【マニアの考察がすごい】さよなら絶望先生最終回感想と考察ツイートまとめ【週刊少年マガジン掲載時】
@zetubou_finbare 「さよなら絶望先生」最終回読みました。特に最後の3ページが素敵でした。
2012-06-13 14:33:50@zetubou_finbare そういえば、『久米田先生の次回作でお会いしましょう』というアオリ文が希望に満ちててとても良かった
2012-06-13 14:48:02@zetubou_finbare 「さよなら絶望先生」というタイトルは、常に死ぬことを考えている糸色望が、生きる望みを得て「絶望先生」とさよならする話だったんだよ!
2012-06-13 14:51:25@zetubou_finbare 木野君は母親から無理心中未遂をされたのではないか(結果二人とも死ななかったけど) ただ他の人からも指摘があるように木野君は元々別のクラスの生徒だったってのがアレ。別のクラス在学中に心中未遂?
2012-06-13 14:56:01@zetubou_finbare 「恋が始まるには、ほんの少しの希望があれば充分です」この恋は絶望少女達の恋であり、希望は杏ちゃんあるいは可符香そのもののことなんだな
2012-06-13 15:01:40@zetubou_finbare 昨夜絶望先生読んでた己の机上が、なんか変な祭壇ていうかそれこそ妙に仏壇の様なしめやかさ http://t.co/TmTVuP5D
2012-06-13 15:23:11@zetubou_finbare 個人的に考えていたのは、「かふかちゃん」の像は皆が皆なりに作っていったもので、たとえば朗らかさは千里ちゃんで黒幕力は奈美ちゃんで信仰心は加賀さんで、そういう皆のカフカへの/自分への理想像をカフカとしてのふるまいの中に投影していったのかなあって
2012-06-13 15:41:12@zetubou_finbare 最近の加賀さんがはにかみ屋さんの控えめな子ぐらいになってて、初期のおどおどびくびく青ざめる過剰反応の子じゃないのが可愛いけど不思議だなあと思ってたら、そういうことだったんだなあ お人形遊びは情操にいいとか言うよね
2012-06-13 15:44:50@zetubou_finbare 生と死の境界とは何なのか。それは人間生活においての究極の命題であると思う。赤木杏の肉体そのもの、風浦可符香というPNによる魂、そして記憶。これらが揃っていたんだから赤木杏は確実に2のへの中では「生きて」いたのではないか。
2012-06-13 15:47:12@zetubou_finbare で、久藤はどういう子だったのかって、「ヨリシロ役じゃないけど生きる場所のなかった子」ということで、やっぱり俯瞰的「外部」でありつつ実質的「内部」だったのかも 木野はっていうと…なんだ…「存在はしてる」よな、確実に いるよな
2012-06-13 15:47:43@zetubou_finbare 彼女は普通とは違う方法ではあったけど、絶望少女達の助けを借りて彼女なりの卒業が出来たのではないかと思うのです。彼女の望みは「生きる」事だったと。そして望が彼女の記憶を持っていたことにより彼女の生は完成したのではないだろうか。
2012-06-13 15:50:22@zetubou_finbare 「血をもらった」んだろうから、カフカ役もできたんだろうけど、してなさそう ヨリシロでもなくて、久藤は久藤としてほぼ素のままなんだけど、「2のへ組の久藤」というふるまいではある 謎めいててやさしい、落ち着いて賢い、悲しい話の上手い久藤くんの役柄
2012-06-13 15:53:23@zetubou_finbare 絶望少女達はセロ…セ…ポジティブ遺伝子により生きることを求め、許された。杏は少女達の天使であったかもしれない。だが同時に杏にとっても少女達は彼女が生きるために必要な救いの天使だったのでは。あ、先生もね。
2012-06-13 15:55:12@zetubou_finbare 獄下のOPから、カフカに手を差し伸べる望は成仏しきれないカフカを救おうとしてるのかな。望先生が抱きしめている丸いものはなんだろう。カフカの魂とか?
2012-06-13 15:56:55@zetubou_finbare 獄OPで空中で抱きしめる少女たちが次々と変わっていくのはみんなカフカだからなのか。寂しそうにそれを見つめるカフカは体がないから?
2012-06-13 15:58:47