄され、一時は廃艦寸前にまで追い込まれ、お互いの片割れをなくし、航空機運用の黎明期に生まれた大型空母として二十年の時を刻みやがて主力艦として返り咲いた赤城と加賀… この世で一、二番を争うほど好きなフネたちです

2012-06-06 01:04:30