『マイマイ新子と千年の魔法』…破綻している物語
「マイマイ新子」のような作品を批評するときの難しさは、その作品自体を評価するということ自体を批評するということにつながってしまうというところの難しさにあるところである。
2012-06-15 01:36:27『夏子の酒』でベテランの杜氏でさえ気づかなかった腐臭に夏子だけが気づいた。それは、杜氏のこれまでの歴史や能力自体をも否定するものでもあった(原作では同世代の若い杜氏見習いにも気づかせている)。
2012-06-15 01:38:24『ターミネーター2』のラストは、あの終わり方では成り立たない。スイッチを押すのは彼女ではいけない。物語には成り立つべき構造があって、それは、、物語の評価を一割以下にしてしまう。
2012-06-15 01:44:09物語の中に微妙な腐臭が交じることがあれば、物語全体がそれであふれることもある。問題は、その量の大小にかかわらず、気づくか気づかないかという話は難しい。『神の雫』のような話になってしまう。
2012-06-15 01:51:34『包丁人味平』で、キッチンブルドッグの北村チーフが、料理の味に文句をつけた肉体労働者に塩分加え目の料理を出して「うまい」と言わせた話があった。塩分加え目だけで「うまい」という料理が多いのかもしれないし、それは、本来否定されるべきところというわけでもない。
2012-06-15 01:54:55いろんな風に解釈できる作品というものはある。そのような作り方は技法の一つである。そして、それは狙ってできる。しかし、そのような作り方をしていないにもかかわらず、そう解釈されやすい作品はある。
2012-06-15 02:06:43作者が意図していなかったところで評価される作品は幸福であるかもしれないが、しかし、それは作者にとっては幸福なことではないかもしれない。
2012-06-15 02:08:53『マイマイ新子と千年の魔法』は理詰めに作られた作品だけに、その部分を丹念に評価(どうしても酷評になってしまいますが)するのが、作り手に対しての誠実なあり方なのではないかと思う。
2012-06-15 02:14:21もちろん、評価と好みは別である。あきらかに破綻していても好きな作品はある。自分の場合も、山ほどある。その場合、好き嫌いという部分と作品自体を論評するというところはきちんと分けられるべきなのではないかと思うのだ。
2012-06-15 02:16:37自分が書いたもの文章よりもむしろ自分の文を受けて、私の次の次(反論の反論)で女性の方が語られていることが、かなり的を射ていると思った。 http://t.co/YwQyyDTI
2012-06-15 02:33:54感動は人それぞれ。解釈も違う。しかし、論評は他者に伝えるものなので、普遍性は必要。そして、ある表現が『作者が意図して行ったものかどうか』は重要な部分である。
2012-06-15 02:39:05